第1巻第3話『眠れないから、皆殺しだ』元エリート官僚、兵隊を召集する
ヒロは30人ぐらいの暴走族の総長です。
オヤジ狩りをした相手はとんでもない奴に喧嘩をふっかけてしまった。南無
あれから数日。
荒川正義(30)は、なんとかまともな社会復帰を目指して再就職活動をしていた。
「——うん、荒川君。君ほどのキャリアがあれば、我が社なら即戦力だ。ぜひ前向きに検討させてほしい」
都内の中堅企業の役員面接。面接官のウケはすこぶる良かった。元エリート官僚の肩書きと、真面目そうなルックス、隙のない受け答え。普通にやれば、いつでも再就職などできるのだ。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
そう言って笑顔で頭を下げながら、正義の心は完全に冷めきっていた。
つまらない。
あまりにも、刺激が足りない。
面接官の退屈な話を聞いている間も、スーツのポケットの中で、擦りむけた拳の傷痕がチクチクと主張してくる。
脳裏に焼き付いて離れないのは、あの深夜の神社の光景だ。拳を叩き込んだ時の鈍い感触、響き渡る悲鳴、バイクで夜風を切り裂いたあの万能感。
(俺は……一体何をやっているんだ?)
心が完全に上の空のまま、仕事探しは全く捗らなかった。
*
その日の深夜。正義のイライラは、最悪の形で限界を迎えた。
バララララララララッ!! バリバリバリバリッ!!!
マンションの窓の外から、地を這うような邪悪な爆音が響いてくる。
近くの幹線道路で、別の巨大な暴走族グループが大規模な集会を開いているようだった。何十台ものバイクが、わざと蛇行運転をしながらコールを切りまくっている。
時計の針は深夜二時。
ピキ。ピキキキ。
正義の額に青筋が浮かぶ。ただでさえ再就職がうまくいかなくてイライラしているのに、この騒音のせいで完全に眠れない。
三十年間抑え込んできた破壊衝動の引き金が、再び引かれた。
「うるさくて……眠れねぇだろうがよ……クソがッ!!」
脳内のネジが再び音を立てて消し飛んだ。
正義はベッドから跳ね起きると、スマホを引っ掴み、ある番号へ発信した。先日ボコボコにした後、バイクの所有権を整理させるために無理やり連絡先を交換しておいた、あの暴走族の総長の番号だ。
数回のコールの後、怯えたような声が繋がる。
『は、はいっ……! 荒川さんですか……!?』
「おい、総長。今すぐ俺のマンションの前に来い」
『えっ!? な、何ですか正義さん……!? 俺らもう、夜遊びもやめて真面目に神社の掃除とかしてますけど……!?』
電話の向こうでガタガタと震える総長。しかし、正義の耳には彼らの事情など一切入らない。窓の外からは、今も族の爆音が鳴り響いている。
「外が暴走族の集会でうるさくて眠れないんだよ。……おい、今からアイツら潰すぞ」
『は、はいぃぃ!?』
「お前らの族の兵隊(アタマ数)、今すぐ全員集めて連れて来い。一人残らずだ。わかったな?」
『え、ええええっ!? ア、アイツらって、今夜集会やってる、隣の地区の最大手の半グレチーム『魔王軍』のことですか!? あそこ、バックに本物のヤクザがついてて、人数も百人以上いますよ!?』
絶叫する総長。だが、ネジの外れた元エリート官僚の辞書に「撤退」の二文字はなかった。
正義は血走った目でニヤリと笑い、受話器の向こうの配下に言い放った。
「人数? 関係ねぇよ。予算委員会に比べたら百人なんて端数だろ」
『い、いや意味わかんねえッスよ正義さん!!』
「いいから兵隊を集めろ! ——よし、皆殺しだああああッ!!!」
『ヒィィィッ!! わかりましたァァァ!! すぐ集めますッ!!!』
ガチャン、と通話が切れる。
正義はクローゼットから、あの日血に染まったボロボロの高級スーツを取り出し、袖を通した。
深夜二時半。高級マンションのエントランス前に、重低音の利いたバイクのエンジン音が数十台分、地響きのように鳴り響いた。
先日のオヤジ狩りグループの総長・ヒロが、冷や汗を全身から噴き出しながらバイクを止める。その後ろには、彼が必死に呼び集めた特攻服姿の兵隊たちが、何が起きるのかも分からず怯えた表情で並んでいた。
自動ドアが開き、そこから一人の男がゆっくりと姿を現す。
ボロボロの高級スーツを身に纏い、ネクタイを頭のネジと一緒にどこかへ吹き飛ばした男——荒川正義(30)だ。
正義はヒロの前に立つなり、血走った目でドスの利いた声を放った。
「——開幕、遅い」
「ヒィッ!? す、すいません正義さん! これでも最速で集めたんスけど……!」
ヒロはバイクから飛び降りて直立不動で謝罪する。正義はそんなヒロを無視し、集まった数十人の暴走族たちを見据えて、堂々と腕を組んだ。
「おい、お前ら。集まったな。……これから戦争(コンプライアンス違反)をする」
ザワッ、と暴走族の兵隊たちがどよめく。一人の兵隊が恐る恐る手を挙げた。
「あの……荒川さん、なんで急に戦争なんて……相手はあの『魔王軍』ですよ……?」
「なぜか、だと?」
正義はギロリとそいつを睨みつけ、深夜の住宅街に響き渡る声で言い放った。
「俺の、睡眠を、邪魔したからだ!!!」
「「「は、はいぃぃぃぃ!?!?!?」」」
あまりにも自分勝手、あまりにも理不尽な理由に、その場にいる全員の頭の上に巨大な疑問符が浮かんだ。明日の日本のために命を懸けていたはずの元国家公務員が、今、自分の睡眠時間のために百人超の半グレ集団を壊滅させようとしている。
「国会答弁だって夜の12時には終わるんだよ! なのにあいつらは深夜二時を過ぎてもバリバリ鳴らしてやがる! 睡眠不足は国家的な損失だ! つまりあいつらは——死刑だな?」
「いや死刑は言い過ぎじゃ……っ!」
「いいかお前ら、これは正当防衛だ! よし、じゃあ分かるな、ヒロ。こっから魔王軍を潰すぞ」
正義はヒロのバイクの後部座席にガシッと飛び乗り、その肩をガッチリと掴んだ。その目は完全に、獲物を狩る直前の狂戦士のそれだった。
ヒロは一瞬、天を仰いだ。
隣の地区の最大手『魔王軍』。バックに本物の極道がいる、関わっては絶対にいけない凶悪な連中。そんな化け物組織に、睡眠不足でキレた元官僚のおっさんと突撃する。
あまりの理不尽と狂気の連鎖に、ヒロの脳内でも何かのネジが音を立ててぶっ飛んだ。
「……はぁ。わかりましたよ。はい?! もうどうにかなれぇぇぇ!!!」
「いい返事だ! 全軍、突撃ィィィアアアッッ!!!」
バリバリバリバリッ!!!
ヒロがヤケクソでアクセルを限界まで捻り、数十台のバイクが怒号とともに夜の街へと発進する。
本人はただ寝たいだけ。だが、この理不尽な『睡眠不足の乱』が、東京の裏社会の勢力図を一夜にして塗り替える大事件になるとは、この時はまだ、誰も知らなかった。
次戦争です




