#24
最初にオレの記憶を刺激したのは嗅覚だった。
濡れた犬のような匂いがする薄汚いガキ。
路地裏で時折見かける浮浪児が身に付けている古着よりも、さらに薄汚れたボロ布としか言いようがない服の匂い。
そして鮮やかな赤毛が、オレの記憶を鮮明に蘇らせた。
「ギルドで……ここへきたら、助けてくれるって」
そうだ、こいつは……オレがマールの代わりに退職金をくれてやったあのガキだ。
「うちは慈善事業じゃないんでね。余所を余所当たってもらえますか」
「ええ……」
こいつの扱いは大局に影響しない。
そう考えたオレは記憶の中で自分が行ったように、適当にカネを渡して追い払おうとした。
だがオレとガキのやり取りを見ていたシェラザードが立ち上がると、こちらに鋭い視線を向け短剣の柄に手を掛けた。
「……シェラザード?」
「主殿、その子供は……危険です。ご自身でご確認を」
「へ?ボク、別になにもしないよ……?」
赤毛はシェラザードの放つ殺気に気圧された様子だが、それでも怯えた様子はなく、ただ不思議そうにそう言った。
オレはサングラスを掛け、目の前のガキの簡易鑑定を行う。
『レベル1:』
……なんだ、これは……?
ガキの鑑定結果には、クラス名の表記が示されていなかった。
これはオレが今までに見た、どの鑑定結果とも異なるイレギュラーだ。
冒険者のような明確なクラスを持つ者は技能の習熟度合いに応じ、レベルとクラス名が表示される。
そして貴族であり、本職ではないが魔法の訓練を行ったコーディリアの場合は「貴族/魔法使い」というクラスが表記され、何の訓練も受けていないマールの場合は「レベル0:一般人」と表示される。
しかしこの赤毛はレベル表記があるにも関わらず、クラス名が表示されていない……?
オレは前回、何も考えずに追い出したこの赤毛に興味を持った。
「お前、名は」
「ボク?ルゥって呼ばれてるよ」
「ルゥか。お前、何者だ?なにをしに、どこから来た?」
「冒険者になって、お金を稼ぎに!山の村から来たよ」
小首をかしげながらそう言ったルゥの腹がグゥと鳴いた。
「ボス、その子と話をするならまず食事を……いえ、その前に風呂に入れて下さい」
コーディリアの言葉に、オレはルゥが未だ濡れた犬の匂いを放っていることを改めて意識した。
この世界では家風呂を保有しているのは一部の大店や貴族、王族ぐらいで、一般市民は公衆浴場を利用する程度だと聞く。
だが日本人であるオレは、風呂に入る習慣を忘れることが出来なかった。
なのでウスラーからこの事務所を奪い取った際、真っ先に改築を行い、浴室を設けていた。
加熱と浄化の魔導具を使った24時間循環式の風呂はそれなりに値が張ったが、QOLを保つためには不可欠だ。
そして、目の前の小汚いガキを綺麗にするにも役に立つ。
「シェラザード、頼めるか?」
オレはそう声を掛けたが、シェラザードは短剣の柄に手を掛けたまま、厳しい目でルゥを睨み付けたままだ。
……警戒している?
「……コーディリア、先に風呂の準備を。おい、シェラザード」
「主殿、この者の武装解除が先だ」
シェラザードはそう言うが、ルゥが持っているのは剣のような形をした木の棒ぐらいのものだ。
だがこいつがそう言うのなら、何か理由があるのだろう。
「ルゥ、悪いが装備はここへ置いていってくれ」
「取らない?」
「うちは魔法の武器も取り扱ってる商会だ。ただの木の棒を取るわけがないだろう」
「そうなんだ?わかった!」
そう言うとルゥは木の棒を放り出し、ボロ布のようなマントを外し……服を脱ぎだした。
「いや、服は風呂場で……っておい」
「下着、つけてませんね。というかこの子、女の子じゃないですか……。ボス?こんな年端もいかない子を抱くつもりですか?」
「冗談にも程があるぞ」
風呂の準備が出来たのか、戻ってきたコーディリアが言うように、ルゥは女児だった。
チラリと見えた裸体は色気も何もない細い体躯だったが、ただ痩せているわけではなく筋肉質なアスリート体型だった。
シェラザードが警戒していた理由は、これか……?
