第9話【ごめんなさい】
「……来ちゃったけど……」
乙女はふとツイッターのタイムラインに流れてきたライブインフォにつられてライブハウス『下北沢SHE THE R』に来てしまったわけだが、所持金がたった400円しかないことを失念していた。
「……ばっかじゃないの…」
所詮、現実逃避すらさせてもらえない世界。
ばかばかしい。
生きるのも面倒と思いそうになる。
そっと踵を返し、雨水に濡れた階段をまた昇ろうとしたとき、乙女の先にはオレンジ色の髪の少女が立っていた。
「どうしたの?傘も持たないで」
少し自信無さげな声、それでもその中に優しさを確かに感じた。
「あ…いえ、雨宿りをしようと思っただけで…」
「そっかぁ。確かに今日天気予報曇りだったしね。こんな時もあるよね」
彼女は泣きじゃくる灰色の空を眺めながら、乙女に語り掛ける。
「高校生?」
「まあ…はい。高1です」
「そっか。私も高校生なんだよ」
「そうなんですね」
「うん。高3。でね、私バンドやってるんだ。今日ここでライブするんだけどさ。雨はしばらくやまなそうだし、せっかくだからライブ見て行かない?」
——まあ、なんとなく、そう来るよなとは思った。
「見たいのはやまやまなんですけど、お金なくて」
「あぁ~まあ確かに高1だもんね。使えるお金は限られてるだろうし2500円は高いよね…。タダでいいよって言いたいところだけど、私もいかんせんノルマ代払わないとだし……」
「………」
「…う~~ん、でも初期投資も大事……かもしれないしこれから先ワンチャンファンになってくれる可能性も微粒子レベルで存在していそうだし……。えっと……。ちょっと待っててよ。まだ雨宿りしてて。タダで見させていいか聞いてくるから」
「え…えぇ……」
彼女はライブハウスの中に消えてしまった。
「…帰ろう……」
待っててと言われても、タダで見れるかも、なんて気持ちで待っているのもなんだか格好悪いような気がして嫌になる。
彼女には悪いが、さっさと帰るのが正しいと思う。
階段を上り始める。
雨脚は強まる一方だ。これから夏が来るぞと言わんばかり。神様の言う通り、今のうちに雨を目に焼き付けておけばいいのだろうか。
――――そして階段を上り終え、雨に降られる地上に出たところで、乙女の視界には、高貴なお嬢様の姿が飛び込んできた。
「乙女…?」
「は…っ……花葉…さん…?」
——花葉金糸雀が、そこにいた。
クラシカルなワンピース姿で、白い傘をさしているが足元や長い髪の先は濡れていた。
——あぁ、水も滴る良い女。
……なんて変なことを考えないように目を閉じて下を向いて深呼吸する。
「……」
「——まって!!」
——無言を貫いて素通りしようとしたところ、乙女の手は金糸雀によって掴まれた。
「…どうして…?どうして貴女は私を避けるんですの…?」
「……知らないわ」
本当に知らない。
今も、今この瞬間も、胸が張り裂けそうで辛い。
「…私は……貴女と仲良くしたいんですの…」
「…………私だって…もっと……」
もっと仲良くなりたい。そう思っていた。近づきたいと思うのに近づくのが怖い。
「……」
「……」
——続いた無言の時間。それを切り裂いたのは、オレンジ髪の少女の声だった。
「——ごめん!おまたせ未来のブルロスファン!私たち金欠バンドだけどやっぱり初期投資は重要だしっていうか結局お客さん少ないのは変わらないっていうか…って、説得はしようとしたんだけどやっぱり商売は商売で……ってあれ?お友達?」
「ぁえ、ええ…」
金糸雀が答えた。
そしてこれはチャンスだと言わんばかりに、乙女の手を取って階段を下りる。
「ちょ…っ…!」
金糸雀の柔らかい手が触れた。
「私が2人分出しますわ」
「え…」
「マ!?よし!お客さん2人ゲット!!人気バンドだ!!」
オレンジ髪の少女はガッツポーズをしていたが、乙女は困惑と恥ずかしさのような正体不明の金糸雀への感情で心臓が張り裂けそうだった。。
◇◇◇
フロアは閑散としていた。
あまり広くなく、キャパシティも200も無い程度の小さな箱だが、人の数はわずか20数人。出演バンドのメンバーもいると考えるとこの場に客は自分たちしかいないのではとさえ思えてくる。
「自己紹介遅れてごめんね。私、佐藤凛々華。Blueloseってバンドでのキーボードとコーラスやってるの。よろしくね」
「どうも…。暁乃乙女です」
「花葉金糸雀と申しますわ」
「私たち順番は2番目だから。最後のLEVORGERさんはもう凄いから、ぜひ最後まで見てってほしいな。…それじゃ、私準備あるから、またね」
そう言って、凜々華は『関係者以外立ち入り禁止』の扉の向こうへと消えていく。
「……」
そして、乙女の隣には金糸雀がいた。
何を話していいかわからない。
いや、何も話さない方がきっといい。乙女がそう思っていたところへ、金糸雀の方から言葉がかけられた。
「乙女。ごめんなさい」
「……なんで貴女が謝るのよ」
「…私のせいなのでしょう。貴女がそんな顔をして、ここに逃げ込もうとしていたのは」
「…貴女は何も悪くない。……全部私が悪かったのよ。……ごめんなさい。日曜日、貴女の手を払ってしまって。…ずっと謝りたかった」
「いいんです。私の方こそ…。少し調子に乗っていたのかもしれませんわ。…《《あの日》》、貴女は私を受け入れてくれたと思い込んでいたから…」
「あの日…?」
「SKYSHIPSのライブを見に行った日ですわ。…人の髪を触ることなんて今までありませんでしたの。…だから、余計に…」
「……そう」
「…乙女。私は、貴女と…………お友達になりたいんですの。……だから…その……仲良く…してほしくて…」
金糸雀とは横並びで話しているため彼女の顔は見ていない。…いや、彼女の顔を見てしまわないように横並びで前を向いたままで居続けていたのだが、さすがに耐えられずに、乙女は視界いっぱいに金糸雀の姿を納めた。
薄暗いホールの中でも、彼女は太陽だった。…けれど、雲がかかっていた。
「…そんな顔しないで。花葉さん」
乙女は無理して笑顔を作り、金糸雀の目を見つめる。頬が熱くなるが、今は気にしないでおく。
「…貴女は…笑顔でいるのが一番よ。……そして……。…………ごめんなさい。…私じゃ、貴女を笑わせることはできないと思う」
……To be continued




