100-13 ベルリッヒ工房にて
「つまり、接着するのは樹脂と歯……アクリル系とヒドロキシアパタイト……だったかな?」
ヒドロキシアパタイト、つまりリン酸カルシウムである。
「有機質のアクリル樹脂と、無機質の歯ですよね……」
「そうなるな」
いま仁は、カチェアも同席の上、工房長で技術者であるベルリッヒ・ベッカーと打ち合わせを行っていた。
「あくまでも『接着』だからな」
「そうですね。全く異なる材質同士ですから『融合』はできませんし」
「アクリルはともかく、歯の方は『融解』も効かないしな」
歯の『象牙質』には『象牙細管』という細い管が通っていて、その中は組織液で満たされている。
この『象牙細管』を通じて冷たい水などによる刺激が歯髄にある神経に伝わると痛みを感じる。これが知覚過敏である。
知覚過敏を防ぐには、象牙細管を封鎖する薬剤(コーティング剤)を塗布する必要がある。
あるいは、知覚過敏用の薬用歯磨き(硝酸カリウムが配合されている)を使用することで、象牙細管の封鎖が促進される。
閑話休題。
義歯と歯との接着は、なかなか難しいものがある。
「そもそも、『義歯』の製作工程はどういうものになるんですか?」
ベルリッヒ・ベッカーが尋ねた。
「ロウや専用の粘土などで歯の型を取って、それに合わせて義歯を作るんだ」
「ははあ……」
現代日本では型取り用のシリコーンゴムを使うことが多い。
仁には虫歯はなかったが、施設時代、年下の子のクラウン(被せ物)を作る際に付き添ったことがあるので知っていた。
「鋳造で作るアクセサリーのようなものですね」
「そう言ってもいいかもしれない。あっちは石膏型が多いけどな」
アクセサリー、例えば指輪を鋳造する場合、元になる指輪の原型を専用の蝋で作り、それを石膏で包んでしまうやり方だ。
石膏には金属を流し込む『湯口』が付いており、そこから溶けた金属を流し込むと、蝋は熱で蒸発してしまい、型どおりの指輪が出来上がる。
これを熱で蝋が消えてしまうところから『ロストワックス法』という。
実際に歯の被せ物を作る際の型取りは、どちらかというとフィギュア製作に近いものがある(シリコーン型だし)のだが、ベルリッヒ・ベッカーはそちらの知識はなかったようである……。
再び閑話休題。
「そうやって作った義歯を欠けた歯に接着したいわけだよ」
「そうするとやっぱり『接着』しかないですね」
「そうだろう?」
使用するシーンを理解してもらったところで、仁は用意したイメージスケッチを使って説明をする。
「こういう、少し太いペン状にしたいんだ」
「この先で『接着』させるわけですね」
「そういうことだな。使い方としては、接着する両面をこの……『接着ペン』の先でこすってから面を合わせる。その状態だと、仮止め程度の接着力しかないが、もう一度『接着ペン』でなぞることで強力に接着できる、というものにしたい」
「2段階に分けるのは、修正を考慮しているからですね?」
「そういうことだな」
一発勝負の接着ではズレてくっついた時、修正するのが大変なので、まず仮止めして調整し、2度目に強力接着する、というわけだ。
「あくまでも医療器具であって、『接着』のための工具ではない、ということだな」
「あ、その考え方、わかりやすくていいですね」
どうやら、ベルリッヒ・ベッカーは、仁の構想をちゃんと飲み込んでくれたようである。
「接着面積は非常に小さいから、使用する魔力も少なくて済む。だから魔力源は『魔力素蓄石』でいいと思う」
『魔力素蓄石』は、規格化された小型の魔力貯蔵庫である。イメージは単4電池。
ペン型なので『魔力素蓄石』一本で稼働するし、100回程度の『接着』使用ができるであろう。
「いいですね。……でスイッチは側面にボタン状のものを付けるんですね」
「ああ。ペンのように持った場合、人差し指が触れるあたりにスイッチが来るといいかな」
「それが無難でしょうね。スイッチとしては、押している間だけ稼働ですか? それとも、押す時間に関わらず、一度押すと一定時間稼働ですか?」
「押している間だけ稼動がいいと思うんだが」
「それですと、使用者によって押す時間、つまり接着力にバラツキが出ませんか?」
仁との打ち合わせに慣れてきたと見え、ベルリッヒ・ベッカーも、本来の調子を取り戻す。
彼は、構想している魔導具のシミュレーションを脳内で行えるのだ。
この能力があるため、ベルリッヒ工房における魔導具の開発期間は平均してよその工房の3分の2くらいなのだ。
「1回目の『仮止め』はまあいいとして、2回目の『強力接着』はバラつかないほうがいいだろうな」
「それには動作時間を一定にする方向で管理しますか?」
「そうだなあ……それでいこうか」
『接着』による接着は、対象同士の分子を『自由魔力素の網』で包み込むようなイメージである。
接着力を上げるには、この『自由魔力素の網の目』を密にし、安定させることになる。
「あと、外す際に、『接着』をキャンセルできるとなおいいな」
「あ、は、はい」
要求される機能が増えていくので、さすがに面食らうベルリッヒ・ベッカー。
が、ベッカーよりも仁との付き合いがそれなりに長いカチェアは平然としていた。
「ええとな、これらの機能は、まず大きな分類で『自由魔力素の網の制御』に集約されるんだ」
「あ、はい、そうですね」
ベルリッヒ・ベッカーの戸惑いを感じた仁は、さらなる解説を始めた。
「そこから派生する機能が『網の強化』であり『網のキャンセル』なんだ」
「あ、そういうことですね」
「簡単なことなんだが、意外と気が付かない人が多いんだよな」
「私も気が付きませんでした……」
「だが、これでもう、次からは忘れることもないだろう」
「はい!」
少し気を取り直したベルリッヒ・ベッカーは、その後の仁からの指摘をきっちりと理解し、仕様に落とし込んでいった。
そして1時間後。
「できたな」
「できましたね」
『設計基』が完成したのである。
「これがあれば、量産も簡単です」
「まあ、その前に試作を作ってテストをしたいかな」
「それはそうですね。では早速試作を作ってきます」
「頼む」
「はい!」
ベルリッヒ・ベッカーは張り切って工房へ向かった。
残ったのは仁とカチェア。
「……というわけだから、開発費その他諸々は『アヴァロン病院』につけてくれ」
「わかりました」
カチェアは手元の書類に何ごとか書き込んでいく。それはもう熟練の手つきである。
「仕様書と請求書、できました」
「おお、早いな」
「あとは試作品を添えて提出すればいいと思います」
「うん、やっぱり頼りになるな」
「ありがとうございます」
カチェアもすっかり『ベルリッヒ工房』の重鎮だなあ、と、仁は嬉しく思ったのだった。
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次回更新は5月8日(金)12:00の予定です。




