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身代わり殺され屋の藤巳(フジミ)くん  作者: 猫爪とぎ
高篠藤巳から、指揮嶋鳩子へ

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3/10

第三話

 表の路地で、鈍痛に苦しむ重い悲鳴が聞こえた。男の声だ。二階には窓が無いから詳細はわからないが、視線を入口付近に戻すと、常夜はもういなかった。文字通り、迎え撃つつもりなのだろうか。




 鳩子は苦々しい表情を浮かべながら、自分と同じ顔の俺に打診した。


「ここにいる? それとも逃げる?」と。




 逃げるも何も、ここにいるとどうなるのか? と疑問を挟む余地を与えてはくれないようだ。瞬時判断すべしと言いたいのか。ならば、「逃げる」の一択だ。




 神様は乗り越えられる試練を与えたもうと、いうものだが、それは試練に立ち向かう時だ。そうそう試練に立ち向かっていては、乗り越える《《べき》》ばかりでいささかシンドイ。だから俺の基本信条は


「逃げられるなら、逃げる」




 鳩子が俺の心の中を透視したように、ふっと小さく笑みを浮かべて、か細い腕で、俺の手を引いた。




 階段を降りた。カウンターの座席がめくりあがっている。常夜がグロッグを取り出したのだろう。火薬のにおいがするが、表の路地からだ。いったいどういうことだ、やたらと両足が震える。




カウンター裏のキッチンスペースに出た。清潔感あるステンレスのシンクとアイランド型の調理台スペース。小さな喫茶店には似つかわしくない、大型の冷蔵庫らしきもの。これもステンレスだ。ゴミひとつおちていない打ちっぱなしのコンクリート床はほんのり濡れている。




「常夜さん、大丈夫かな?」


 上ずった声で、心配している感を出すも、鳩子は冷蔵庫横の勝手口まで俺を連れて行くと、かかとで押し出すように俺を押し蹴った。




 勢いよく勝手口に出る、鳩子の姿をした俺。バタリと勝手口が閉じ、ガチャっと鍵がかかる音が裏手のまっすぐな路地に響く。




 舗装されていない土むき出しの路地は、まっすぐ見通しがいい。人ひとりが行き来できるほどの狭さで、交差するには身体を半身ずらさなければならない。右隣の民家から伸びた梅の木がアーチ状に覆い、夕日を遮る。


 逆光で良く見えないなにか、人間らしいものが、俺に銃口を向ける。距離にして七メートル三十センチほど。高校生の頃、走り幅跳び選手だったせいで、日本記録の八メートル四十センチまでなら目視で計測できる。




 甲高い銃声がパァァン、と笑ってしまうような音を響かせる。梅の枝が風でざわぐが、打ち消しきれない。俺の左胸を撃ち抜く。そのまま、二発続けて、太ももと左目に的中した。


 恐怖と痛みが同時に襲う。左手で胸を押さえる。呼吸音が耳の奥でこもる。今の俺は鳩子だ。鳩子とわかって、撃って来たのか?




――鳩子が言っていた、真田の追っ手。殺し屋なのか。




 相手が逆光で、俺は夕日を受ける順光だ。七メートル近く離れていても、背格好とこの濃い目のメイクを見れば、鳩子と判断できるだろう。




 厳密には死んだことがない、だが死ぬのは怖い。経験したことがないことが怖いのは本能だ、と小学生の頃母がよく言っていた。




 左目が熱い。撃ち抜かれた左胸と太ももは、ドクドクとリズミカルに脈を打つ。ピンクの小花柄をあしらった地色が黄色のワンピースが、血で滲む。大ぶりな花が咲いたみたいと、残った右目で見る。余裕ぶっていないと、恐怖で押し潰される。




 人は簡単に死なないのか、俺がしぶといのか、とにかく意識はうっすらと残り、出血の苦しみから回復モードに切り替わっている。このあり得ない事実に我ながら驚く。




 そういえば、高校二年生の頃のインターハイで、走り幅跳び着地後足裏に何かが刺さった。シューズ越しに刺さったのは、工事現場で見かけるの太い針金だった。中指と人差し指の分かれ目の甲を貫いていた。シューズの中が血まみれになっているのか、ジュブジュブと水たまりで靴を濡らした不快感に襲われた。痛さに根負けし、靴を脱いでみたかったが、針金が串刺し状態で難しい。




