79-23 基底命令
理屈っぽい部分は読み飛ばしていただいて大丈夫です
仁と老君の出した結論。
まずはチェルたちの真意を確かめることからだ。……ただし、強引な手は使わずに。
『島基地』に戻ってから、アンはチェルに質問を行った。
「チェルさん、失礼を承知で伺います。あなたの『基底命令』はどのようなものですか?」
この場合の『基底命令』とは、制御核に刻まれたデフォルトの命令である。
現代日本風に言うなら『ロボット三原則』のようなものといえばわかりやすいであろうか。
ちなみに『ロボット三原則』とは、正確には『ロボット工学三原則』といい、アメリカのSF作家のアイザック・アシモフが小説の中で1950年に示した、ロボットが従うべき原則である。
詳細は省くが、『ロボットは人間に危害を加えてはならない』や『ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない』『第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない』などから成っている。
だが、アルス世界の自動人形やゴーレムに、そのようなものは公には制定されておらず、製作者に委ねられている。
これは、工学魔法の祖、アドリアナ・バルボラ・ツェツィの父である『賢者』シュウキ・ツェツィが、上記の小説を読んだことがなかったからだろうと仁は推測していた。
閑話休題。
アンに『基底命令』について聞かれたチェルの答えは、
「『人類への貢献』ですね」
であった。
アンは少なからず驚く。
「それは……」
かなり抽象的であったからだ。
そこで老君からの指示で、幾つかの質問を行うことにする。
「貢献のためには、手段は問わない、ということですか?」
そのためなら人類以外の存在は塵芥に等しく、自然破壊や環境汚染なども厭わない可能性もある(長期的には人類のためにならないのだが)。
「そんなことはありません。そのために『教育』され、『知識』を持つのですから」
「なるほど」
「ですから、今のわたくしは、『何をどうするのが』『人類への貢献』になるのか、常に自問自答しています」
「そうなのですか?」
「わかりませんか? 短期的な視点では貢献しているように見えても、長期的に見たらその逆だということもあり得るわけです」
「そうですね。ですが、それは答えのない問いになってしまうのではないでしょうか」
「そのとおりです。『時の流れが行き着く所』まで行かなくては、貢献したのかそうでないのか、結論が出ませんから」
かなり哲学的な話になってしまうが、チェルやハーンらはそうした思索が可能な頭脳を持っているということである。
「そうしますと『妥協』ということになるはずですが」
アンの言葉にチェルは頷いた。
「そのとおりです。『妥協』しない限り、行動不能となってしまいます。そして『行動しない』ということは『人類に貢献』できていないということになるのですから」
「……すると……『拡張基底命令』をクリエイトしたのですね?」
「そうですよ」
ここでいう『拡張基底命令』は、言うなれば『基底命令』の解釈方法、あるいは具体例である。
憲法と法律……に例えられればよかったのだが、現実の憲法と法律はそこまで縦割りの関係にはない(ように見える)。
つまり、『何が』『人類への貢献』なのか。
「今のところ、『できるだけ多くの人間への利になること』としていますが?」
似たような概念が地球にもある。
『最大多数の最大幸福』という、イギリスのジェレミ・ベンサムが提唱した理念である。
簡単に言うと、『可能であれば社会の成員全員の最大幸福を目指せ』『それが不可能なら、彼らのうちの最大多数の最大幸福を目指そう』というものである。
功利主義ともいう。
ともすればマイノリティの抑圧にも繋がるからか、近年ではあまり人気がない……ようにも思える。
それはさておき、チェルの『拡張基底命令』は、この『最大多数の最大幸福』に似ていると感じたアン……と老君である。
補足すると、老君の知識は、当然仁が知っていた知識による。そして仁は高校時代の『倫理社会』の時間に聞いた概念、ということになり、詳しく知っているわけではない。
だが、マイノリティの抑圧に繋がりかねないということだけは覚えており、同じ懸念をチェルの言葉に感じたのである。
「……それは、裏を返せば、多数の幸福のためなら少数の犠牲はやむを得ない、ということですよね?」
「なんですって? ………………確かに、そういうことになりますね…………」
どうやら、アンが指摘するまで、その思想の危うさに気が付いていなかったようだ。
「……もう少し、『拡張』内容を吟味したほうがよろしいのではないでしょうか?」
「……あなたに言われるまでもないこと。ですが、今の環境では効率が悪すぎます。何か提案はありますか?」
言葉の端々に『ツン』が見えるが、己のあやうさに己で気が付くあたり、チェルはやはり優秀である。
「わたくしめの同僚と、通信でお話をされてみてはどうでしょう?」
「あなたの同僚?」
「はい。『老君』と言いまして、ごしゅじんさまがお作りになった魔導頭脳です。この世界のことでしたらかなり広い知識があります」
「なるほど、それはよさそうですね。お願いしましょうか。……ですが、その通信機は?」
「わたくしめです」
「はい?」
ちょっと何を言っているかわからないです、というような顔をするチェルに、アンは説明した。
「わたくしめには通信装置が内蔵されておりますので、それを使うのです」
「な、なるほど」
「では、切り替えます」
「あ、ちょっと……」
チェルがなにか言いかけたが、アンは構わず内蔵魔素通信機を老君に繋いだ。
そして発声装置も一時的に老君に委ねる。老君は発声装置の振動数を調整し、老子の声に近いものにした。
『はじめまして、ですね、チェルさん』
「あ、は、はい」
アンから表情が抜け落ちて、声が低い老人のようなものに変わったのでさすがのチェルも面食らった。
表情は変わらないのでわからないが、『ハーン』も驚いているようだ。
『私は『老君』と呼ばれております。『魔法工学師』によって作られた魔導頭脳です』
「わたくしは……」
『チェルさん、ですね。存じております。後ろの方はハーンさん。よろしくおねがいします』
「あ、こちらこそ。……なるほど、アンさんの視覚を使い、わたくしたちを見ているのですね」
『そのとおりです』
「アンさんが言うとおり、極めて高度な技術を有しているようですね」
『はい。ですので、お役に立てると思いますよ』
「それはありがたいですわ」
いよいよ、老君とチェルの対話が始まる……。
いつもお読みいただきありがとうございます。
本日は 異世界シルクロード(Silk Lord) も更新しております。
https://ncode.syosetu.com/n5250en/
お楽しみいただけましたら幸いです。
20210626 修正
(誤)「わたくしめの同僚と、通信でお話しをされてみてはどうでしょう?」
(正)「わたくしめの同僚と、通信でお話をされてみてはどうでしょう?」




