第十六話
全くもって、鳩子先輩には一生頭が上がらないだろう。そういう人間と二十代のうちに巡り合えたのは、私の人生における僥倖とでもいうべきか。
常夜先輩との出会いもそうだ。私は奇妙なほど人に恵まれている。人生が失ったものと同じだけの「何か」を後から得るというシステムなら、帳尻合わせのプラマイゼロだと割り切れる。だが、私の人生はそうでもない。大切な何かを予め与えられて、そして大切なものを失った。得たものも、失ったものも姉だ。優しい姉だった。
同地和大の三回生に上がった頃、姉は突然、失踪した。姉の部屋には、可愛がっていた猫二匹が餓死していた。警察には、誘拐事件ではないかと何度も訴えたが、「事件性が薄い家出」と、冷ややかに門前払いされた。
姉は私の大学の学費を陰でずっと出し続けてくれていた。その事実を知ったのは、姉が消えてから、母の連絡によってだった。てっきり母が学費を工面してくれているとばかり思っていた。そういう約束だったから。
母はLINEで悪びれもせず、短いメッセージを送って来た《学費の滞納連絡が来たわよ。二回生からはあなたが自分で払いなさい》と。そこでピンと来た。あぁ、今まで学費を払ってくれていたのは母ではなく、姉だったのだと。
念のため、大学の事務部に問い合わせたが、「個人情報のため、ご自身のことであっても開示できない」の一点張りだった。事務部でアルバイトする同級生に頼み込み、裏から調べてもらった。
「今まで振り込んでいた名義人は、須藤真理だね」、と教えてもらった。やっぱり姉だった。
姉の失踪により、私の心の拠り所だけではなく、現実的な生活権を丸ごと奪い去られた。生活費に加えて学費も稼がなければならないのだ。母からは大学進学時に「生活費は自分で何とかしなさい」と突き放されていた。「その代わりに学費は払うから」と、何の交換条件なのかわからない一方的な要求をのんだ。蓋を開けてみれば、母は約束した学費すら、一円も払ってくれていなかった。
家賃二万五千円、風呂なし、共同トイレ。隣住人の寝息すら聞こえるほどの壁の薄い、昭和の戦後復興から取り残されたようなボロアパート。その安すぎる家賃ですら、私はほどなく滞納した。
節約の限りを尽くしても、どうしても足りない。服は友人からのおさがりやフリマアプリで、化粧品はデパートのコスメカウンターを回って集めた試供品。最近は通販の無料お試しも便利だ。外食はしないし、昼は梅おにぎりを二個大学に持っていく。それでも私の口座からはジリジリと残高が削られていった。時間に融通の利く清掃のバイトだけではギリギリで、だからといって掛け持ちできるほどの体力もなかった。夜の仕事も考えてみたが、お酒も飲めない。幼くして父が亡くなったこともあって、男性と話すのも得意ではない。
そんな言い訳ばかりの生活で、家賃の滞納が三カ月に達してしまった。救いの手を差し伸べてくれたのは、アパートの大家夫妻だった。退去ではなくアルバイトを紹介してくれた。夫妻はアパート周辺の地主でもあったことから、顔が広かった。奥様が退去宣告の代わりに一枚のメモをくれた。
「これ、私たちがオーナーのコンビニ。少し夜は遅いけど、割のいいアルバイトよ」
その温かさに、私はその場で崩れ落ち、声をあげて泣いた。それが私の命綱となった深夜コンビニのバイトだった。
深夜のコンビニは慢性的な人手不足だ。バイト代を上げても、人が集まらない。私のようなワケありでもない限りこの時間帯に働こうとは思わないのだ。だが、私にとっては、このアルバイトは命綱だった。時給千八百円、余ったお弁当は持って帰ってよし。給料日には、生理用品や洗顔、化粧水や乳液、ペンにノートがビニール袋にガサッと入れられていた。大家さん夫婦のおかげで、私は大学を卒業できた。
そして、このバイトは、姉の失踪に私なりの解を見つけ出せた。真田さんとの出会いだ。
深夜のバイトと言ってもシフトは二十二時から翌朝五時まで。その店に、二度も強盗がやって来たのだ。一度目は、バイトを始めたばかりの頃。いきなり夜は、と店長の心遣いで昼間にシフトを変えてもらっていたため、遭遇しなかった。