 俺はトラックの内側に移動し、靴の裏側からストレッチのポーズの要領で針金を引っこ抜いた。抜いた瞬間からみるみる傷口がふさがったのを覚えている。




 この現象は? と思うが、その正体を確かめるほどの勇気はない。卒業式で死んだ自分が復活したことのおかげで、その証明が五年越しに解明したというわけだ。




 とそんな悠長なことを考えていたら、心は平穏に整っていた。左目の眼球が奥側から隆起し、みるみると再生していくのを感じた。一緒に目の奥に隠れていたまつ毛やゴミが噴き出た感覚だ。目が良く見える、近視と乱視のハイブリッド眼球だったはずなのに。




その殺し屋は俺の頭に三発銃弾を撃ち込んだ。さすがに、意識を失いそうになるも、夢見心地のまま身体は復活を始める。




 殺し屋は俺の脈をとることもなく、鳩子の粛清に満足したのか、スマホで写真を撮り始めた。




――殺し屋は死んだことを確認しない。


とこの時はじめてわかった。




 さすがに俺が復活して返り討ちに合うとは思わないのだろうか。俺はあおむけに倒れたはずなのに、土埃の苦々しい味が口の中に広がった。殺し屋が俺を蹴って、うつ伏せにしたのだ。グロスを塗られた唇には砂がこびりつく。




 呼吸を止めながら整える。小さく鼻から酸素を取り込む、同時に新たな痛みが襲う。殺し屋が左手の薬指からナイフ状の何かで、俺の爪をはぎ取った。恐怖と痛みはマヒしない。恐いし、痛いのだ。声が腹の底がちぎれて、そのまま噴出しそうだったが、何とか我慢し、堪えた。唇を嚙むことすらできない。顔が見れたらいつか仕返ししてやりたい。




 生爪を剥がすのか、それは暗殺の証明なのか? それなら、首を切って持ち帰るのが一番いいと思うが。戦国時代の手柄のように。




 左指の爪がキレイにはがされたようだ、痛みを堪えつつも、血だけは溢れでる。どす黒く染め上がったワンピースの黄色に、新しい赤さが鮮やかに上書きしていく。




 あまり長居されても困る。バレないように呼吸するのは何よりキツイ。脈を測られても困る。だが、この殺し屋は何もしなかった。




「指揮嶋鳩子、処分しました」




 とその男は聞こえよがしに、取り出したスマホで話し始めた。うつ伏せになりながらも右目で確認した。殺し屋が細い裏路地を踵を返してまっすぐ戻る。振り返ることもなく、小風で揺れる梅の枝のアーチを潜り抜ける。




 オマエみたいなのにはきっと天罰が下ると、そう右目で睨みを利かせる。側頭部一発、後頭部二発に撃ち込まれた銃弾はモリモリとと脳の再生、頭蓋骨の再生とともに、外側に押し出されていった。胸や太ももも同様に銃弾は押し出されていった。血でコーティングされた銃弾が地面に落ち、踏みしだいた土に俺の血が吸い込まれている。




 音もなく、勝手口の鍵が開く。復活した左目と合わせて、不確かな誰かを見上げる。鋼鉄製の扉には、俺の血しぶきがベットリとこびりついていた。常夜がかけより、俺を抱きしめながら、「鳩子ぉおお」と叫ぶ。血なまぐささは俺のものか、常夜のものか。遠く、梅の花が霞んで見えた。




「なによ」と本物の鳩子が常夜の後ろから、ひょっこりと顔をだす。悪気もなく、忘れ物を取りに戻った子のようだ。忘れ物は俺のはずだが、俺に目を合わせようとはしない。ぱっつん前髪が裏口に吹き抜ける風で不規則に揺れる。ついさっき、後ろから蹴られたことに無性に腹が立った。




 「よくやった」と、常夜が俺をお姫様抱っこに持ち替えて、二階に軽々と運び込む。チェアベッドに寝かされる。ほんの十数分前にはここに五体満足でいた。いまも変わらず五体満足ではあるが、心はごっそり削れている。




 肩を掴まれる。鳩子だ。再び鳩子の唇が、俺の砂だらけの唇に重なる。これは儀式なのか? と夢見心地でいると、本物の夢に落ちたようだった。その間、鳩子は俺を俺の姿に戻してくれた。キスが自分の中で記号のように刻み込まれるのを感じる。死に向かうこと、死から生還したこと、そこに楔のように鳩子のキスが入り込むのだ。




