第8話【離れる距離】
——火曜日。
乙女が教室に入ると、金糸雀はいつものように人に囲まれていた。相変わらず綺麗な顔。ただ、その顔にはどこか影があった。
「……」
乙女は無言のまま、教室の後ろの側から遠回りして、自分の席である窓側の一番前の席へと向かった。
「ぁ……」
金糸雀は乙女に言いたげだったが、乙女は無視を決め込んでいた。
金糸雀にはもう関わらないと決めた。いや、関わるなと、彼女の親友に言われたから。
関わるメリットがない。
人と関わるとろくなことにならないと、これまでの適当に生きてきた15年ですでに分かり切っている。
金糸雀のような人気者だと、とくに。
「乙女……どうして…ですの……?」
そんな呟きが聞こえたような気がしても、どれだけ金糸雀があからさまに自分のことを気にしているように見えたとしても、乙女は今日一日、彼女のことを完全に無視し続けた。
「乙女———」
———放課後、金糸雀のすがるような呼びかけさえも振り払って、乙女は帰路についた。
◇◇◇
家に帰った乙女は、そそくさとギターの準備に取り掛かった。
嫌でも気になる金糸雀を無視し続けたことによるストレスから、一刻も早く解放されたかった。
ES-335を構え、チューニングを合わせるとアンプの電源を入れゲインを最大にまで上げた。
「近所迷惑なんて知らないわ!!私は私のことだけで精一杯なの!!」
言葉にもならない感情をピックに乗せ、振り下ろした。
——あのライブの日からずっとだ。金糸雀のことばかり考えている。
なんでこんなに目を奪われてしまうのか、さっぱりわからない。
もっと近くにいたい。
金糸雀の顔を見ていたいし、手に触れたいし、触ってもらいたい。
この胸を締め付けるこの衝動の正体が不明で脳が締め付けられるようなもどかしさを退かしたくて片づけたくて仕方がない。
綺麗好きで部屋は片付いているのに頭の中はゴミ屋敷のように散らかりまくっているのがむかつく。
その大半が今は『花葉金糸雀』で埋め尽くされている。
狂わせるのも、今クラス内の人間関係であまりよくない立ち位置に立つことになった原因も、全部花葉金糸雀。
胸が苦しい。
……なんで無視したんだ。
◇◇◇
——水曜日。
教室に金糸雀はいなかった。
「——あのさ暁乃さん」
「…?」
乙女が席に着いた時、クラスメイト数人が乙女を囲んだ。
「昨日、花葉さんのこと無視してたよね」
「それが何か?」
「酷いとは思わないの?」
「……」
「傷つけたって自覚ある?」
「『関わるな』と言われただけよ」
「人に言われたから無視していいって?」
「最低」
「ヤバすぎこいつ」
———ああ。そういうことか。
「暁乃さんさぁ、あたし前々から思ってたんだけどさ。いっつもどこかスカしてるって言うかさ、ムカつくんだよね」
「ちょっと顔が良いからって調子乗ってんじゃないの?ねえ」
「一人でいるのがカッコイイとか思っちゃってるタイプ?」
「人気者の花葉さんに嫉妬してんじゃないの?」
「……」
——こういう時、なんて言えば切り抜けられるのだろう。
「あぁ、あたしらのことも無視するんだ?へぇ~」
「…じゃぁなんて言えばいいのよ」
絞り出した言葉は、結局攻撃的だった。
「あ?フツー謝罪だよね?」
「私、あなたたちに何かしたかしら」
「花葉さんのこと無視したよね」
「…わからないわ……」
——わからない。自分じゃない他人が悲しい想いをしたというだけで誰かを傷つけ始めるこの人たちの思考が。
「こいつやば、マジで人の気持ちとかわかんないんだ…。わかった、教えてあげるわ。謝っても許したりしないから」
――許すって、誰が誰を許すのだろう。誰が誰に謝るのだろう。
◇◇◇
——放課後になると、私はできるだけ素早く教室を去った。
そして逃げるように、雨の中を走って帰宅し、ギターに手を伸ばした。
————そこで、また金糸雀の顔を思い出した。
見るだけで癒される天使のような明るい微笑み。眩しい金髪。柔らかそうな肌。優雅で上品な立ち振る舞い。
——もう一度、近くで見たい。
何を、なのかは、無意識に歩き出したその目的地が物語っていた。
何かから逃げたいとき、命を守りたいとき、人はシェルターに逃げ込むのだ。
———ライブハウス『下北沢SHE THE R』。
地下へと降りる階段を下りた先、扉の前に立てられたプレートに書かれたライブタイトルは、『畦道へ、思い切って進め』。
出演バンドは『LEVORGER』と『Bluelose』に、ほか3バンド。
どれも知らないバンドだったが、それでもよかった。
ただ、ライブハウスだけが、自分の居場所になればいいと、そう、縋るような思いで、足を踏み入れた。
……To be continued