四月中旬、深夜一時、店に押し入った強盗犯にベトナム人留学生のグェン君は大人しくレジの金を差し出した。しかし、彼の真骨頂はそこからだった。気は弱いがやたらと肩が強い。自転車で逃走する犯人の背中に向けて、カラーボールを完璧なコントロールで投げつけた。「一度でいいから、投げてみたかった」彼のささやかな夢は、帰国前に叶った。後日、防犯カメラの映像でグェン君の雄姿を確認した。オーナー夫妻と息子の店長、私、みんながグェン君に拍手喝采を送った。
強盗犯はほどなく逮捕されたが、地元の市会議員の放蕩息子だった。保釈金を積んで、必要以上の取り調べも受けずに済んだ。地元のローカル新聞にも一行たりとも掲載されず、強盗事件は大人の汚い力によって、揉み消された。
二度目の強盗事件が起きたのは、私の深夜シフトの日だった。一度目の事件から半月ほど経った、ゴールデンウィークだった。午前二時頃、客足は完全に途絶えていた。発注業務はAIが自動で行うため、深夜の仕事は退屈な掃除ぐらいだ。モップ片手に、アイスケースの底から無限に湧きあがる結露を黙々と拭き取っていた。
チーンと、静まり返った店内にレジ前の呼び鈴が鳴り響いた。肉まんとおでんの混沌とした匂いがレジ付近に漂う。
目出し帽も、マスクもサングラスもない。強盗犯は素顔のままでレジカウンター前に立ち尽くしていた。見覚えのある顔は、瀬野純也だった。グェン君のカラーボールを背中に喰らった、あのマヌケの強盗犯だ。保釈されてもなお、同じ店を襲う知性の低さに、私はクラクラと眩暈を覚えた。
「あの、クソベトナム人を出しやがれ!」
瀬野は狂ったように叫んでいた。酔っぱらっているのか、薬物が決まっているのか。焦点の定まらない目がざらりとギラついている。
だらしなくへたるオーバーサイズのTシャツに、太もも部分が三車線はありそうほどに太いジーンズを合わせている。やせ細った身体に、服が二回り以上大きい。
店長との交代は、朝六時。グエン君はベトナムに帰省している。今、この異常な強盗犯と対峙できるのは、私一人しかいなかった。
終わらない結露取りをやめて、モップを持ったまま、ゆっくりとレジカウンターの中に戻った。レジは私の聖域だ。ここでなら、私は最強になれる。私は腹を括り強気で、瀬野に対応すると決めた。
「従業員を名指しでお呼びいただいても、対応いたしかねます。お引き取りください」
と毅然とした態度で立ち向かった。マニュアルにはなかった。
瀬野はウエストポーチから、手入れの行き届いた果物ナイフを取り出した。
「うるせぇ、出せよ。あの移民のガキ、ぶち殺してやる」
グエン君は移民じゃないし、もちろん不法滞在もしていない。お父さんは、法律関係の仕事に就いている。ベトナムでもかなりの富裕層だ。将来は、自分の国でコンビニを経営したいと言っている。
果物ナイフといえども、刺されれば内臓を容易に貫く。痛いだろうし、血も出るし。最悪、死ぬ。時給千八百円で命を懸けるのは割に合わない。そんな命など、どこにもない。
時給百万円でもお断りだ、損得勘定を弾いた。まさにその瞬間だった。瀬野が縦横に振りまわした刃先が、私の右手の甲を掠めた。切れ味がいい。親指の付け根あたりから、中指の拳にかけて細い一筋の亀裂が走った。それは物理法則にのっとったのか、甲の薄い皮膚が二手に分かれて開いた。ワンテンポ遅れて、鮮血がどっと溢れ出た。
脳が「痛い」と悲鳴のような激痛を感じたのは数秒後。カウンターに貼られたコーヒーの価格表には、大粒の血が滴った。パウチされていたおかげで、血を弾いた。
死ぬのはご免だ、そう思った瞬間、視界の端から影が飛び込み、瀬野が視界から消えた。濃厚な煙草の臭い。瀬野の肉体が宙へと舞い、床へ叩きつけられた。
「何しやがる、このクソがッ!」
床に組み伏せられた瀬野が悪態をつく。彼を容赦なく踏みつけた男性は、息一つ切らさずに
「常連の警察官です」と低く落ち着いた声で答えた。続けて私に尋ねた。
「左手に握っているのはお金ですよね、それはこの強盗犯に渡すつもりでしたか?」
私は無意識に強く握りこんでいた左手を開くと、そこには数枚の小銭をお守りのように固く握りしめていた。
「よし、これで単なる傷害じゃなくて、『強盗傷害』が成立する。今回は不起訴にはならないな。マエのこともあるから、印象は悪いぞ。瀬野、これでお前もやっとパパのところから離れられるな」
