#8
「おいおい……なんだ、これは……」
途中で既にきな臭い匂いを感じてはいた。
比喩表現では無く、実際のきな臭さだ。
だからこそ、その時点でおそらくこうなっているだろうと予想していた光景が、目の前にあった。
――灰鹿亭が、燃えている。
「脅迫にしては強引すぎるだろうが……!殺しちまったら、カネは取れないんだぞ!!」
思わずそんな言葉が口を突く。
火元は一階の食堂部分だろうか?
二階の客室はまだ火が回っていないように見えるが、階下が焼けている以上宿の建物が倒壊するのは時間の問題だろう。
「おい、誰か水魔法を使えるヤツはいないのか!」
「魔法使いを待っとる時間があったら、井戸の水汲んでこい!」
周辺住民とおぼしき連中が消火活動を行っているが……まさに焼け石に水と言った様相だ。
ハンマーや斧を手にしたドワーフや腕自慢の戦士らしき連中が得物を手に周囲の建物を破壊し始めているのも見える。
消防車なんて気の利いたものがない世界じゃ、火事は大事になるだろうから、破壊消火するんだろう。
――オレ自身、火事とは関わりの多い人生だった。
草コインを商う前は地上げに手を出していた時期もあったが、どうやっても首を縦に振らない相手に対して組の上層部が最終的に使う手段は暴力、そして放火だったからだ。
当時からオレは無軌道な暴力は愚行だと考えていたが、オレが地主を説得できなかったことで、そいつの家が燃える。
つまりオレにとっては火事とは、自分が仕事をしくじったことを否応なく意識させる告発のように思えるものだった訳だ――
……そんな、どうでも良いことを考えていた時だった。
「ヤクザのおじちゃん!」
小さな人影がオレにむしゃぶりついて来た。視線を落とすと、そこにいたのは……宿屋の息子だ。
頬は煤けているが、怪我はしていないように見える。
「無事だったか。女将と主人は?」
「かあちゃんは怪我してる。とうちゃんは無事だよ」
「……何があったか話せるか?」
女将と主人、そして息子が無事であることに安堵しながらオレは事の経緯を息子から聞き出そうとした。
要領を得ない子供の話を纏めると、どうやらオレが出かけたすぐ後に2人組の冒険者が取り立てのために灰鹿亭を訪れたらしい。
借用書も持たず、ただ恫喝するだけの相手に女将は支払いを拒否。
そのことに激昂した――あるいは当初の予定通り――冒険者は店内で暴れ、開店準備が整ったばかりの椅子やテーブルをなぎ倒したそうだ。
「テーブル?……まさか、ランプの載ったテーブルを?」
「うん。そしたらランプが床に落ちて、そこから火が付いて……おかあちゃん、慌てて火を消そうとしたけど、火傷しちゃって」
火の付いたランプが載ったテーブルを蹴り倒すことがどういう結果を導くかすら理解できないのか。それともウスラー商会から、返済しないなら放火してこいとでも言われたのか。
どちらかは判らないが、その火が原因で灰鹿亭は炎上したそうだ。
――これは、オレの責任でもある。
オレが女将に借金の件はなんとかすると言ったせいで、女将はあくまで支払いを拒んだ可能性が高い。
余計な入れ知恵をしていなければ、カネは取られても宿が燃えることは無かったかもしれない。
ふとそんな事を思う。
いや、違うな。
確かにオレにもこの事態を招いた遠因はあるかもしれないが、根本の原因はそうじゃない。
暴力を振るったところで何も解決しないばかりか事態は悪くなる。
理由は簡単だ。
暴力は決して「合法」たりえないからだ――
「やはり暴力に頼るヤツは、最悪な結果しか引き起こさないってことですね」
倒壊する灰鹿亭を見やりながら、不思議と冷静さを取り戻したオレは、無意識のうちにそう呟いていた。
さて、問題はこの落とし前を誰に、どう付けさせるかということだ。
灰鹿亭に起きた出来事のそもそもの原因は義理人情で連帯保証人になった主人の愚かさと、そんな主人を裏切って夜逃げしたパン屋のせいだ。
機会があればパン屋にも責任をとらせるにしても……まずはウスラー商会にきっちりと「誠意」を見せて貰う必要がある。
これがご立派な勇者様なら義憤に駆られて正義のために立ち上がる所なのだろう。
だが、オレはあくまでもヤクザだ。
ウスラー商会が下手を打ったこの一件、可能な限り利用させてもらう。
――そんな事を考えたオレは、結局自分が異世界でも経済ヤクザとしての生き方しか選べないのだと気付き、可笑しくなった。
結局灰鹿亭から上がった火が完全に鎮火したのは夜明け近くになってからだった。
破壊消火に参加した冒険者達の数が多く、延焼は免れたが……それでも宿はほぼ原形を留めないまでに倒壊してしまった。
当然、オレが使っていた部屋も。
焼け跡に立ち入ったオレは、まだ仄かに立ち上る熱気に顔をしかめながら、自室のあったところを散策する。
女将に貰った服の残骸。焦げた枠組みだけになった、ここ数日寝床にしていたベッド。少しガタが来ていた椅子の欠片。
「結構高かったんですけどね、この教本。これじゃあ金貨100枚どころか、かまどの燃料にすらならない」
半分以上焼け、水浸しになった魔法の教本を手に、暴力の愚かしさを改めて痛感する。
その他にも焼け残った残骸をいくつか漁り、オレはかつて灰鹿亭だった場所を後にした。
女将は近くにある別の宿に運び込まれたそうだが、自分の宿が燃えたことでショックを受けているようだ。主人の方はもっと酷い状況で、茫然自失としかいいようのない有り様で立ち尽くしている。
それもそうだろう。自分とは直接関係の無い借金のトラブルで、生活の場であり飯の種でもあった宿を失ったのだから。
だが、オレが慰めても何も解決はしない。だからオレは一家の無事を確認した後、女将に革袋を渡し、その場を立ち去ろうとした。
「……あんた、これは……」
「世話になった礼と、見舞金です。借金の方はオレがなんとかします」
「何から何まで、すまないね」
「お気になさらず。もう会うことも無いかも知れませんが、気を落とされませんように」
ヤクザが火災被害者に見舞金を払うのはナンセンスだと思われるかもしれない。
だがオレは地上げで放火された家族にも見舞金は払うようにしていた。
もちろんそれは慈悲や親切心なんて甘いものじゃない。
オレのしくじりが招いた最悪な結果に対する自分なりのけじめと、そして何よりも……オレはこの件に無関係だと主張するための保険を掛けるためだ。
金貨100枚程度でこの一家が再建できるとは思えないが、少なくとも即座に路頭に迷うことは無いだろう。
オレは確かに女将に恩を受けたが、それはこの一家の面倒を一生見るほどのものでもない。
借りた以上のモノは十分に返せたはずだと、オレは自分に言い聞かせて……一家の部屋を後にした。




