#9
冒険者達が帰った後、コーディリアはそろそろ終業の時間だと口にした。
「なら、そろそろマールが報告に来る頃だな」
「ええ。丁度雨も止んでるようですし、良かったですね」
マール、と口にしたことでオレはそれまで失念していた懸念事項を思い出した。
そう言えばあいつの実家に発注している与信記章の製造が間に合わないという話を何週か前にしていたはずだ。
「そういえばマルレイン工房の件はどうなっている?リスクヘッジに他の工房を探すと言っていた覚えがあるが」
「ああ、あの件ですね。……これを」
そう言うとコーディリアは書類を手渡してくる。
そこには与信枠を与えた冒険者の数と、与信記章の発行数がグラフ化されていた。
当初の予想値ではあと3、4週で製造が追いつかずに遅延する予測が記されていたが、最新の予想値では遅延の発生はさらに何週か後ろ倒しされている。
「これは?」
「二日間休暇を取った影響が出ています」
「なるほど」
元々の予想では毎日与信希望者が増加する前提で与信記章の必要数が算出されていた。
しかしグレイディア商会が連休を取ったことで、連休中の発注が無くなり、マルレイン工房側に少し余裕が出来ているということらしい。
その猶予期間で新しく採用した見習いが製造に参加できるようになれば、マルレイン工房がパンクする事態は避けられそうだ。
「……なら、工房の話は打ち切りでいいな?」
「はい、私もそう思います」
オレの言葉にコーディリアは同意し、この件はそれでカタがついた。
コーディリアが入れた茶を飲みながら、オレ達はマールが来るのを待つが……いくら待ってもマールは現れない。
「……遅いな」
「また雨脚が強くなってきましたし、今日はたぶんギルドの方も忙しかったんじゃないですか?」
「それもオレのせいか?」
「その通りじゃないですか。ともかく、今日はマールも来なさそうですし、表の看板を終業にしてきます」
そう言うとコーディリアは杖を突きながら事務所の扉を開いた。
「……あれ?これ……」
「どうした?」
「いえ、扉の外に書類が……。これ、濡れてますけど、うちの日報ですよ」
そう言って戻ってきたコーディリアが手にしていたのは、見慣れた小さな文字で記されたマールの日報だ。
濡れた紙面はまるで握りしめたかのような皺がよっているようにも見えるが……
「また使いを頼まれたエミリアの奴が手抜きでもして玄関前に放置して行ったのか?」
「そんな事はないと思いますが……」
コーディリアはそう言って外に視線を向ける。
既に周囲は暗く、雨音だけが陰鬱に響く屋外へ出るのは億劫になるような状況だ。
マールが来たのか、それとも誰かが適当なことをしたのかは判らないが……雨の中、あてもなく外に出て状況を確認するのは合理的ではない。
オレはそう考えた。
その考え自体は合理的で、決して間違ったものではなかったはずだ。
だが、結果的に……その判断が最悪の事態を招くことになった。
翌朝は快晴で、前夜の雨が嘘のように抜けるような青空が広がっていた。
オレは冒険者ギルドが営業を開始する時間を見計らい、マールの元へと向かった。
だが、冒険者ギルドのカウンターにも、グレイディア商会のブースにもマールの姿は無かった。
混雑するギルドホールでマールの姿を探していたオレに、本日分の依頼を掲示していたエミリアが声を掛けてくる。
「あれ、ヤクザ様?マール、知りませんか?」
「いえ、オレの方も探してるんですが……」
「そうなんですか?あの子、今日まだ来てなくて。商会の方の用事だと思ったんですけど」
エミリアはマールが出勤していないと言っているが、もちろんオレがマールに何か用事を頼んだ訳ではない。
オレは懐から昨日事務所の前にあった書類を取り出し、エミリアか誰かがこれを事務所へ持ってきたかと尋ねる。
「それ、商会の日報ですよね?昨日もマールが自分で持って行くって言ってましたよ。私は雨だから今日まとめて持って行ったらいいって言ったんですけど」
「なら、マールはこれを届けに?」
「え?あの子が届けたからヤクザ様がそれを持ってるんですよね?」
不思議そうにエミリアはそう言うが、それもそうだ。
つまりこれが事務所の前に落ちていたということは、マールは昨夜グレイディア商会まで来たということになる。
だが、何故か事務所に入らずに書類を置いて立ち去った?