吐く息が常に煙草臭いその男性は、売り物の消毒液と包帯を勝手に開封して、私の右手を素早く手当てしてくれた。すぐさま救急と警察へ手際よく通報した。赤色灯とけたたましいサイレン音とともにパトカーが到着し、すぐさま瀬野が連行されていく。
ほぼ同時にやって来た救急隊員は、改めて応急手当をしてくれた。搬送は不要と伝えると、念のため後で病院に行ってくださいと言われた。そのやりとりが聞こえていなかったのか、かけつけてくれた店長が「今すぐ病院へ行こう」と興奮気味に言ってくれた。救急隊員に伝えたように「あとから自分で行きます」と店長を制した。
いま私がここからいなくなったら、代わりのバイトもいないし店が回らなくなる。店長だって帰って寝た方がいい。そもそも、私の抱える貧困は、ケガ如きで休むことを許さない。
やがて、狭い駐車場を占拠していた三台のパトカーが赤色灯を消して立ち去っていった。だが、あの男性だけは、静かに店内に残っていた。
「これを、どうぞ」と名刺が差し出された。
『警視庁刑事部・課長・真田修二』
やはり本物の刑事さんだったのかと納得したが、真田さんは更なる衝撃を私にぶつけた。
「須藤美紀さんですよね。お姉さんの葬儀ではまともにご挨拶できずじまいで、申し訳ありませんでした」
真田さんはどうも回りくどい駆け引きが苦手なようで、彼は自分がかつて私の姉――須藤真理と交際していた事実を淡々と明かした。
私が高校一年生の頃、一回りも年の離れた姉が「彼氏ができた」と少女のように照れながら話してくれたことがあった。姉には、時に妹のような可愛げがあった。
あの時の彼氏が、真田さんだとは。しかも、元カノの妹のピンチをこんなにタイミング良く助けるなんて、話しが出来過ぎている。私の不信感を察したのか真田さんは、ゆっくりと説明した。
「以前、深夜の張りこみ中にこのコンビニのトイレを借りまして。その時、レジにいたあなたの横顔が、真理さんによく似ていて。ネームプレートの苗字も同じ須藤だったので。それと、葬儀でお見掛けした記憶と合わさって、確信して、お声かけしました」
その説明は、どこかやぼったくもあり、でも誠実さを感じられた。真田さんなら、警察が隠蔽している姉の失踪の真実を知っているかもしれない。もしかしたら、教えてくれるかもしれないと、淡い期待が芽吹いた。私から真田さんと連絡先を交換した。瀬野につけ狙われることがあると困るから、という理由を盾にした。真田さんも「近いうちに、ゆっくりお話しましょう」と言ってくれた。
姉は高校卒業後、地元の建設会社に就職し、得意の簿記を活かして経理部に配属された。それから、数年後に会社が倒産。途方に暮れていたところ、高校の同窓会で再会した初恋の相手・廻准一に誘われ、「廻探偵事務所」の事務員となった。廻は五歳になる子供のいる既婚者で、真理の初恋の相手。おそらく、ただそれだけの情報で、警察は二人の失踪を「ただの身勝手な駆け落ち」として処理し、まともに取り合ってくれなかったのだろう。
強盗事件から一週間後、私は右手の傷を気にしながら、真田さんを食事に誘った。姉の話を聞きたかったし、警察が隠蔽しているこの事件の背景について問い詰めたかったのだ。半日置いてLINEで返信が来た。13時ごろなら、半休を取るので大丈夫、場所は宇治駅近くのファミレスでと指定されていた。
お昼過ぎ、ランチタイムの喧騒が去ったファミレス『ジョージ&アン』は店員たちも一息ついた落ち着き感が漂っていた。入口のタッチパネルで「大人二名・喫煙席」を選んだ。発券されたレシートを持って、奥のボックス席へと進む。空調がほどよく効いていて、分煙とはいえ煙草の臭いが店内に薄く広がり、あの事件の夜の真田さんを思い出させた。
約束の時間に十五分ほど遅れて、真田さんは現れた。明らかに私を探している姿を見つけた。ドリンクバーで二杯目のオレンジジュースを注いでいた私は、真田さんに気づかれるように包帯を巻いた右手を挙げた。
お互い軽く会釈をして、私はボックス席に案内した。空調が効いた店内でも、真田さんの汗が止まらず、ぽつぽつと滴がテーブルに落ちた。ピシッとアイロンのかかったハンカチで、几帳面にテーブルの汗を拭きとり、そのあとで自分の顔を雑に拭った。
