第1巻第10話:『遊侠の朝』元エリート官僚、満員電車で乱闘を両成敗する
翌朝。すっかり肌寒くなった秋の空気の中、荒川正義(30)は満員電車に揺られていた。
ガタゴトと響く電車の振動の中で、正義の頭の中は、昨夜公園のホームレスの爺さんから言われた言葉がずっと離れずにいた。
(遊侠、ねぇ……。信念一本で暴れ回り、弱きを助け強きをくじく、か。何かの間違いだな。俺はただ、自分の睡眠を邪魔されたり、ぼったくられそうになったりして、イラついたから殴っただけだ。人助けのボランティア精神なんて、これっぽっちも持ち合わせちゃいない)
自分はどこまでも自分勝手な元官僚。そう結論づけてため息をついた、まさにその時だった。
「んだとゴラァ! やんのかテメェ!!」
「てめぇこそ足踏んでんじゃねえよクソガキがァ!!」
突如、正義の乗っている車両の真ん中で、乗客同士の激しい乱闘が発生した。特攻服こそ着ていないが、見るからにガラの悪い半グレ風の若い男二人組と、ガタイのいいガテン系の男が、周囲の乗客を巻き込みながら殴り合いを始めたのだ。
「キャーッ!」「うわ、危ない!」
悲鳴を上げて一斉にクモの子を散らすように距離を取る乗客たち。満員電車の密室は一瞬にして恐怖のパニックに包まれる。
だが、その修羅場の中心で、ただ一人。
荒川正義だけは、目が爛々と輝き、口元がウキウキと吊り上がっていた。
(素晴らしい……! 朝から向こうから『合法的なストレス解消』が飛び込んできたぞ……!)
「おい、お前ら。公共の交通機関は静かに利用しろと、小学校で習わなかったのか?」
正義は満面の笑み(狂気)のまま、乱闘の真ん中へと割って入った。
「あぁん!? なんだお前、邪魔すんじゃねえ——ぶふぉっ!?」
言い終わる前に、正義の強烈な右ストレートが半グレの顔面にクリーンヒットした。さらに、驚いて殴りかかってきたガテン系の男の腕を掴み、電車の吊り革を利用して力任せに壁へと叩きつける。
「痛っ……痛てぇ! な、なんだこのリーマン!?」
「静かにしろ。次発のダイヤに影響が出たらどうするんだ」
ちょうどその時、電車が「キキィーッ」と目的の駅に滑り込み、プシューとドアが開いた。
正義は「よっこらしょ」と呟きながら、伸びている半グレと、悶絶しているガテン系の男の襟首をまとめて引っ掴むと、そのまま開いたドアから駅のホームへと勢いよく投げ飛ばした。
ゴロゴロとホームの床を転がる悪党たち。周囲の通勤客たちが何事かと呆然と見つめる中、正義も悠然と電車を降り、彼らの前に立ちはだかった。
スーツのネクタイをきゅっと締め直した正義は、冷徹な官僚の目を血走らせ、這いつくばる男たちを見下ろした。
「よし。これから尋問(朝の朝礼)を始める。お前ら、どこの組織のもんだ? 包み隠さず吐け。……まぁ、吐かなくてもボコボコにするけどな」
通勤途中にもかかわらず、駅のホームで堂々とヤクザ顔負けの尋問をスタートさせた正義。
本人はただの『両成敗』のつもりだったが、目撃した数百人の通勤客たちの間で、「朝の満員電車に、悪党を瞬殺するスーツ姿の都市伝説が現れた」と、また新たな『遊侠』の噂が爆発する瞬間だった。




