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身代わり殺され屋の藤巳(フジミ)くん  作者: 猫爪とぎ
高篠藤巳から、指揮嶋鳩子へ

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4/10

第四話

 鳩子との待ち合わせ場所は、隣県のちょっとしたハイキングコースだったり、バーベキューができる川辺だったり、街の中心部から外れることが多かった。俺は半ば強制的に「殺され屋」稼業に足を踏み入れさせられた。


 あの日、鳩子の身代わりで死んだ翌日、俺は常夜に呼び出された。鳩子から電話番号を聞いたのだろうか。簡単に個人情報を教えるなんて、鳩子を少し見損なった。




 蒸し暑いなか、最寄りの地下鉄駅から歩く。背中に汗をかくのは、緊張からか、ついでに武者震いまでする。当然だ、俺は昨日あそこで死んだんだ。二度目だ。




 【喫茶ハンター】、そんな店名だったのかと、気づかなかった自分の視野の狭さに驚く。ハンターのいわれを聞いてみたいが、そんな雰囲気にはならないだろう。自分を落ち着けるには、できるだけ日常の距離に近い会話をすることが最善だ。どうして、ハンターという店名に? 「僕の苗字が半田っていうんだ」といった日常のドアが開きっぱなしになるパターンか。ちなみに常夜の苗字は知らない。それとも「悪党を狩るって意味だよ」みたいな、さらなる非日常の扉が再び開くのか、そう考えると世間話のつもりでも、二択が常にそこにあって何が起こるかわからない。




 ドアを開けると、軽いピアノジャズが流れていた。オスカー・ピーターソン・トリオだろうか。客は誰もいない。店先の血だまりはすっかり消えていたのに、店内はところどころ、血の跡が残っている。誰の血なのか詮索すればさらに非日常の扉は軽々と開いてしまうだろう。やめておこう。




 常夜はたった一人の客である俺に、「そこ、空いてるから」と冗談交じりに言った。京都は盆地と言う地形上、蒸し暑い。夏の異常な暑さは、熱さと言ってもいいし、そこにサウナばりの湿度が皮膚を包むと、皮膚と骨の間が蒸される感覚に陥る。俺だけか?




 頼んでもいないのに、氷いっぱいのアイスコーヒーが出てきた。冷蔵庫からノンラベルの一・五リットルのペットボトルから注いだのが見えた。せめて、あの銀ピカステンレスの厨房でこっそり注げばいいのに。アイスコーヒーは豆から挽いていないのはわかるが、それならホットコーヒーの方が本格的で得した気分だ。




 エアコンの除湿がほのかに効いて涼しい。アイスコーヒーが入ったグラスの周りには、小さな水滴が不規則にしがみついている。コルクの洒落たコースターに滑落した水滴たちが吸い込まれる。




「呼び出してごめんね。鳩子からの伝言を伝えたくてね」




 常夜はそれが仕事の依頼なのだと、できるだけ前提の説明を省くようにして、本題から入った。嫌いじゃないが、この人との会話は地続きではないことに改めて気づく。昨日のケーキナイフ事件を思い出し、手を引っ込めて口先だけでアイスコーヒーを飲もうと試みる。迂闊に手を出したら、今度はトカゲみたいに指が再生するのか試したい、と言い出しそうだからだ。この人は興味本位が理性を上回るタイプだ。頭で理解していても、心で受け付けない。シンプルに言えば、底が見えない怖さ。目の奥が真っ黒で、焦点が合っているのかわからない。




 エアコンのフィルター掃除をしていないのか、やけにかび臭い。エアコンのせいではないかもしれないと気づいたのは、常夜の顔からかび臭さを嗅ぎ取ったからだ。


「藤巳くん、私と一緒に仕事をしよう。あなたは殺され屋で、私は殺し屋に。依頼人の代わりにあなたは私に殺される。もちろん特殊メイクをする。取り分は、私が五、藤巳くんが三、常夜が二。今週末、萩尾山のハイキングコース経由、頂上の展望台で待つ。午前十一時きっかりに来て――鳩子」




 常夜は淡々と鳩子からの伝言を読み上げた。




 手元には喫茶ハンターと印刷されたオリジナルメモにびっしりと小さな字で書かれていた。この大男が書いたとは思えない字体だかった。おそらく鳩子の筆跡だろう。


「やるの? やらないの? やらないって選択肢はないと思うけど」


 常夜は顔が笑っていない。脅しは笑って余裕を見せてこそ、怖いのだが。これじゃぁ、脅しますよと、宣言しているようなものだ。もしかしたら、顔面を整形したせいで、笑えないのかもしれない。常夜は死んだことになっていると聞いたし、鳩子の特殊メイクが常時維持できるとは思えない。だから整形したと考えて間違いないだろう。そうでもしなければ、また命を狙われることになるだろうし。




「考えさせてください。昨日みたいなことやるんですよね」


「まぁ、そうじゃないかな。鳩子のアイデアだから何とも言えないけど」


 もっと男前にしようがあったとは思うが、二重の間隔が大きく目が腫れぼったく見えるアンバランスさ。頬骨が浮き出て、エラも張ってる。鼻筋は通っているのは本人の希望か。耳はつぶれているから、柔道経験者かもしれない。整形で直せばいいのに。いや、無理やり耳の形を潰したのかもしれない。上唇が少し厚い。




