第十三話
土日は僕のような底辺配達業者にとっては稼ぎ時だ。というか、週末に動けないとなると振り分けられる仕事の量にも、質にも影響する。幸い、美紀はまだ大学四回生だったおかげで、平日の日中に呼び出す余裕があった。それにしても、ストーカー被害者と加害者の立場で、普段から会うというのは無理があると思う。美紀と会う日は、パリッとアイロンをあてた白シャツを着ると決めている。白シャツに外れがない。オシャレでもないが、ダサくもない。僕にぴったりの色だ。無色であるけど、透明ではないところが救いだ。
自家用車が配達車でもあるため、車で移動する時は、美紀の軽自動車・パルッティを使った。無駄に天井が高く、荷物がたっぷり積み込めるとファミリー層に人気の車だ。以前、どこかの配達先で見たことのあると感じたが、没個性的な量産車の既視感だろうと高を括っていた。
「ねぇ、一日に最低五十通は私にLINEしてよね」
美紀はハンドルを握りながら、見通しのいい六号線を抜けていく。周囲は住宅街から離れ、フロントガラスの向こうには、ロードサイドならではの紳士服店やファミレスの看板がゆっくりと後ろへと流れ去っていく。
「すみません、LINEって苦手で」
「ストーカー設定でしょ、既成事実をちゃんと積み重ねておかないと、警察に出そうにも証拠として機能しないじゃん」
『じゃん』は、ヨコハマ弁と聞いたことがある。生まれも育ちも京都のくせに、薄っぺらい若者言葉を混ぜる。助手席から整った美紀の横顔を眺めていた。
僕からの返事がないのを不満に思ったのか
「返事はすぐ、LINEに限らず。じゃないと、殺すよ」
と美紀はブレーキをゆっくり踏みながら、天気の話をするような軽さで脅し文句を投げかけた。運転している姿が様になっていて、大学で見かけたときよりも大人っぽく感じる。
六号線を道なりに進むと、色褪せたネオンが昼の太陽に晒されたラブホテルエリアに差し掛かった。美紀は迷いなく左折し、ガラガラの駐車場に手慣れたハンドルさばきでパルッティを停めた。さびれたラブホテルの入口には、『ランチ付き昼休憩』と手書きのペラ紙が貼りだされている。
「ここのポモドーロ最高なのよ」そう言って、美紀は一番安い一〇九号室のパネルから鍵を引き抜いた。何度も言うが、俺はストーカーする側で、美紀はストーカーされる側だ。ラブホテルに入るか? とエレベーターで美紀に詰め寄ったが、「それが?」と虫けらを見るぐらいの目で僕を黙らせた。
部屋に入り、僕たちは服を着たまま、ソファーに座って入念に打合せをする。三月の卒業式で、高篠藤巳という男を殺害するというものだ。
「卒業式、一番大きな校門前で、高篠藤巳に『この人彼氏』と言うから、設定どおり逆上して、その男を刺し殺して」というものだった。
無茶苦茶な話だ。なぜ? こいつは誰? といった質問を挟むも、「ストーカーって設定でしょ、プロット通りなの」と答えるばかりだった。高篠藤巳についてもう少し教えて欲しいと、美紀に食い下がったタイミングで小気味いいインターフォンが鳴った。
フロントからランチの配膳だった。このホテルには小さいながら厨房があるらしく、受付の老婆の夫が元一つ星イタリア料理店の副料理長だったそうだ。
大振りの皿はラップがかけられておらず、そのまま厨房から運びんだようだ。ドア前でアルバイトの女性がテキパキと美紀に料理の説明をしていた。テーブルの上に置かれたポモドーロからは、噴き出るような熱い湯気が上がっていた。
美紀の説明によると、ポモドーロとは新鮮なトマトに、バジルやニンニクを合わせた極めてシンプルなパスタだ。肉も魚も使わない。トマトの爽やかさに、食欲そそるニンニクの香り。仕上げに加えられたパルメザンチーズが実に、奥深い深いコクを生み出している。
「うまいっすね、これ」
何も食べていない子どものようにフォークを動かす僕を見て、美紀は
「そうなのよ、私トマト苦手なんだけど、ポモドーロなら食べられるっていうか。ここのシェフの腕がいいからかなぁ」
トマトが苦手だなんて、血まみれ必須の殺し屋の割に、やけに人間味がある。美紀は僕よりも後に手をつけて、僕よりも遥かに早く食べ終わった。紙ナプキンで上品に口元を拭うと、ヒールを履いたままソファーからベッドに移動して、美紀は言った。
「私が所属している団体はさ、『特別掃討式課』って言って、警察の組織図に載らないの」
「そう……とうしき……?」
「通称『掃式』って言われてる。音が似ているから、素人はただの『組織』って勘違いするけどね。私たちの仕事は、邪魔なターゲットを速やかに排除すること」
「仲間はいるんですよね? その掃式に」
この合法的な殺し屋たちの情報を手に入れておくこと、僕みたいな弱い人間においてはゼッタイに損はない。ポモドーロを食べ終わったあたりで、見計らったように、美紀が答えた。
「上司の真田課長に、先輩の鋼村さん。……あと、目立ったところで言うと、頭のネジがぶっ飛んでるトップクラスの殺し屋二人。鳩子先輩と常夜先輩もいたな。二人とももう引退したけど」