そのあとに、礼儀正しく「遅れてすみません」とあくまでも丁寧な言葉で詫びた。
日替わりのランチセットを二人注文し、料理が届くのを待たずに、私は本題を切り出した。
「姉が失踪してから、まだ遺体が見つかったわけじゃないのですが。死亡認定が下りる七年も経ってませんし、法律的には姉はまだ生きていることになっているのはわかっているんです。でも……」
あれほど前日から周到に準備してきた言葉が、うまく繋がらず口の中で順番も守らずに、だだ漏れ出た。
真田さんは、目の前のお冷には一切手をつけず、私の迷走する話をじっと受け止めていた。
「葬儀をして、区切りをつけないと前に進めなくて。真田さん、教えてください。姉はまだ生きてるんでしょうか? それとも誰かに殺されたんでしょうか?」
準備していた言葉がやっと出た。警察全体に向けられた私の敵意が、真田さんに牙を剥いて襲い掛かる。ちょうどその時、厨房から焦げたチーズの芳醇な香りがぶわっと広がる。張り詰めた緊張感とは裏腹に、私の腹の虫がぐううっ、と情けない音を立てた。
真田さんは私の目をまっすぐに見つめて、冷徹なトーンで告げた。
「結論から言うと、真理さんは亡くなっています。思いますじゃなくて、断言です。遺体の場所も、犯人も目星がついています。」
真田さんは一息に言い終えると、ようやくお冷を喉に流し込んだ。
「……殺されたのですか?」
「ええ」
苦々しい顔で真田さんはそう言うと、バッグから手帳を取り出し、その中から一枚の名刺を渡した。この前もらった名刺とは少し違う。
『警視庁・刑事部・特別掃討式課・課長 真田修二』
「特別、掃討……式課?」
「警察組織の中でも、最暗部に存在する組織です。暗殺および、超法規的粛清を目的とした部署です」
真田さんはサラッと言ってのけた。
「その部署の人が姉を?」
そこまで話したところで、ジュウジュウと凄まじい音を立てる鉄板ハンバーグとライス、大ぶりなトマトが盛られたサラダが私たちの間に滑り込んできた。店員が呼ばれ、親子連れのテーブルへと小走りで去っていった。
あたりに誰もいないのを確認して、真田さんは
「真理さんを殺したのは、ウチのメンバーではありません」と私の質問に答えてくれた。
目の前の誘惑に耐えられなかったのだろうか、真田さんはナイフを使わず、フォークでハンバーグを大きくカットし口に運んだ。私も遠慮なくサウザンドレッシングを適量以上にかけてサラダをむしゃむしゃと頬張った。苦手なトマトも無理をして食べた。
はたから見えればカップルに見えるだろうか、そんなことを考えながら咀嚼音だけの私たちのテーブルの異様さに真田さんも気づいたようだった。沈黙の間を埋めるように、話し始めた。
「課員が極秘裏に調査・追跡していたターゲットがいまして。運送業を営む男で、名前は重田則定、二十二歳。その人物が犯人だと断定しています」
真田さんの語気が徐々に強まっていくのを感じた。
姉が殺されたという動かしようのないゴールを突き付けられ、私は拙い自分の理解力に鞭をふるって精一杯、脳を走らせる。遠く遠くにもあるように思えるし、やっぱりここに居たぐらいの近さにも感じる距離感だった。
「どうして、どうして姉は殺されなければいけなかったんですか?」
硬いレタスの芯も噛むのも忘れて、飲み込んだ。
真田さんは答えなかった。私の出方を観察しているのか、何かを値踏みしているのか。
「真田さん、お願いです。教えてください」
私が食べ散らかしている鉄板の上に身を乗り出し、真田さんはバッグから取り出した、A4サイズの資料を一枚見せてくれた。そこには、夜の竹林のモノクロ写真が印刷されていた。
「動機が全く分からないんです。ともかくその重田という男は、萩尾山の獣道の先、大きな切り株の周囲に、五体の遺体を埋めている。これは事実です。供養しているつもりなのか、儀式なのか、ちょうど六十度ずつに、穴を掘ってね、その中の一体が真理さんです」
歪んだサイコパスの所業を聞いた瞬間、胸の最深部で最奥部――普段は頑丈な鍵をかけて、その鍵さえ闇に捨てていた領域から、どす黒く熱い『超負の結晶』が一気に表層へと噴き出した。
「……殺し、て、やる」
