第十話
配達拠点は朝から晩まで稼働している。荷物の量は、異様だ。誰かにとっては待ち焦がれている何かであっても、僕にとっては達成するノルマのひとつにすぎない。“まごころ込めてお届け”、とバンの両サイドとリアガラスに印字されている。まごころ坊やという、無駄にぽっちゃりした男性のイラストが失笑を誘っていると感じる。坊やじゃぁないし、まごころなんて言ったもん勝ちかよ、と思わせるからだ。
プレハブ小屋の喫煙所でいつも会う五十代の男、平田さんとよく一緒になる。壁はヤニだらけで、天井は元の色がわからない。煙草を吸わない主任からはドブ小屋と呼ばれている場所だ。平田さんは、ここでよく自分語りをする。いつも、煙草がフィルターギリギリまで吸い込むのだ。
平田さん、配送業は長いようだが、最近小さな物損事故を起こしていると悪い評判が立っている。元請けの運送会社も、次に事故を起こしたら契約解除とお咎めを通達したそうだ。平田さんは、なんだよ厳しいよな、なんて悪びれもせず不満を漏らすけど、妥当だと思う。
ひとつ平田さんの味方をするなら、僕たちには朝から晩まで、配達ノルマがある。置き配もできない小汚いハイツなんかは、憎しみを覚える。燃えて無くなって欲しい。こういうヤツラに限って、やたらと通販で買い物をするのだ。配達中に再配達指示が流れて来ようものなら、荷物ごと捨ててやりたい。500ミリリットル入りミネラルウォーター24本を3箱頼んだアイツなんかは、本気で殺してやろうかと何度も考えた。実行に移さなかったのは、意外にもその憎しみが継続しないからだ。忘れっぽいのかもしれない。
自分で言うのもなんだが、ぱっと見、僕は好青年に映ると思う。身だしなみは気にしている方だし、シャツはいつも洗い立てだ。理髪店ではなくて、美容院でカットしてもらいツーブロックを維持している。
彼女は作らない。飲み会でトイレの前で連絡先を教えてくる積極的な子もいたが、返事はしなかった。女嫌いとかでもなくて、単に不誠実な人間だからだ。ガッカリさせたくないのだ。
人間だれしも表と裏があるというが、僕は裏の割合が多い。それは、どう少なく見積もってもあの毒母が原因だ。母の『騙し』の悪行をオペラの一幕のように、緩急つけて退屈させずに歌い上げられる自信がある。
独身だった姉貴の葬儀は、父よりも簡素に執り行った。友人もほとんどおらず、姉貴は美人だったが恋人もいなかったそうだ。
いよいよ僕の肉親は母だけとなった。姉貴に掛けていた生命保険の受取人となっていた母は、明らかに悲しみよりも喜びが頭の先から、つま先まで、漏れ出ていた。
「お父さんも、弓江も事故に遭うなんて。ホントついてないよね」
ついていない……、語彙の選定にクソ人間らしさが余すことなく染みついている。語彙の量じゃなくて、選び方そこに人格が現れると信じている。
母親が子供に生命保険を掛けるのは違法ではない。成人した娘に、どういう理由で生命保険をかけ、どういうつもりで受取人を自分にしているのか、 母に問いただすだけ無駄だとわかっていても、ぶつけようのない気持ちが増幅していくのに日々怖くなっていった。
――嫌悪など当に通り越して憎しみ、さらに憎悪、
肥大化した憎悪を張りぼての理性で包んでおくことの難しさ。配達の仕事に没頭することで、誤魔化し続けてきた。だが、喫煙所のドブ小屋で聞いた『ある話』から僕は母を殺すことに決めた。きっかけをくれた平田さんには感謝だ。
次事故を起こしたら後がないと、詰められていた平田さんが、先週の土曜日、また小さな物損事故を起こしたと僕に告白してきた。どうして僕に? という疑問もあったが、自分を窮地に追いやるヒミツを共有することで、「信頼しているからね」と身を切って証明したいのだろうか。
本題はここからで、平田さんが物損事故を起こしたのは狭いハイツの駐車場だ。Uターンがしにくいから注意が必要とよく言われていた。駐車場はの奥には積み上げただけのブロック塀が汚く立ちはだかり、その手前にコーンとコーンをポールで連結している。このポールにぶつけただけの物損事故だそうだ。
ポールはもともとキズだらけで、ぶつけた痕跡が明確にあるわけではないそうだ。写真も見せてもらったがよくわからない。一方、自身の配達車バンパーは明らかに凹んだと言うのだ。