人の名前を覚えるのは得意だ。配達で鍛えたスキルとでもいうか、あるいは天性のものか。宛名を見ただけで、その住所が脳裏に浮かぶほどだ。
「ハトコ先輩って、その変わった名前ですね」
「そう? 慣れたけど、鳥の鳩に子どもの子。そういや、常夜先輩も変わった名前だね」
――指揮嶋鳩子、彼之矢常夜
配達エリアの住人ではないだろう。名前から住所が思い浮かばない。引退した二人は、掃式から命を狙われる立場となっていることまで教えてくれた。送り込まれてきた殺し屋と一戦交えれば許されるらしい。が、その生存率は極めて低い。掃式でトップクラスの殺し屋が送り込まれるからだ。美紀が教えてくれた話で興味深かったのが、殺し屋は基本的に相手の死を確認しないと言うことだ。
死んだフリをされて、至近距離から奇襲されることを嫌ってのことだという。だから、確認せずとも確実に絶命する『致命傷』だけを叩きこむ。銃なら頭部に二発以上。ナイフなら出血死を待たずに、呼吸を奪う肺や喉を刺す。
「これ、あげる。ダガーナイフ」
美紀のバッグから、鈍色を放つ刃がそっと手渡された。
「脇腹の下、そう、肋骨の隙間を狙って、逆手に持って下から突き上げるの。で、刺したら九十度捻じる。コレで致命傷。覚えてね」
昼間のラブホテルの一室で、殺しの単独レッスンまで受講するとは思いもよらなかかった。衆人の前で、こんな物騒なことはレクチャーできないし、掃式の話だって漏れ聞こえたなら、その場にいる全員を皆殺しにして口封じをしなければならなくなる。
美紀はおもむろに、ベッドのヘッド部のパネルを操作しはじめた。僕はソファーに座ったままで、妙なドレープがついたワンピースの裾を眺めていた。
「これ、ライトの調整ってわかる?重田くん」
美紀の問いかけに、僕はすくっと立ち上がって、膝をつきながらベッドを四つん這いで前進した。パネル部に差し掛かったところで、背後から美紀の細い両腕が僕の頸動脈を容赦なく締めあげた。完璧すぎるスリーパーホールド。だが、明確な殺意は感じられない。
「ねぇ、重田君の過去の五件の殺人事件、あれ掃式の上層部も握ってるんだよね」
細い腕が蔦のように絡まって離れない。呼吸が浅くなり、視界の端がチカチカと明滅する。世界が狭くなり始め、死の恐怖が脳内に広がる。殺気なく殺せるのか……
僕は抵抗を諦め「まいった」の意味で、必死に美紀の左腕を二度タップした。
「失敗したら、始末されるから。注意ね」
締まる腕の中で、小さく頷くと美紀は高篠藤巳について話し始めた。美紀は満足そうに鼻を鳴らして、一枚のカルテをバッグから取り出しベッドに放り投げた。
高篠藤巳、二十二歳・百七十センチ、六十八キロ、同地和大学法学部四回生。就職先・未定、映画サークルBCG所属。
【特性】再生能力に優れ、少々の怪我なら数秒程度で自動治癒する。
再生能力? トカゲの進化版か?
美紀は僕から高篠藤巳のカルテを取り上げると、代わりに一枚の写真を押し付けた。映画サークルの飲み会の写真だ。随分と派手にはしゃいでいるようで、狭いテーブルに飲みかけのジョッキグラスが取っ散らかっている。飲み放題なら、グラス交換制が機能していなそうだ。
正直、いい男に見える。女に不自由したことのない僕でも、そう思う。眉は手入れしてなさそうだが、目元はキリっとした印象で、顔立ちは男臭くない。なんだろう、歌舞伎の女形みたいな。どっちにも行ける顔立ちというか。
「再生能力って、血が止まらなきゃ死ぬし、息だってできなきゃ、ねぇ、酸素が行き渡らなくなるから。死んじゃいますかね……」
自信なさげに見えたのか、美紀は神妙なトーンで
「できるよね?」
感情の消えたプロの殺し屋に戻っている美紀に気圧され、僕がわずかに逡巡を覗かせると
「この案件うまくできれば、異例の報酬と三階級昇進らしいのよね。私が昇進しちゃうと、真田課長を追い越しちゃうから、それは避けたいのよね。管理職なんてやってられないもの」
――その言葉が、僕の中で弾けた。
三階級昇進、この男を殺すだけで立場を手に入れられるのだ。配達からもおさらばできる。
「僕やりますよ、でもこの件うまく言ったら、美紀さん僕の部下になっちゃいますよ」
美紀はパネルを操作して、部屋の灯りを消した。視界が一気に暗闇に包まれた。耳元で美紀の甘い息が触れた。
「重田くんの部下、興味あるわ」
と囁かれた。誰が聞いているわけでもないのに。首元に金尺定義を押し当てられているような冷たさを感じ取った。
再びライトが灯ると、美紀はさっき僕にくれたダガーナイフを垂直に立ち起こし、僕の首筋に沿って切っ先でゆっくりとなぞりはじめた。
「大切なナイフ、肌身離さず持ってないとダメよ。そんな腕前で私の上司になれるかしらね」
そう言うと、美紀はフロントに内線し、チェックアウトと手慣れた口調で伝えた。部屋に入ってからまだ一時間弱ほどだった。
高篠藤巳をぶっ殺してやる、これまでの五人とは違う動機で殺せるのはなんだかやりがいを感じた。




