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#22

 宿暮らしだったシェラザードの引っ越しは当日のうちに終わったが、実家がラーゼンにあるマールの引っ越しには3日を要した。


 慌ただしく家具や衣類の搬入が行われている中、オレは仕込みの具合を確認すべく、独りエルフローラ神殿を訪れていた。


「……ですから、エルフローラ様の契約書に記された条項を破るなどということはありえませんから!」

「本当ですかねぇ?いえ、もちろん女神のご威光を疑っているわけではないですけどね。ただ聞いた話では……」


 エルフローラ神殿の契約相談窓口でそんな押し問答をしていたオレは、横合いの通路から神官服を纏った高齢の男が姿を現したことに気が付いた。

 あえて気付かぬふりをしながら受付嬢に応じている間にも、老神官は自然な様子を装いながらも真っ直ぐにオレの元へ近づいてきた。


「失礼。何か問題が生じておるようじゃが」

「高司祭様!あの、こちらの方がエルフローラ様の契約書が……」

「ああジェーンよ、この件は儂が引き継ごう。お客人、ここで騒ぐと他の方々の迷惑になりかねぬ。奥で話を聞かせていただけますかな?」

「ええ、もちろんですよ」


 オレが望んでいたとおりの展開だ。

 数日前、オレはコーディリアをここエルフローラ神殿に送り込み、契約書に生じる不備についての質問を行わせていた。

 エルフローラ神の契約書を用いた契約締結が一般的なこの国において、契約神の定めたルールに抜け穴があるなどという疑いを持つこと自体が異端に近い考えであることはコーディリアの言動からも明らかだった。


 だからこそ、あえてエルフローラ神殿でそんな話題を出せば、当然トラブル事案としてこの件は神殿上層部にも共有される。

 そして再度同じようなことを言い出す者が現れれば……対応を担当する人間が出張ってくるはずだという、オレの読みは当たったようだ。


 別室に通されたオレに対応するのは高司祭と呼ばれていた先ほどの老人と、屈強な中年神官の二人だ。

 おそらく中年の方は神官服を着た護衛か、僧兵の類いだろう。

 高司祭は笑みを浮かべたまま穏やかに切り出した。


「それで、どういったお話ですかな?」

「まず最初に自己紹介をさせて頂きます。オレはグレイディア商会の会頭をしている者です。ヤクザと呼んで頂ければ」

「ほう……商会の会頭殿でしたか。ではなぜそのような立場の方がエルフローラ様の契約に不備があるかのようなことをおっしゃるのですかな?」


 高司祭は目を細めるとそう斬り込んできた。早速本題というわけか。


「いえ、実はある知人から不穏な噂を聞きましてね」

「ほう、噂ですか。それでどのようなものですかな?」

「締結済みの契約書に記された条項が効力を発揮しない……そんなあり得ない話です。オレの商会でもエルフローラ神の契約書を使っていますが、もしそんなことが起きれば大変だと思いましてね。それで浅学の身では判りかねぬ事柄をこちらの神殿でお伺いしようと参った次第です」

「ほほう……では会頭殿はエルフローラ様の契約書を悪用されるおつもりはないと?」

「もちろんです。むしろどうやってそれを防ぐかをお伺いしたいと思ってるんですよ」


 オレの言葉に高司祭の表情が少しだけ緩んだ気がした。


 オレが求めることが「何故そうなるのか」という悪用可能な知識であれば連中も警戒を強めざるを得ない。

 だがオレが聞いたのは「いかにしてそれを防ぐのか」ということだ。それは商会の会頭として当然の疑問であり、エルフローラ神殿としてはもしそのようなことがあり得るなら、回答する義務が生じる内容でもある。


「さようでありましたか。ですが残念ながらエルフローラ神殿ではそのような事象は確認しておらぬのですよ」

「……重複契約(コンフリクト)

「……今、なんとおっしゃいましたかな?」

「何、オレにこのことを教えてくれた男がそう言っていたんですよ。重複契約(コンフリクト)、とね」

「それは……」


 高司祭の表情が険しくなる。

 エルフローラ神殿は契約条項が無効化されることなどあり得ないというスタンスを取るつもりだったようだが、オレが口にした「重複契約(コンフリクト)」という言葉に心当たりがあるらしい。