私の唇から漏れた呪詛に、私は正気を失っていた。真田さんと同じくフォークで大きくハンバーグをカットした。一口で、吐き出した呪いの言葉と一緒に喉の奥へと押し込む。真田さんは、私の狂気を見届け何も発しない。そのままハンバーグを食べ終え、小ぶりなサラダ皿に手を伸ばしていた。そして、二枚目の資料――手書きの人物相関図を私に手渡した。
「動機の解明が難しいですが、現場の遺体はウチの課付の鑑識にも確認させています。もちろん重田と鉢合わせしないように、張り込みもした上でね。ひどい殺され方だとは思うのですが、この相関図を見ても、重田と真理さんに繋がる手がかり見つからないのも事実で……」
犠牲者は五人。重田の母・重田幸恵、交際相手の都世原龍二、重田の同僚・平田正一、そして廻探偵社の廻准一とその事務員・須藤真理。母・幸恵と都世原、平田の三人は重田と接点があり何らかの動機はある。ないとしても、捏造できるレベルだと説明してくれたが、あまり頭に入らない。
真田さんのゴツゴツとした節の人差し指先が、相関図の端で孤立している二つの名前に触れた。廻探偵社の廻准一と須藤真理。
「廻と真理さんは、どこからも相関図の線が引けない。重田はおろか、他の被害者ともね。これが今の掃式の調査状況です。重田の暗殺命令も今のままでは、ウチのトップも出せずじまいなんです」
「ソウシキ?」
私の疑問めいた呟きに、真田さんはつぶさに反応した。
「すみません、私が所属する特別掃討式課の略称です。あまり気にしないで」
真田さんが言うことを額面通り信じるなら、特別掃討式課で暗殺してしまうこと自体はたやすいのかもしれない。でも、そんなことが世間に知られれば、どうなることか。警察組織はおろか国自体が、法がひっくり返る。
私が無用に考え込んでいる間に、真田さんはドリンクバーに行き、ホットコーヒーを持ち帰って来た。
「それで、真田さんがここまでのことを私みたいな一般人の小娘に話すだなんて、どういう意図ですか?」
真田さんはコーヒーの湯気越しに、冷ややかに答えた。
「復讐ですよ。だが、掃式では私的暗殺を厳格に禁じている。当然ですけどね、一応警察内の組織ですし。だから、俺は重田を取り込んで、掃式のルールに嵌めこんで、合法的に粛清しようと考えている」
暗殺および、超法規的粛清の違いがここでやっとわかった。暗殺は、外部の人間を。超法規的粛清は、掃式の内部の人間に対する処置というわけか。
真田さんの怒りが伝わってくるも、その源泉はどこにあるのか? 数年前に付き合っていた恋人が殺されたとしても、自分の全てを掛けるには動機が狂っている。たとえ、真田さんが姉のことを未だなお愛していたとしてもだ。課長というキャリアも、自分の人生も投げ捨ててしまおうというのか。
そんな真田さんへの妄想のせいか、愛とはいったいどういう形をしていて、心のどこに潜んでいるのか、知りたくもなった。あの憎しみのどす黒さと隣り合わせかもしれない。
私はすっと立ち上がり、ドリンクバーでオレンジジュースをなみなみと入れた。席に戻り、立ったまま真田さんの目の前で一気に飲み干した。
「私がやりますよ。それ、私もその掃式に加えてください。姉の無念を晴らすためなら、何だってやりますから」
姉の仇を討つ手段は、生温い法律だけじゃない。もしかしたら、真田さんのシナリオ通りに利用されているだけなのかもしれない。だが、それでもこの賭けに乗るだけの価値がある。
姉の失踪について一年近く、1ミリたりとも進展がなかった。「警察に任せてはおけないからね」と真顔で真田さんが発した言葉は、司法や警察に対する皮肉だろう。同時に、私の狂気的な復讐心を肯定してくれている。
この掃式という組織に入りたい、重田に復讐したい、その私的な熱量を真田さんは受け止めてくれたようだ。三回生七月の定期試験が終わる頃、真田さんからLINEが届いた。
《会わせたい仲間がいる》と。
それが、鳩子先輩と常夜先輩だった。鳩子先輩はわざわざ私と同じ同地和大学の大学院に編入した。重田への復讐には、『高篠藤巳』という男が絶対的キーマンになる。真田さんからそう告げられた。すべての実務は鳩子先輩が仕切るとも命じられた。
私は、高篠藤巳が所属する映画サークルに三回生の夏休み明けから入部した。鳩子先輩は秋期に大学院に編入し、高篠藤巳が掛け持ちする文芸サークルに籍を置いた。




