第2巻第10話• 「付いて行く相手を間違えたな」――元ヤクザ、羅刹の特攻を迎え撃つ
「ハッ、口ほどにもねえな元ヤクザが! ガードの上からでも叩き折ってやるよ!」
羅刹の幹部・北山が、小刻みなステップを踏みながら嘲笑う。
元ボクシング経験者である北山のフットワークは本物だった。軽快なステップで常に谷中の死角へと回り込み、鋭いジャブと、ストリートで磨いた変則的なローキックを織り交ぜて猛攻を仕掛ける。
ヒュン、ヒュンと風を切る音が谷中の耳元で何度も鳴り響く。
だが、元格闘家であり、修羅場を潜り抜けてきた元ヤクザ・谷中の表情は、驚くほど冷静だった。
――フッ。
谷中は最小限のヘッドスリップだけで北山のストレートを紙一重で躱す。
すぐさま北山が放った左右の連打から流れるような左ミドルキック。鋭い風切り音が鳴り、北山の爪先が谷中の脇腹へと迫る。
だが、手数の多さに紛れたその大振りこそ、谷中が待っていた「隙」だった。
谷中はキックを躱すのではなく、自らの左腕でその蹴り足を抱え込むようにしてキャッチした。
「なっ――!?」
片足を封じられ、北山の顔が強張る。ボクサーの生命線であるフットワークも、軸足を奪われればただの置物だ。逃げようともがく北山を、谷中の鋭い眼光が射す。
「現役を退いて、裏社会の薬売りに染まった時点で、あんたの格闘技は錆びついてんだよ」
谷中が抱え込んだ足を力任せに跳ね上げ、北山の体勢を完全に崩す。
宙に浮き、ガラ空きになった北山の顎。そこへ、谷中は下から突き上げるような、痛烈なアッパーカットを叩き込んだ。
ズガァンッ!!!
脳を激しく揺らされ、北山の膝がガクリと折れる。普通ならここで意識が飛び、崩れ落ちるはずだった。
だが、北山の目はまだ死んでいなかった。口から血を吐き出しながら、谷中の胸ぐらを掴んで無理やり踏みとどまる。
「ガハッ……! まだだ……まだ終わらせねえ……!」
その目は、ただの半グレのそれではない。狂信的なまでの執念が宿っていた。
「俺は……俺は鮫島さんに誘われて羅刹に入ったんだ……! あの人の強さに惚れて、俺たちはあの人に付いて行くだけなんだよぉッ!!」
魂を絞り出すような北山の絶叫。
それが、錆びつきかけていた元ボクサーの誇りと野生を呼び覚ます。北山は折れかけた足で地面を強く蹴り、残ったすべての筋力を右拳に集中させた。
視界が歪むほどの脳震盪の中、感覚だけで放たれる、人生最高の捨て身のストレート。
「おおおああああっ!!」
真っ直ぐに突き出されたその拳は、確かに谷中の顔面へと肉薄した。
だが――谷中は逃げなかった。
「……いい覚悟だ。だが、付いて行く相手を間違えたな」
谷中は紙一重でその拳を首を傾げて躱すと同時に、自らの体重のすべてを乗せた右ストレートを、無防備になった北山の顔面のド真ん中へと叩き込んだ。
バキィンッ!!!
肉と骨が砕け散る凄まじい衝撃音が響き渡る。
今度こそ完全に意識を刈り取られた北山の巨体が、糸の切れた人形のようにコンクリートの地面へと崩れ落ちた。ピクリとも動かない。完全な失神だった。
「ふぅ……。ヤクザも格闘家も、とっくに辞めちまったが……身体は覚えてるもんだな」
谷中は赤く染まった自身の拳を見つめ、短く息を吐いた。
周りにいた羅刹の兵隊たちが、誇り高き幹部・北山の無残な敗北を見て、怯えながら一歩、また一歩と後退していく。
「さて……次はあっちか」
谷中が視線を戦場の中央へと向けた。
そこでは地鳴りのような怒号とともに、北山が命を懸けて慕った男――ゾンビ鮫島と、荒川正義が、化け物同士の凄まじい殴り合いを始めていた――。