 これは半ば賭けだったが、どうやらオレは当たりを引いたようだ。


「会頭殿、その言葉はどこで?」

「ご存じかどうかは判りませんが、バルタザールと名乗る自称賢者から聞きました。生憎と詳細は聞き出せませんでしたが、ヤツはその方法を使ってエルフローラ神の契約を迂回できると息巻いていましたよ」


 オレの言葉にいつも通り真実と嘘が混じっている。

 重複契約(コンフリクト)という言葉をバルタザールから聞いたことは事実だが、ヤツは息巻くどころか実際にエルフローラ神の契約書を無効化しオレを……そしてコーディリアを一度殺している。

 つまりオレの言葉以上に事態は深刻だということだ。


 だが、そんな事実を告げると話がややこしくなる。

 オレが欲しいのはバルタザールへの対抗手段であり、そこへ繋がりうる原因の究明だ。

 あの男の正体が掴めれば、あるいはどうやって契約書を欺いたかが判るかもしれない――。



「バルタザール、ですか……。ふむ、それは儂の知る名とは異なりますな」

「……ということは、やはり契約書に記された事項を迂回する方法が存在しているんですね?」

「ヤクザ殿とおっしゃったか。この件、口外せぬとエルフローラ様に誓うことが出来ますかな?」

「……ええ、紙にかけて誓いますよ」


 もちろんオレは神の存在なんて端から信じていない。エルフローラの契約書についても、神の奇跡というよりも何らかの魔導具だと考えている程だ。

 よってオレが誓うのは女神ではなく(契約書)にかけて、だ。


 だが高司祭はオレの言葉の意味を正確に理解することもなく、鷹揚に頷くとエルフローラ神殿の恥部にあたる「ある事件」について語り出した。


 曰く、エルフローラ神殿が十数年を費やしてなお未だ解決に至っていない3つの事件。


 13年前の商人殺し。

 11年前の金貸し殺し。

 そして5ヶ月前の奴隷商殺し。


 いずれも契約の場で商人が殺害され、現場には締結済みの契約書が残されていたそうだ。

 そしてその契約書にはいずれも「被契約者が契約主に対して暴力を加えることを禁じる条項」が記されていたという。

 そう、それはオレ自身が契約書に盛り込んだ条項と同じ類いのものだ。


「……ということは、契約書が有効であるにも関わらず、商人達は殺害されたと?」

「うむ、その通りじゃ」

「もしや偽名を使ってサインをすると無効化されるということは……」

「ヤクザ殿、それは女神に対する不敬ですぞ。そのような簡単な手口で契約書が無効化出来るのであれば、小賢しい商人――いや、これは失礼。ずる賢い者がいくらでも不正を行うではないか」

「……ほう?」

「ヤクザ殿もご存じであろう。いくら偽名を名乗っていたとしても、エルフローラ神の契約書に記される名はその者が生まれ出でた時に与えられし真の名と決まっておる」


 高司祭は自信をもってそう言うが、オレがこの世界へ来てから記した契約書のサインは全てヤクザ名義だ。

 オレの本名がヤクザではない以上、これは偽名の筈だが……だが、人間鑑定の魔導具が示した関係結果には本名と並んでヤクザと併記されていた。


 なら、オレの場合はこの世界で最初に名乗った「ヤクザ」が真の名として扱われているということか?


 いや、オレの名前のことは今はいい。

 問題はその3件の殺しについてだ。


「ではその3件の犯人はついて教えていただけませんかね」

「商人殺しと金貸し殺しは同一犯、ジョーンズという魔術士であることは判明しておるのじゃが、この者は金貸し殺しの後、消息が途絶えておる」

「ジョーンズ……。では奴隷商殺しは?」

「こちらは複数名を一括譲渡する契約だったようでね、数名の名が記載されておった。それ故にどれが犯人かは特定されておらぬ」

「その中にジョーンズの名は?」


 オレの言葉に高司祭は黙って頭を振る。


 つまりこれはジョーンズという特定の人間のみが行えるチートではなく、何らかの条件によって極まれに発動しうる契約書の誤動作(バグ)のようなもの。

 そしてジョーンズは意図的にその誤動作を再現することが出来る可能性がある……ということか。


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