第1巻11話:『羅刹』元エリート官僚、新興勢力の影を踏む
谷中が泣きながら舎弟入りを志願した翌週。
荒川正義(30)の日常は、相変わらず激務のサラリーマン生活と、出社前の「モーニングルーティン(ボコり)」で構成されていた。
その日の朝も、コンビニの裏路地でちょっとした『監査』を終えたばかりだった。
正義の足元には、見たことのない小汚い格好をした若い男たちが数人、地面に転がっている。朝から正義に突っかかってきて、返り討ちに遭った哀れな有象無象だ。
「おい。お前ら、どこの所属だ?」
ネクタイを締め直しながら、正義は意識の飛びかけている男の髪を掴み上げて尋問した。
「……あ、あが……『羅刹』だ……。俺たちは、最近この街に入ってきたばかりの……」
「羅刹、ね。聞いたことのない名前だな」
「へっ……覚えとけよ……。俺たちのバックにいる上の奴らは、これまでの半グレやヤクザとはモノが違うんだよ……!」
男は血を吐きながら、生意気にも不敵な笑みを浮かべてみせた。
その態度が、仕事前の正義の神経をチクりと逆撫でする。
「——うん。なんか生意気だから、一回寝ろ」
「ぶへっ!?」
正義はノータイムで男の顔面に強烈な膝蹴りを叩き込み、完全に気絶させた。
全員がピクリとも動かなくなったのを確認してから、正義はスマホを取り出し、お気に入りの連絡先へと発信した。数回のコールの後、今や完全に聞き慣れたドスの利いた声が繋がる。
『お疲れ様です、兄貴! どうしました!?』
元・田下組の武闘派ヤクザ、谷中である。電話越しでも直立不動になっているのが伝わるほどの忠誠心だ。
「おう、谷中。ちょっと聞きたいんだが……『半グレ集団・羅刹』って組織を知ってるか? 最近この街にやってきた連中らしいんだが、少し調べてくれないか」
『羅刹……ですか? すんません、俺の耳にはまだ入ってきてねえ新興勢力ですね。わかりました、すぐに元いた組のルートと裏のネットワーク使って洗ってみます! ヒロのバカにも声をかけて、街の若い奴らにも探らせますわ』
「ああ、頼む。それと……」
正義は足元に転がる、白目を剥いて泡を吹いている男たちを冷徹な目で見下ろした。
数々の修羅場をくぐってきた元エリート官僚としての直感が、妙な違和感を捉えていた。
「ちょっと気をつけろよ。こいつら、なんというか……様子が変だった。普通の不良の怯え方じゃない。何か、もっと得体の知れないバックがいるような雰囲気だ」
いつもは「皆殺しだ」と笑っている兄貴の、珍しく真剣なトーン。
受話器の向こうで、谷中がゴクリと息を呑む音が聞こえた。元極道だからこそ、正義の危惧している「ヤバさ」のニュアンスが瞬時に理解できたのだ。
『……了解です。ただの半グレのナワバリ争いじゃなさそうですね。こっちも兵隊の警戒レベルを上げときます。兄貴も気をつけてください!』
「ああ。じゃあ、俺はこれから朝の会議があるから切るぞ」
ガチャン、と通話が終わる。
正義はスマホをポケットにしまうと、何事もなかったかのように満員電車へと向かって歩き出した。
本人はただ、生意気な奴をボコって出社するだけの日常。
しかし、東京の裏社会に現れた謎の巨大勢力『羅刹』の尻尾を、守護神・荒川正義は知らず知らずのうちに、一番最初に踏み潰していたのだった。