「自腹は痛いけどさぁ、闇事故専門で修理してくれる板金屋があってさ、そこゴチャゴチャ聞いてこないんだよね。一説によると、人身事故なんかも、ほら、警察に届けずに修理してくれるって。初めて頼むから、調べたんだよねぇ」
平田さんは口が硬い板金屋だと言うが、本人の口は軽い。僕に有益な情報を提供したつもりなのか、どこか得意げだ。
くたびれたカーキーのツナギは随分と色あせている。こういう人は小銭ぐらいならチョロまかしても問題ないと思っているタイプだ。あくまでも印象で偏見ではあるが。
本当のことなんて何一つわからないのだから、偏見で自分以外の人間は人格構成されるものだ。だがその偏見を飛び越えて、一つだけ確実に言えるのは、平田さんは「嘘つき」だということ。嘘つきの母を持つ僕としては、平田さん程度のしょーもない嘘はいとも簡単に見破れる。
この板金屋に頼むのも初めてじゃないはずだ。
「人身事故したワケありの車も修理してくれるんですか?」
「そう言ってたよ」
「なんてところですか?」
長い間見つからなかったパズルのピースがこんなところにあったと確信した瞬間だ。
「都世原モーターズって言ったかな。ほら線路の向こう、小学校の路地を東側に入ったところ」
平田さんの要領を得ない説明に、震えた。僕の人生は偶然が少ない。最寄りの駅ではなくて、たとえば京都駅で誰かに会うなんてことすらない。偶然は必然の範囲にある、起こりうる出来事。単に「起こりそうもない」と思い込んでいるに過ぎないのだ。そんな僕に、とびっきりの偶然が起きた。
都世原モーターズ、何となしに配達の合間にスマホで検索した。
代表・都世原龍二とあった。
姉貴の遺品整理をしていて、ある興信所の封筒が見つかった。その中に都世原という苗字を見かけていたのだ。姉貴は母の素行について、調査していたようだった。珍しい名前だったからなおのことよく憶えている。調査資料では、都世原は母の不倫相手だと結論付けられている。
いいネタを手に入れた。母を追い込んでやるためには、この話はしっかり裏を取りたい。だが、この程度の落とし穴に、母が落っこちるだろうか? 不倫していた相手がいたことが今更わかったところで、感情をぶつけるはずの父はもう亡くなっている。調べていた姉貴も同じく。そんな状況で母から「不倫をしていた」と言質を引き出したとて、追い込めるか自信がない。
姉貴もそうだったはずだ。この不倫の事実から拡張した、不誠実な母の行動、つまり犯罪的な何かを暴かねばならない。そこまでしないと、母には太刀打ちできないと、姉貴は考えたはずだ。それは僕も激しく同意する。
僕は、興信所に重田弓江の弟と名乗り、この調査についての説明を受けた。
「お母さまの不倫の相手が、この都世原モーターズ社長の都世原龍二氏ですわ。調査報告書にはホテルから出てきた写真をつけてますが、あれ、おかしいなぁ」
廻探偵社の廻准一は首を傾げた。ぴしっと七三に向かって左から分け、白いドレスシャツに赤いネクタイと、グレーのパンツ。よく見るとちょび髭だったが、顔が覚えにくい。声のボリュームが大きく、学生時代は寄席で鍛えたと言う。大学生・素人落語家として、何度かテレビにも出たと自慢気に語っていた。とにかくよくしゃべるし、関西弁が似合う。
廻探偵が言うには、調査報告書の写真は、紙にプリントアウトしたものではないと言う。姉貴の家にあった調査報告書は十枚と、プリントアウトしたと思われる密会写真が五枚。
「これ、原本とちやいまっせ。うちの探偵社の押印、白黒になってるやん。これはコンビにとかでコピーしたんちゃうかな。それに、ワシ重田さんに渡した写真はL伴のいわゆる印画紙のはずやのに。そう、艶のあるピカピカの。せやけど、これはカラーコピーやね」
違和感のないイントネーションで、どこかに隠れていたパズルのピースが顕わになっていく。姉貴が自宅に持っていたのは、モノクロでコピーした調査報告書、カラーコピーした写真だったということだ。
姉貴が母の不倫の証拠となる原本のコピーを取ったということは、万一奪われてもいいようにということか。廻探偵に頼めば再発行もしてもらえるはずだが、姉貴はコピーを控えていた。
コピーをわざわざ控えにしている。
つまり、これは万一自分が亡くなったとき、原本じゃなくてコピーが残っている理由を考えなさいということではないか?
