75-32 閑話124 風洞実験と世界への貢献
風洞、という施設がある。
大雑把に言えば、『風を吹かせて』『実験する』施設である。
『洞』は、周囲から隔離した施設であることを示している。強風を吹かせることがあるので、周りに被害が及ばないようにするためと、風の流れを整えるためだ。
この『風の流れを整える』というのは思いの外重要である。
現実には規則正しい風というものは少ないのだろうが、風の流れが乱れていては実験における『再現性』が悪くなるからである。
普通は縮小した模型で確認することが多いが、巨大な風洞であれば、自動車や小型飛行機くらいは実物大のもので実験することもできる。
ちなみに、風の代わりに水などの液体を使って、船舶の実験をする方法もある(その場合は風洞とは言わないが)。
一般に、亜音速までの風はファンで、音速以上の風は圧縮空気を使うことが多い。
* * *
『オノゴロ島』ではその『風洞』を作るための突貫工事が行われ、3901年12月1日、完成したのである。
「できましたね、テスタ」
『はい、マリッカ様』
『オノゴロ島』の統括管理魔導頭脳『テスタ』が答えた。
風洞の規模は大きな体育館ほどもあり、全長・全幅はそれぞれ20メートル、全高は10メートルまでの物体について実験可能。
風を起こすのは『風属性魔法』なので、マッハ3までの実験が可能だ。
観察者は『風除けの結界』に守られているので、至近距離で観察することも可能だが、普通は専用の『魔導監視眼』により観察する。
「工夫したところは空気の循環ですけど、うまくいったようですね」
『はい、マリッカ様』
風を吹き付けるため、閉鎖空間内では風上側が負圧に(気圧がより低いこと)なり、風下側が正圧に(気圧がより高いこと)なってしまう。
これを防ぐため、風下側に空気の吸込口を設け、風上側にまで循環させて吹き出させることで、より効率よく風洞の運用ができるようにしたのである。
蛇足ながら『密閉型推進機関』でもこれに似た手法は使われている。吸込口の位置が違うが……(その詳細はここでは略す)。
「これで、より性能のいい航空機を設計・製作することができますね」
先日行われた『飛行機競技』を思い出しながらマリッカは呟いたのだった。
* * *
風洞を真っ先に使ったのはシュウ。
決勝戦まで勝ち残ったということで、1番に使う権利を獲得したのだった。
「早くやってみたいなー」
2番手はルビーナなので、シュウと一緒に実験に参加している。
仁からのアドバイスを、実際に目で確かめてみたいという理由もある。
2人は専用のブースの中から観察する形で実験を開始した。
「それじゃあ行くよ」
風洞内に『雷光』をセットしたシュウは、『送風』のスイッチを入れた。
弱い風が吹き出す。
手動式のレバーを押し上げていくことで風速が増すシステムだ。
シュウはゆっくりとレバーを上げていった。
風速5メートル……10メートル……15メートル……20メートル……。
まだ機体は微動だにしていない。
風速30メートル……40メートル……50メートル……60メートル……。
風速70メートル、つまりおよそ時速250キロを過ぎたあたりから、翼端に微振動が発生し出した。
「ええと、こういう時は……短波長の光を照射して、変調フィルターを通して見てみる、と……」
一般に、波長の短い光ほど屈折しやすい。
そこで、短波長の電磁波を照射することで空気の状態を観察できる装置がある。
肉眼ではなく、専用の光学装置で、だ。
「ああ、翼端に凄い渦ができてるなあ……」
過冷却……氷点下になっても凍らない水蒸気を含んだ大気中を飛行機が飛ぶと、時に翼端から飛行機雲が発生することがある。
これは翼端の気流の乱れ(翼端渦もしくは後引き渦)により、大気が撹拌された結果、過冷却の水蒸気が凍ったものと考えられる。
「ジン様は、翼端をぶった切ったり、上へ折り曲げたりするといいかもしれないって言ってたわよね」
「うむ。折り曲げは……『ウイングレット』って言ったっけなあ」
渦ができるということは、その分エネルギーが消費されているということで、これを小さくすることで燃費の向上や速度上昇などが見込めるわけだ。
そしてさらに風速は増し、風速100メートル、つまり時速360キロを超えた頃から、水平尾翼に微振動が発生し始めた。
「ああ、主翼の後方の気流が乱れて、その中に水平尾翼が入っているせいだな」
「ジン様が言っていたとおりね」
「うん。あと50センチか60センチ、上か下へずらせば問題なくなるな」
最終的には風速200メートル超え……時速800キロ相当まで実験を行ったシュウである。
「うーん、こうしてみるとよくわかるなあ」
「風洞って便利ね」
「まったくだ。……今度はルビーナの機体で実験だな」
「うん、楽しみ」
* * *
「あ、あ、あ……す、すごい乱流!」
ルビーナの『ナイルⅣ』はデルタ翼で、その主翼前縁から乱流が生じていたのである。
今、『ナイルⅣ』は大きな仰角で風を受け、離陸時の挙動を見ているところだ。
「ええと……『前縁剥離渦』って言うみたいね」
老君がまとめた航空力学の案内書を見ながら納得するようにルビーナが呟いた。
「……これが揚力を増加させている……か。なるほどなあ」
シュウも同様。
こうした航空力学の初歩的な知識は、仁が模型作りの過程で学んだもの、それから『賢者』シュウキ・ツェツィが元の世界から持ち込んだ学術書、さらには蓬莱島での無数の実験による経験則などが元になっている。
「うーん……垂直尾翼の周りの気流も、あんまり好ましくないわね」
胴体後方に設けた垂直尾翼。
キャノピー(風防)をはじめとする胴体を付属物が作り出す気流の乱れを受けている様子がよくわかったのである。
垂直尾翼の下半分くらいの気流が乱れている。
「垂直尾翼を2つにしたほうがいいって意味がわかるわよね」
「うん……やっぱり風洞実験って有意義だなあ」
シュウもルビーナも、この短時間で機体の欠点がはっきりしたことに驚いていた。
「作って飛ばして改良して……よりもずっと早いわね」
「まったくだ」
専用の風洞が欲しくなったよ、とシュウは言った。
「10分の1の模型用なら個人で作れそうだけど……」
「模型の場合、実機とは違うってジン様も言ってたよな」
「うん」
このあたりの流体力学理論は難しく、仁も理解しきってはいない。
極端に単純化して言うと、小型化された模型に対し、1気圧の大気は実機よりも『粘っこい』のである。
つまり『浮かびやすい』が『抵抗が大きい』といえる。
こうしたパラメーターを一致させる上で『航空力学』が必要になってくるが、それは工学系大学以上の課題となる。
閑話休題。
「小型模型でおおよその当たりをつけたら、ここの風洞で実物大模型を使って検証する、のがいいわよね」
「そうなるな」
「そして、あたしたちが実験を繰り返していけば、いつか理論へ昇華できるはずよね」
「うん、そうだな」
それこそが世界への貢献といえるのかもしれない、と思ったシュウとルビーナであった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
20210203 修正
(誤)水色尾翼の下半分くらいの気流が乱れている。
(正)垂直尾翼の下半分くらいの気流が乱れている。




