第十四話
帰りの車中、無言の時間に押し出されるように、自分の過去を安く売っ払った。関係性の薄く浅い相手に、時間をかけずに自分をわかってもらうには、欠点やミスを卑下して伝達するのが手っ取り早い。共感なんていらない、見下されるてナンボなのだ。自分より下の人間だと思われるのが目的。憐憫とまで言えば大げさだが「そうなんだ、大変なんだね」とマウントを取られるぐらいを目指す。
何も大変なことはない。相手の心のドアを開けるために、少し盛ったエピソードを提供しただけだ。「何が、どう大変と思ったんですか?」なんて聞いてはいけない。相手は何も考えていないし、何も思っていない。脊髄反射で相手を見下しているだけなのだ。
この自分をシステムとして卑下できない人は、自己愛が強いと思う。
自己愛が強いとは、自分を客観視できない精神状態だ。世界を見る眼差しが、常に内側にだけ向いている。興味の対象が良くも、悪くも自分に限定しているのだ。
自分をバラバラに解体して、時に卑下もできるような僕は「自己愛が低い」と言える。自己愛が低いと、眼差しは自分ではなくてその周囲の人やモノに目移りする。
「私、重田くんに、あんまり興味ないんだよね。だから、そんなに気負って自分を切り刻まなくていいから」
美紀のきっぱりとした物言いに、不快感が表情に出ていないか助手席側のミラーで確認する。よくわからない何かが胃液とともに、胸の真ん中あたりまでせり上がってくる。
「興味ないって、そりゃぁストーカーのこと知りたいとは思いませんよね」
役割とはいえ、女をストーカーする気持ちがわからない。付きまとったことで、今の不利な関係が改善できるとは思えないからである。ストーカーをしてお付き合いできました、ヨリが戻りました、なんて話を聞いたことがないからだ。それなら、とっとと殺してしまえばいいのに、とシートベルトのナイロン繊維を撫でながら考える。自分の倫理観は、生まれつきか、五人も殺してからか、どの時点から狂ったのか。
卒論が忙しいからという建前だろう、ホテルで会って以降、美紀と会う機会はなくなった。第三者に僕たちの接触を目撃されると、「ストーカーに一方的に付きまとわれていた被害者」という美紀のシナリオが狂うからだろう。
学生マンションの狭いワンルームに引きこもるような生活が始まった。食料の買い出し以外は外出することがない。部屋に圧迫感あるボリュームで占有する本棚には、九十年代の少女漫画や最近のサッカー漫画、巨匠のホラー、エロ、料理に、ファンタジーと、節操のないジャンルで埋め尽くされている。
どれも、いちいち買うのが面倒だったので、調達してたものばかりだ。調達といっても書店やコンビニで万引きしたというわけではない。誰かの所有物を掠め取ってきたのだ。喫茶店のラックから、理髪店の本棚から、病院の待合から、ありとあらゆるところから、一冊ずつ盗んだ。
五巻あたりまで盗むと、流石に店側も気づくので、その都度、新しい店を開拓した。だから僕の本棚には同じタイトルが綺麗に揃っていることは稀だった。
一度だけ、あのオカッパメガネ女が僕の部屋に来たいとしつこく言ってきたことがある。無下に断ってばかりだと、廻探偵を誘惑させて萩尾山に連れ出させる、という本来の目的が達成できなくなると考えた。だから、一度だけ部屋にあげてやった。一巻、三巻、八巻といった歯抜けの古本屋のような本棚に、オカッパメガネ女は
「この抜けてる巻、私持ってるからあげるよ」と意味不明なおせっかいを焼かれた。漫画好きという共通点、自分が持っている漫画を読んでいるという共感性や同一性、そんな陳腐なもので僕との距離が縮まったと錯覚したのだろう。
「そんなことしたら、キミの本棚が歯抜けになるじゃないか」
と遠回しに断りを入れたつもりだったが、彼女の脳は都合よく僕の言葉を変換した。
「いいの、いいの。私の持ち物が、ノリ君の部屋にあるって、それだけでサイコーなんだもの」
そう言いながら、オカッパメガネ女はスカートを脱ぎ、安物のパンティを部屋のどこかに投げ捨てた。随分と大胆に、いや図々しくなってきた彼女の行動に、本当に潮時だと処理の決意を固めた。
美紀とオカッパメガネ女、目鼻立ちが少し似ているような気もする。だが、女の顔なんて分解してしまえばそんなもんだろう。髪型とメガネ、あとメイクが違うのだから、似ていると言うのも変だ。横顔なんて、鼻筋と角度、二重の幅さえ類似していれば、凡人には見分けがつきにくいものだ。だから、指名手配の写真は、基本的に正面なのだ、よく姉貴が言っていた。