 つまり、どうせ整形するなら男前にすればいいのにとは思うが、常夜の顔はどれも印象に残りそうなパーツばかりだ。


「なんだ、僕の顔をまじまじと見て」


 気づかれている。


「いや、ほら、顔、変えたんだろうなって」


 膝の上に隠していた右手を伸ばし、サッと濡れたグラスをサッと取る。氷が解け始めたアイスコーヒーの上の層が透明度を高め水っぽかった。


「あぁ、顔はね、整形外科手術したよ。鳩子が紹介してくれた先生にね。変でしょ。パーツそれぞれ個性的にしてもらったのは、印象に残らなくするためだよ。どのパーツも印象的な方が覚えにくいというか、頭の中で再現しようとしても、中心核みたいな顔のパーツがイメージできないからね。思い出せないんだよ」




 常夜は客もいないのに洗い物を始めた。モーニングセットのパンくずだらけの皿だった。トマトが手を付けずに残っていた。




 昨日は、この店から帰るなり、意識がなくなるくらいに眠った。一人暮らしだから心配してくれる家族もいない。自由の身は孤独だ。朝七時過ぎに電話があったが、ほおって置いたら何度もかかって来た。留守電の録音内容が画面上にも表示され、「ジョーヤです」とポップアップした。常夜かとその存在は思い出せたが、顔はさっぱりだった。今から、店に来てほしいと言うなり、電話は切られたのだ。




「で、やるのやらないの?」


 家に持ち帰るつもりだったのに、常夜は急かす。やらないと言えば、ここで殺されるかもしれない。でも俺は死なない。とはいえ、痛いのはイヤだし、監禁されて空腹で、餓死して、生き返っての繰り返しは地獄だ。殺されないというのはある意味不便だと再認識する。




 常夜の顔から臭う、カビ臭さは整形ミスのせいなのか、アフターケアができていないのは素人外科手術だからだろうか。


 この臭いで、常夜を思い出せるほどだった。




「やります。それしか選択肢はないし、先延ばししても仕方ないですから」


 何が仕方ないのか、やるだけやって諦めるみたいな言い方だが、まだそんな状況じゃない。俺は右手に持ったままのグラスを一気に傾け、すっかり氷が解け切ったアイスコーヒーを飲み干した。




 でも、鳩子は殺し屋をやめたから命を狙われていたはずなのに、また殺し屋に戻るってのは理不尽だなとも思う。そのせいで俺が殺されたというのに。




「鳩子はどこに?」


 俺の質問に常夜は早口に答えた。口止めでもされていたのか。


「手術だ。顔の。死んだことになってるからな。僕と同じ外科の先生だよ」




 さすがに特殊メイクができるからって、自分で顔の外科手術はできないだろう。医療漫画でそんなシーンを見たこともあるが、所詮は漫画。フィクションの境界線が曖昧になっている自分を諫める。




「じゃぁ、顔が変わるってこと?」


「まぁ、僕みたいにはしないと思うけど」




 常夜は鳩子の顔が変わることに不安なのだろう。俺も不安だ。顔を好きになるのは、恋愛の思想が浅いと言われそうだが、顔は大事だと思う。そもそも恋愛に思想なんて必要ないだろう。それに、浅くたっていい、キスの時は顔なんてぼやけて見えないんだ。セックスの時も似たようなもんだ。近すぎて、よく見えない。後ろからだと何も見えない。となるとイメージとリアルの肉体の両輪を駆使して、相手とのセックスを認知しているということだ。




 好きな顔にこだわるのは人間の営みとしてはまっとうなのだろう。そうやって生きて行かないと、相手のことがわからないからだ。身体と身体が重なり合ったとて、相手をイメージしている領域・時間がなければそれはオナニーに等しい。だからこそ、顔は大事で、その記憶とともに常に愛を営むのだ。




 ――認識できない程の顔、思い出せない顔。ここまで大胆に顔を変えた常夜は、誰の中で生きているのか。




 俺は鳩子の顔を思い出していた。まだ薄らぼんやりしている。同じサークル程度でほぼ認知していないぐらいの関係性だったからなと言い訳をする。


どんな顔になっているのだろうか。身代り死をさせたぐらいの鳩子だ。才能とも呼べるほどの図々しさだから、逃げるための整形というよりも、より美しくなるための整形だろう。俺は鳩子を想った。




 一週間後、晴れ渡る萩尾山の展望台で、鳩子に再開した。俺の予想は、間違いなかった。いや予想を越えていた、鳩子は鳩子でありながら、さらに美しい鳩子へと変貌を遂げていた。変化なのか、進化なのか。開口一番、「キレイになったでしょ」という鳩子に、俺は無条件で頷いた。そして、新しい唇でまたしても俺の唇を奪ったのだ。舌だけは整形していないことに、すぐ気づいた。鳩子は俺に、「今度の仕事の件だけど」と、要件から話始めた。

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