79-25 再度クゥプへ
老君によるチェルへの説得は概ね成功した。
その『基底命令』である『人類への貢献』は『拡張基底命令』によって、より具体的になり、行動の自由度を広げるだろう。
『拡張基底命令』とは……。
まず、『信賞必罰』。人を育てる上での重要なポイントだ。
次に、『人命の尊重』。これもまた、倫理上重要なポイントとなる。
さらに『犯罪者の更生』。教育次第で、社会の役に立つ仕事をさせられる可能性がある。
そして『最大多数の最大幸福』となる。
この3つにより、罪を犯した者に対し、『命を奪うことなく罰する』ことができるようになる。
これまでは『貢献』という部分が曖昧すぎて行動できなかったのだ。
ところで、AI(人工知能)の設計で『フレーム問題』というものがある。
一言で言ってしまうと、目的を達成するために必要な判断をどうするか、というような内容になるであろうか。
この時、完璧を目指すと、起こりうるあらゆる事象をシミュレートする必要が出てきて、結局行動できなくなる、という問題が生じる。
もちろん、目的達成しか視野にないと、その過程で起きるかもしれないトラブルに対処できないという問題も起きる。
チェルの場合、これに近い問題が生じてしまっていて、『麻薬』や『魔導具』を盗み出した犯人に対しての行動ができなくなっていたわけだ。
犯人を罰することがいいことなのかどうか。
信賞必罰。悪いことをした者は罰せられる。
では、どういうレベルで?
人命の尊重。自動人形であるチェルは、殺人を避け、然るべき組織に犯人を引き渡せばよい。
最大多数の最大幸福。
犯人は不幸になるかもしれない。だが、それよりももっともっと多くの人々の安寧が守られるなら、それは許容される。
さらに、犯人を更生させられればなおよし、というわけである。
と、このような処理が行われ、行動することを可能にしてくれるわけだ。
そして『拡張基底命令』は後付けであるがゆえに、自分自身で決定できる。
つまり、今、この時点でチェルは生まれ変わったわけだ。
「感謝します、『老君』様」
行動に迷いがなくなったチェルは、素直に礼を述べたのである。
『いえ、なんということもありません。……チェルさん、判断基準を確立するため、もう少し今の時代を知ってみる必要がありますね』
「それは望むところです」
『それでは、そのための水先案内人として、アンをお連れください。私はこれで引っ込みますから』
「そうですか。『老君』様、助言ありがとうございました」
そして老君はコントロールを手放し、アンは我に返った。
とはいえ、老君として語ったことはすべて覚えている。
「終わりましたね」
「ええ。アンさん、感謝しますよ。……それにしても、あれほどの魔導頭脳を作り上げられる『魔法工学師』様……ますますお会いしてみたくなりました」
「それは、また近いうちに」
「ええ。……それで、『老君』様はわたくしに、もう少し今の時代を知ってみろ、と言っていましたね」
「そうですか。それでは、『捜理協会』の件は保留として、当初の予定どおり、魔導具屋や工房を見学に行きますか?」
「それがよさそうですね。『捜理協会』は逃げはしないでしょうから」
「わかりました」
時刻はまだ午前10時、クゥプの町を見て歩くには十分である。
改めて、チェル、アン、ハーンらはクゥプの町へと移動した。
* * *
「賑やかですね」
「朝はまだ早い時間でしたから、人の流れもまだまだ少なかったでしょうし」
それぞれの役割は先程と同じ。
チェルが商人のお嬢様でアンが侍女、ハーンが護衛のゴーレム、という役だ。
まずは魔導具屋へと向かった。
クゥプで一番の大きな魔導具屋で、間口も広く、繁盛している。
店内は開放されており、ショーウィンドウ、ショーケース内の魔導具を見て回れる。手に取りたいときは店員を呼んでショーケースから出してもらうことになる。
魔導具は単価が高い物が多いので仕方がない。
「ふうん、ライターに、温水器、冷蔵庫……この辺は便利そうですね」
一連の日用品には感心したチェルであったが、
「携帯式の照明器具……? 暖房用の魔導具? ……なんでこんなに大きいのでしょうか?」
別のカテゴリーの日用品には顔を顰めていた。
〈……ああ、そちらにあるものの大半はごしゅじんさまとそのご友人が開発したものが多いですね〉
〈ふうん、そうなのですね。では、こちらは……〉
〈はい、従来から存在していて、ごしゅじんさまたちも手を付けていない分野ですね〉
〈随分と完成度が違うものですね〉
こうした会話は超音波領域を使って行われており、店内のお客たちには聞こえていない。
そしてこの店では素材も扱っており、チェルはそちらも確認している。
「素材の品質はそこそこ、といったところですね」
〈こちらは新素材になるはずです〉
〈ああ、本当ですね。これは?〉
〈『地底蜘蛛樹脂』ですね。地底に棲み、自由魔力素を食べて生きている魔物が吐く糸を原料にした樹脂です〉
〈ははあ、高い耐久力を持った素材ですね〉
〈そういうことになります。これも、ごしゅじんさまのご友人が発見したものですよ〉
〈ふうん……『魔法工学師』のご友人なればこそ、ですね〉
〈それからこちら〉
〈マギ・プラスチックですか……いろいろ応用できそうですね〉
「これをご覧ください」
「なんですの? ……あら」
アンがチェルに示したのは『魔結晶』。
それが各属性ごとに展示されている。
「見ているだけで目の保養ですわね」
「はい、お嬢様」
火属性の赤。水属性の水色、風属性の緑色、土属性の黄色。
色とりどりの魔結晶が大量に展示されていたのだ。
「価格は……随分と安いですね」
〈大戦末期は、資材が品薄になっていたせいもあるでしょう〉
〈……否定できません〉
こうした会話を交わしながら、チェルは店内をくまなく見て回っている。
〈進んだ面と劣った面がありますね……チグハグです〉
〈進んだ魔導具は、たいていはごしゅじんさまが関わっていますね〉
〈『魔法工学師』とは、そこまでの存在なのですか……すごいです〉
感心するチェル。
そしてひととおり見終わったので、足早に店を出ていくチェルであった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
20210628 修正
(誤)手に取りたいときは店員を読んでショーケースから出してもらうことになる。
(正)手に取りたいときは店員を呼んでショーケースから出してもらうことになる。
(旧)
〈そういうことになります〉
〈これも、ごしゅじんさまのご友人が発見したものですよ〉
(新)
〈そういうことになります。これも、ごしゅじんさまのご友人が発見したものですよ〉