オカッパメガネ女が後日くれた料理漫画はファンタジーもので、カップルが冒険しながら狩りや採取をして、サバイバルながらの食事を楽しむというありきたりなつまらない漫画だ。主人公の勇者が「ノリ君にそっくり」と、オカッパメガネ女は会うたびに熱弁していたが、僕には微塵も理解できなかった。
ついでに、相方のエルフの魔法使いは、自分に似ているとも言っていた。オカッパでメガネなのは、そのキャラに寄せているからだとも。三十を過ぎて痛い女だったと、振り返る。殺さなければならない明確な理由はなかったが、殺した方がよかったとは今でも思う。どこから足がつくか分かったものではない。
そのためにも、姉貴が依頼した資料は処分する必要があった。廻探偵と事務員のオカッパメガネ女を殺した後、僕は廻の探偵事務所に侵入した。パソコンはPINコードについては、生前のオカッパメガネ女がご丁寧に教えてくれた。理由も尋ねずに、言われたことだけをする、従順というよりも「無私」と呼ぶべき空っぽな女だった。母と同じくセックスだけを心の拠り所にしている、哀れな生物だ。姉貴に関するデータをその場で完全に破棄した。紙ものの資料は全て回収し、自宅の台所で燃やして完全に葬り去った。
その次の日から僕は快眠快便、極めて安定した心身を取り戻した。不安な心理状態のままでは、食事をしっかりと摂り、ぐっすり眠ることはおろか、読書に没頭することも、セックスに興じることも、何ひとつとして楽しめなくなる。人生において不安こそが最も排除すべき厄介者なのだ。
そういう点でオカッパメガネ女を殺したというのは、僕の快適で素晴らしい人生を維持するためには、正当すぎる理由だ。他の四人についても同様だ。もしも万一、逮捕されることがあっても、裁判では百パーセント勝てる見込みがあると確信している。これで負けるようなことがあれば、弁護士がいかに無能かということだ。むしろ、社会の害悪となりえる人間を正しく間引き、秩序と安寧をもたらしたのだから、司法は僕を賞賛すべきだ。もちろん、母・都世原・平田さん・廻探偵の殺害ににも同様の賞賛を求める。
美紀にいつものとおり三十回目になるLINEを送る。《なにしてる?》や《声が聞きたいな》といったキモいストーカー構文で送っているつもりだが、そもそも美紀への恋愛感情が一ミリもないため、レパートリーを絞り出すだけで一苦労だった。美紀といえば、既読になるのは決まって午後十三時と、二十一時だけ。当然、返信はない。返信をしてしまえば、ストーカー被害者としての客観的事実が成り立たないからだろう。毎日律儀に五十通ものキモいメッセージを淡々と無視し続ける美紀の精神構造に、少し恐怖を覚える。
これが、もし本当に美紀に対して恋愛感情を抱き、日に五十通も無視され続けていると想像してみた。どんな気分が待っているのか? だが、想像の引き出しをどれだけ開け閉めしても、何も感じなかった。
オカッパメガネ女は「辛い……」とよく泣いていた。だが、彼女がどれだけ泣こうが、喚こうが僕を変えられっこないし、変わるつもりも毛頭なかった。だったら、殺すという行為や手段は、彼女の不毛な苦しみや不安を取り除くためにも、たベストとは言わないが、ベターな選択だったはずだ。ベストを望むなら、さっさと僕を捨てまともな男に乗り換えれば良かっただけのことだ。
三月三日朝八時、スマホの画面に通知が表示された。美紀からだ。LINEではなく、秘匿型の消えるメッセージアプリからだった。
《明日、卒業式。午後十二時過ぎに、校門前で決行。高篠藤巳の肺を突き上げるようにして刺殺すること。ダガーナイフを忘れないように。殺害後は、敢えて逮捕されるように。「掃式」の回収班が、証拠不十分かなにかでうまく取り計らってくれる。ナイフも回収して処分してもらえる手筈だ。なお、高篠藤巳の再生能力はどれほどのものか不明だが、致命傷を突くことだけを考えるように》
と長々と書き連ねてあるが、早い話「ちゃんと殺せ、その後は身内の警察官に大人しく確保されろ」、というものだ。掃式とはなんとも都合のいい組織だ。もっとも、高篠藤巳の再生能力とやらを、言葉通りすんなり受け入れたわけじゃない。だが、そう言うのだから、再生できないように最善を尽くすだけだ。殺して遺体を運び出せるのなら、あの萩尾山の竹林に六人目として埋めたい。そんな強い衝動が内からメラメラと湧き上がり、気が付くと激しく勃起していた。