「身代わり完了だな」




 常夜が何かを成し遂げたと達成感ある口ぶりで言う。満足げな顔にはもう一つの理由があった。表路地ではサボテンの中に隠した自動小型銃が、マヌケな侵入者を撃ちまくっていたらしい。表玄関は守りは堅いんだけどね、鳩子が唇を拭いながら、そう俺に語り掛けてきた。




 俺は特殊メイクのパテの甘い残り香を感じつつ、腰をボキボキと鳴らした。肩をすくめるだけで、ゴリゴリっつと気持ちのいい音が鳴る。骨の位置に違和感が残る。




 表路地には二人のマヌケな暗殺者が転がっていたはずだったが、既に回収されていた。血が点々と表通りに向かって痕跡を刻んでいた。常夜は苦々しそうに言った。トドメを刺し損なったことに、ひどく後悔していたようだった。両手を上に向けて肩をすくめるアメリカのドラマ仕立てのポーズで「仕方ないね」とおどけた。




「ありがとうね、藤巳くん」


 鳩子が深々と頭を下げ、俺の手を握った。冷たかった。温度がないというと不正確だが、そう言う方が正しいようにも思えた。そして、俺の手はもう俺の手に戻っていた。




「身代わりで死ぬなら、これからだよ、ぐらい教えて欲しいよ」


 俺は表裏逆になっているベルトを元に戻しながら、不満を伝えた。伝えてどうなるものでもないだろうが。媚びるような口調に我ながら、卑屈に感じた。




「知ってたらリアリティが削がれるでしょ」


 鳩子は常夜に目配せしながら、答えた。




 確かに俺の死にざまが全ての判断材料であるのだから、できるだけナチュラルさが求められるものだ。だけど、心の準備ぐらいはさせて欲しい。致死に至るはずの怪我、致命傷とやらは怖いものなのだ。ようやく頭もおちつき、周りが見えるようになってきた。あぁ、二階のこの部屋はこんなに殺風景だったのかと、ようやく気づいた。




 俺は、鳩子と一緒に一階の喫茶ルームに降り、飲みかけのホットコーヒーに口をつけた。コーヒーは飲み頃を逃してすっかり冷めていた。芳醇な沸き立つ香りは、どこかに吹き飛んでいた。




 口の中は鳩子のキスの余韻と血のサビの味が混然一体となり、コレがキスの味だと俺の脳が認識し始めていた。それは違う、と俺は未来の俺のために強く念押しした。キスはそんなに無作法で、不条理ではないし、そもそも何かの手段であることもないはずだ。明らかに、鳩子のキスは手段と化している。キスは、それ自体が目的だ、とレイトショーでみた三本立て映画を思い出す。




 座面がめくれ上がっていたカウンターチェアは元の形に戻っている。常夜がグロッグを片付けたのだろうか。




 これで鳩子が狙われることはなくなった、と常夜は嬉しそうにコーヒーを手挽きしながら言ったが、俺にはありがとうも何も、感謝の言葉すら投げかけないところが気にはなった。小岩のように隆起した右肩が小刻みに揺れ、コーヒー豆がみるみる粉化していく。香ばしい匂いがカウンターから漂よい、乱れた思考も凪になってゆく。


 


 どうにも、事がうまく運び過ぎているというか。ゲームで言うならチュートリアルのようだ。チュートリアルでゲームオーバーになることはない。チュートリアルはルール説明なのだ。




 最近のPSゲームは、チュートリアルが難しい。覚えにくい。結局、スキップしてしまい、操作方法がわからなくなる、クリア条件が理解できない、画面の見方がわからない、とチュートリアルアーカイブを見ることとなる。だが、知りたいことを探すのが面倒なのだ。現実世界のチュートリアルはスキップできない。だから、いいのかもしれない。無駄な時間に見えても、あとからもう一度チュートリアルアーカイブなんて見ることができないからだ。




 昨日から三度、鳩子にキスをされたが、どれも男女の関係に繋がるものというものでもなさそうだ。キスからセックスの流れは随分遠いのだろうと自覚せざるを得なかった。手が硬直して、自分の両側から離れられない。肩を掴んだり、腰に手を回すなんて、しっくりこない。




 オスとしての情熱や探求心よりも、不安が頭にぷくぷくとあぶくとなって湧きあがる。




 ――この先も、今日のような危険な目を迎え入れなければならないのか。キスとの対価としては不釣り合いだ。女性にとってもキスは軽いものじゃないのではないか。




 鳩子はどうなんだろうか、悶々としながら俺は家路についた。俺は濡れた唇が既に渇いていることに、安堵感を覚えていた。

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