あまりにも飛躍した推理というか考察というか、姉貴の弔い合戦に飛び込んだ自分に酔っているのか。
「あれぇー、おかしいな」廻探偵が甲高い声を鳴らす。
狭い事務所で対面で座っていたものの、僕は気が付いたら廻探偵の隣に腰かけていた。硬い革製のソファー。ワンシーターが二つずつ対面に置かれている。ガラスのセンターテーブルに、レース編みのドイリーの上に、ガラスの灰皿が置かれていた。灰が良く落ちるのか、白いレースはタバコの焦げあとが目立った。
「お父さまの事故についての報告書がないですね」
「父の事故報告書?」
「ええ、私らの調査ではお父さまは、この都世原にひき殺されたと。自分の板金工場で修理までして、なかったことにしたようで」
廻探偵はおかっぱでメガネの女性事務員に父の事故報告書のプリントアウトを依頼した。事務員は元気よく「ハイ」と返事した。
事務員から手渡された父の事故報告書とやらは、ペラッとしたA4用紙一枚だった。表裏印字されていた。日付を見て喉の奥で声がぐっと絞られ、吐き出るのを躊躇して止まったように感じた。このまま息が止まるのではと、懸命に息を吸い込んだが逆効果だった。
ひとしきり咽たのを廻探偵はじっと待った。
父の事故報告書の右上に日付がある。これは、姉貴が事故に遭った日だ。
「いつ渡されたのですか?」
「ここにある日付、八月八日の午前十時だったと思います。事務所開けると同時に、重田さん来はりましたから」
父の事故報告書について説明したいと廻探偵から前日に電話があり、翌日の朝一番にかけつけたそうだ。姉貴が亡くなったのは、八月八日の午後十五時だった。平日で仕事もある日。この日、僕は配達のピークタイムだった。
「弓江さん、ご実家に向かわれていたんかなぁ」
横断歩道を実家に向かって渡っていたと廻探偵は言う。あまりにも不可解すぎて、地元の警察とは別に調べたそうだ。
姉が母のいる実家に行くことはない。とうに縁を切っていたのだから。それは僕も同じだ。実家に向かって、あの信号のない歩道を歩くことなどない。父が亡くなった現場でもあるからこそ、近づきがたいというのもある。
廻探偵がタバコよろしい? と聞いてきたのではい、と返事した。その間に僕はこれまでの話を整理した。
・母が不倫相手の都世原に頼み父を事故死にみせかけて殺害した
・ひき逃げをした車は、都世原のもので、自分の板金工場で修理した
・姉貴は「母の不倫」と「父の事故死」の二枚のカードで母を追い詰めるつもりだった
そして、ある確信に近い疑念がポコポコと僕のみぞおちあたりで、沸騰しる。
――察しのいい母は姉貴を事故にみせかけて殺害したのだ
姉貴が来ると言っていた時間から逆算し、脇の駐車場で待ち伏せさせた都世原の車で引き殺した。
そして警察署で遺体と面会し、そのまま遺留品を持ち帰り、自分を追い込むはずであった調査報告書のすべてを始末したのだ。きっとそうだ。
この世は、伝聞。自分の目で見ることが叶わないのだから、仮説に飛躍や無理が多少があったとしても構わない。要は、何をどう信じるかということだ。
事実の詳細な確認や、その証明は必要ない。母は父と姉貴を何らかの方法で殺した。それを証明する必要はない。動機がある、それを実行するだけの素行の悪さも備えている。
僕は母を殺して、その後都世原という男も殺す。そのための少しでもマシな理由を手に入れたかっただけだ。それは父と姉貴の死を利用しただけなのかもしれない。
僕は、母を殺す!
二人がハイキング好きだとは調査報告書にも記されていた。萩尾山での露出セックスに興じていることは調査報告書でも明らかだった。目を覆いたくなる報告の数々だったが、廻探偵の仕事への熱意や姿勢は誠実だと感じ取られるほどだった。
二人は決まって毎月一のつく日に逢瀬を繰り返している。曜日を問わずと廻探偵の報告書にもあった。直近はの一のつく日は、二十一日。俺は二人を待ち伏せし、本懐を遂げた。
母も都世原も、萩尾山でぶっ殺してやった。