不穏なものを感じたオレは、エミリアにマールが来たら商会へ来るよう伝言を残し、マルレイン工房へと向かうことにした。
もし入れ違いになっているだけなら問題はないが、懐の中の日報がそうではないと無言でオレに告げている。
マルレイン工房は街外れに近い職人街の一角にある、小さな家族経営の工房だ。
通りに向かって開いた扉からは、銀を溶かす炉から漂っているであろう金属の焼ける匂いと、槌を打ち付ける金属音が響いている。
普段であればどこか牧歌的で素朴な趣のある日常的な光景に、オレは何故か腹立たしさを感じた。
「失礼、こちらの責任者は?」
「えっと……あなたは?」
「オレはグレイディア商会の会頭をしている、ヤクザというものです」
「……!こ、これはヤクザ様!ようこそいらっしゃいました!父を呼んで参りますので、少しお待ちください!」
オレが声を掛けた職人らしき若い男は……おそらく2人いるというマールの兄のどちらかだろう。
そいつはオレに頭を下げると工房の奥へと走って行った。
苛つきながらオレが待っていると、やがて奥から年配の男女が姿を現した。
男の方は元職人らしきやや気難しげな様相で、女の方はどこかマールに似た印象がある。
この2人がマールの両親なのだろう。
2人は満面の笑みを浮かべ、オレに向かって深々と頭を下げると言った。
「よくお越し下さいました、会頭。そしてこの度は……娘を、マールを選んで頂きありがとうございます」
「……選ぶ?どういうことです?」
「いえ、先日よりマールは会頭の妾になれるよう努力をしておりました。昨夜は戻ってきませんでしたから……ヤクザ様に可愛がって頂けたのでしょう?」
何を言っている?
妾?
それに可愛がる?
オレの頭の中で、父親の言葉がここ数日のマールの様子とリンクしてゆく。
「……その話、マールが自分で言い出したことですかね?」
「いえ、私共がマールに諭したのです。商いで成功を収めておられるヤクザ様の奥方……は難しくとも、妾になれれば幸せになれると。うちのような小さな工房と、その娘には望外のことですから」
「ヤクザ様、不出来な娘ですが末永くご寵愛頂ければ親としても幸いです。……それと、可能でしたら記章の件も引き続き私共にお任せいただければと……」
どうやら父親だけでなく、母親もまたマールを……娘をオレに差し出すことがマールの幸せになると思っているらしい。
そして言外に、マールがオレの寵愛を受ければ自分達の工房が安泰であると考えているであろう事が伝わってくる。
「残念ですがね、昨夜マールはオレの所へは来ていませんよ。それどころか、今朝は冒険者ギルドにも姿を見せていない」
「……え?」
「あんたらは……。いや、その話はまた後にしましょう。今は時間が惜しい」
オレはそれだけ言うと、冒険者ギルドへ引き返した。
この所マールの様子がおかしかったのは、両親が吹き込んだ「オレの女になれ」という世迷い言のせいだったのか。
愛人契約を持ち出したのも、あの似合わない薄着を着て現れたのも。
マール自身が望んだことではなく、両親に望まれたこととして……おそらくは、実家を守るための手段として、マールは自らの身を差し出そうとしていたのだろう。
マールがそんな行動に走ったそもそもの切っ掛けは、おそらく与信記章の納品が遅れる可能性を自分が指摘したことにあるはずだ。
つまり責任感の強いマールは、自分が招いた事態を自分で解決しようとして……。
そして、どうなった?
マールが今どこで何をしているのか、オレには想像が付かない。
だが、早く見つける必要があることだけは確かだ。
「緊急依頼を!マールを探して下さい!」
「え?ええ?どういうことですか!?」
冒険者ギルドに飛び込んだオレが告げた言葉に、エミリアは戸惑いの声を上げた。




