#23
……しかし、奴隷商殺し?
その話はどこかで聞いた覚えがあるような……。
そう考えたオレは、グレイディア商会の事業を開始するにあたってコーディリアを雇用したあの日、雇用対象から外した番頭経験者のことを思い出した。
あの男の名は何だったか……。確か……そうだ、クロウリーだ。
「3件目だけ時期が空いていますが、その件について詳しく教えて頂けませんかね?」
「奴隷商殺しじゃな。生存者の証言によれば……治水工事を行う事業者からの依頼で、方々から集めた際の事件であると。複数名の借金奴隷を一括譲渡する際、本来なら発生し得ない反乱が起きたと報告を得ておる」
「もしかして生存者はクロウリーという番頭ですか?」
「なんと、ご存じじゃったか。うむ、証言者はその者で間違いない」
どうやらオレはこの世界で商売を始めた当初から契約書のバグとニアミスしていたらしい。
だが問題はそのクロウリーが何を語ったか、だ。
「司祭様は先程オレが口にした重複契約という言葉に心当たりがおありのようでしたが?」
「うむ。実は件の奴隷商人は極めて用意周到で慎重な男だったとかで――」
高司祭の言葉を耳にしたオレの脳裏にある光景がフラッシュバックする。
血まみれで息絶えたコーディリアの骸を抱きしめたオレに向かって、バルタザールが放った言葉。
ヤツはこう言っていた。
『慎重さが徒になりましたな』
つまり、オレとその奴隷商の共通点は慎重さということになる。
だが、慎重さと重複契約にどんな関係がある?
オレがそんなことを思案している間にも、高司祭の説明は終わっていた。
「――というような契約だったそうじゃ」
「つまり、本来なら奴隷の引き受け時と譲り渡し時にしか契約書を作成しないはずが、その奴隷商人は自分の所で数日一時プールするためだけに契約書を書かせていた、と?」
「うむ、番頭はそう証言しておった。ヤクザ殿の言葉を聞き、本来なら契約が存在しないはずの端境期に契約を重ねておったことを意味しておるように思えてのぉ」
高司祭はそう言うが、オレの見解は違う。
奴隷商人が反乱を許した理由。
契約書をシステムだと考えた場合に発生しうる、誤動作の原因。
バルタザールが口にしたコンフリクトという言葉の持つ意味。
……もしかすると、同じ契約条件の契約書がコンフリクトすると、制約を課すシステムが誤動作するのか?
オレが契約書に記したのは「グレイディア商会の関係者に危害を加えない」という条項で、その文言を「与信契約の契約書」と「役務による債務支払い契約書」の双方に記載していた。
だが仮に与信契約に「オレを攻撃するな」と記載し、債務支払い契約に「オレを攻撃しろ」と記載した場合。
両者の契約期間が重複している間、この条項は互いに矛盾する指示となりコンフリクトを引き起こす。
そしてコンフリクトという事象が発生しうるのであれば、矛盾のない同一対象を指定した同じ行動制限であったとしても……。
どちらの契約書による行動規制が効果を発揮すべきか……つまり、処理の優先順位が定められず、部分的に条項の効力が停止される可能性は否定できない。
そもそも本来であれば一連の契約書が連鎖的に効力を発揮するものである以上、片方の契約が満了したあとに次の契約が締結されるというのが厳密な運用方法だと言える。
それ故にルールを厳密に運用していれば、こういったコンフリクトは発生しないはずだ。
だがあの時、アーノルドが役務による支払いの契約書にサインをしている間、バルタザールは与信契約書を手にし続けていた。
つまり、その状況を整理した上でオレが立てた仮説はこうだ。
契約書Aに書かれた条項。
契約書Bに書かれた条項。
この両者の制約対象が同一である場合。
その内容が何であれAとB、双方の契約書が同じ相手を対象としていれば、制約内容に関わらず契約の重複状態となる。
本来であれば契約書Aが満了、破棄された後で契約書Bの締結が行われるため、AとBの間にコンフリクトは発生しない。
だがオレと奴隷商人は「慎重」であったため、Aの制約が維持された状態でBの契約を行い、結果として重複契約が発生した。
そしてコンフリクトした条項は、互いの優先順位が決定できず……どちらかの契約書が破棄されるまで、一時的にその効力を停止する。
この仮説が正しければ。
そしてバルタザールがこのバグを知っていれば。
奴が元々の契約書を手にしたまま、アーノルドに新しい契約にサインを促したことに説明が付く。
そして奴はこのバグを知っていたからこそ、死にゆくオレの慎重さを嘲笑い、そして重複契約という言葉を吐いた……?