コーディリアに連れられ、裸のまま風呂場へ向かったルゥを見送り、シェラザードは息を吐いた。
そんなシェラザードに、オレは声を掛けた。
「あのガキ、クラス表記がブランクになっていたが……」
「ああ、我が見たのと同じだな。得体が知れぬ。警戒した方が良いと思うが」
「敵意の欠片もなさそうだったが?」
「今はそうだろう。だが我の殺気を受けてなお、平然としているあの様子……間違いなくただ者ではない」
濡れた犬のような匂いの、ボロ布を身につけた女児。
魔王軍四天王が警戒する得体の知れない存在。
それがオレにとって最大の切り札であり、運命の歯車を回す存在となるルゥ……本名、ルージュとの出会いだった。
風呂でコーディリアに洗い倒されたルゥは、薄汚い浮浪児から貧しい町娘程度には綺麗になった。
だが折角マシになった風貌もボロ布のような服を着ると元通りになる。
飯を食わせながら話を聞くにしても全裸という訳にもいかず、さりとて食事時にあの服の臭いを嗅がされるのは我慢がならない。
体格的にはマールの服を着られるようにも思えたが、あいつは冒険者ギルドで仕事中だ。
従業員とはいえ勝手に私室のワードローブを漁るべきか否かとコーディリアに持ちかけると、呆れた顔で頭を振られた。
「ボス、それはさすがにマールがかわいそうですよ。それにルゥはマールより背が低いですけど体格はがっちりしていますし、あの子の服は着れないと思います」
「そうか。ならお前のシャツでも貸してやれ」
「そうなりますよねぇ……」
結局、コーディリアが着古したシャツを一枚ルゥに提供し、その間にシェラザードが手際良く用意した軽食で昼飯を済ませることになった。
「……で、お前は何者なんだ」
「だからボクはルゥだって」
「名前を聞いてるんじゃない。素性だ」
「ボス、たぶんこの子……ハイランダーですよ」
「ハイランダー?」
ハイランダーという民族のことはオレも聞いたことがあるが、オレの知っているハイランダーは英国、スコットランドの高地民だ。
むろんこの世界にスコットランドが転移してきている筈もないだろうから、この世界での高地民ということなのだろう。
「そのハイランダーというのはどういう連中だ?」
「赤毛が特徴的で、狩猟や牧畜を営む人々ですが……。その、文明的には私達と異なるというか、少し遅れているというか……」
コーディリアは両手にパンを持ち交互に囓っているルゥに視線をやりながら、少し口ごもった。
ルゥの様子を見るまでもなく、コーディリアの言葉の濁し方で事情はおおよそ察することが出来た。
「要するに蛮族の類いか?」
「ボス、言い方。本人が目の前にいるんですよ?」
「コーディ、その言い方では貴女も同類ではないか」
「うっ……」
どうやらオレが思っている以上にこの国では異種族、異民族への偏見は強いらしい。
もっともボロ布を纏い、平然と人前で全裸になるこのガキを見ていると、文明社会に適合できていないというのは納得はできたが。
「それで、その田舎娘が出稼ぎに来たのは判ったが、冒険者志望ならうちではなく冒険者ギルドへ行けばいいだろう」
「行ったよ。でもお金ないと登録できないって言われたんだよ!」
ルゥの言葉にオレは若干のシンパシーを感じざるを得なかった。
なぜならオレ自身もこの世界に飛ばされ、現地通貨がない状況で銀貨5枚の登録料を請求されて金策を行うハメになったからだ。
「無一文なのか?よくそんな状態で街まで出てこれたな」
「村の皆が持たせてくれたお金、あったよ。でも途中の街道で食べ物がなくて死にそうだって言うおじさんがいたから、全部あげちゃった」
「常識的に考えて、ボロ布を纏ったガキにカネを集るようなヤツはいないと思うが」
「たちの悪い集りが、田舎から出て来たばかりの朴訥な相手を狙って同情を引くのは良くあることですが……」
「でも、あのおじさん、ありがとうって言ってたよ。今度はボクがお金なくて死にそうになったけど!」
コーディリアが呆れたように言った言葉に、ルゥが笑いながら応じた。
お人好しにも程があるだろう。
いや、こいつに飯を食わせている時点でオレも同類か。
「で、ギルドの受付でうちへ行けと言われたのか?」
「うん。ボクと同じぐらいの年の子が、ここへ行けって」
「……マールだな」
「マールでしょうねぇ」
「マール殿らしいな」
オレ達の見解は一致したが、どうしたものか。
確かにグレイディア商会は金貸しが本業で、金を貸すことそのものはやぶさかではない。
だがマールがギルド内で与信を行わずに直接事務所へ送ってよこしたことには、何か意味があるのかもしれない。
そう考えたオレはルゥを連れ、一度冒険者ギルドへ出向く事にした。