その仮説はまだ確定事項ではないが、それでもあの時に生じた不可解な状況や言動の全てに意味が与えられたように思えた。
この仮説を確信に変えるため、オレはあえて高司祭に不敬とも取れる言葉を吐く。
「司祭様。一つ教えて頂きたいんですが。オレ達が日々締結する契約の内容は、女神様が一つ一つお目通し下さっているんですかね?」
「ヤクザ殿がこのエルフローラ神殿へ赴かれ、我ら司祭の立ち会いの下で結ばれた契約であれば、エルフローラ様もご覧になっておられますぞ。婚姻の儀や爵位授与などはそういった厳粛な契約の代表ですからな」
「では商人が神殿から購入した契約書で行うような、細々とした契約は……」
「さすがに女神様もそれら全てをご確認くださる訳ではないが、それでも商業と契約の神の名において結ばれた契約は神聖にして絶対的なものじゃ」
……つまり、神殿で結んだ契約以外はオペレーターの存在しない自動システムと同様のものであり、「強制」の魔導具と同等のものでしかないということか。
ならオレが考えたような同一対象を指定した制約の場合、内容がどうであれコンフリクトが契約システムをデッドロックさせる可能性は極めて高いということになる。
オレは高司祭に話を聞かせてもらった礼を言い、もし何か判ったことがあれば改めて連絡すると伝えて神殿を出た。
帰り際、仮説の検証に使用する契約書を何枚か購入することももちろん忘れずに。
事務所でエルフローラ神の契約書に潜むバグを検証すると宣言したオレに、コーディリアとマールは驚愕の表情を浮かべ、頑なに検証への参加を拒んだ。
それもそうだろう。二人はエルフローラの信徒ではないが、それでも契約業務を行うこの世界の人間だ。
自分達が常日頃世話になっている女神に逆らうようなマネに手を貸したくないというのは――オレからすれば噴飯ものの理由だが――理解できないでもなかった。
だが、今オレの手駒にはこの手の実験に最適な人材がいる。
「さすが主殿。あの女神に一泡吹かせる話なら、我は喜んで協力するぞ」
「さすが魔王軍四天王、頼りになるな」
「……見くびって貰っては困る。四天王でなくとも魔王領の者なら皆、我と同じことを言うだろうよ」
「そうか。なるほど、それは定期的に大規模な侵略戦争が起きるわけだな。……まぁそれはいい。検証を始めるぞ」
女神に一泡吹かせるという、こちらもまたオレには理解しづらい理由で協力を申し出たシェラザードを相手に、オレは重複契約が仮説ではなく実在のバグであることを確認した。
そしてそのバグを回避する方法としてオレが選んだのは……極めて単純な「条件分岐処理」だった。
「……これは主殿が女神を手玉にとったと見て良いのか?」
「女神そのものというよりも、契約書システムのハックだな」
「時々主殿の言葉は理解できんが……異世界の概念ということだな?」
「ああ、そういうことだ」
シェラザードの言葉に適当に応じながら、オレは今構築した契約書の文言を確認した。
『この条文は、他に同一条件での契約が存在しない場合に限り、効力を発揮する』
この一文を付け加えた契約書と従来の文言の契約書を組み合わせて用いた場合、2枚の契約書が重複した状態と片方の契約が満了した場合の双方でシェラザードの抜刀を禁じることに成功した。
理屈さえ判れば対処は簡単だが……普通の契約文言にここまで明示的で偏執的な条件を書くことなどまずありえないだろう。
「それで、この件はどうされる?このまま秘して女神に恥辱を与えるおつもりか?」
「オレは別に女神に恨みも敵意も抱いていないからな。むしろ女神と神殿に恩を売るために、この解決方法を高く売りつけるのはどうだ?」
「ふむ、さすがは主殿だ」
つまりは、そういうことになった。
ただしこの解決方法をエルフローラ神殿に売るのはバルタザールと対峙した後だ。
オレは暴力を下策だと思ってはいるが、それはオレに敵対した相手を見逃すことと同義ではない。
オレはオレのやり方で……そう、合法的に敵を潰す。
そのため武器として、このハックは利用できるからな。
これでバルタザールへの対策はひとまず完了した。
懸念事項があるとすれば……バルタザールが契約書ハック以外の方法でアーノルドを差し向けてきた場合だろう。
その場合、隻腕のシェラザード1人でアーノルド、ミリー、そしてシェリルの3人を捌ききれるかどうかという点だ。
未来の記憶ではシェリルの防御魔法でコーディリアの攻撃が防がれていたが、あの魔法がシェラザードの攻撃を無効化する可能性は否定できない。
司祭としてそれなりの実力がある、あの自称聖女は油断ならない相手だと見た方がいいだろう。
ミリーについては……攻撃の意思は見えなかったが、バルタザールと通じていた様子が窺えた。
あいつも盗賊と戦士のクラスを持つ手練れである以上、敵の1人だと考えておいた方がいいだろう。
と、なれば不確定要素を潰すための手札がもう何枚か欲しい。
そんなことを考えていたオレは、予想もしない切り札を手に入れることに成功する。
オレがその手札を手に入れたのは微かにしか記憶に残っていなかった、ほんの小さな出来事が切っ掛けだった。




