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四話:居場所

 南を試せば試すほどそれが南なのだと知ることになる。爽真はわからない、こんな本性あるわけが。しかし心の読める爽真、目の前の男のそれは全て手に取るようにわかるわけで、向こうも包み隠さないわけで。恐ろしいと思う、あり得ないと思う、おかしいだろとすら思う。


 でも爽真はそんな南を欲するようになってしまった。わからない、怖い、でも。逃げたいのに逃げられない、飽きてくれればいいのに飽きられたくない。もしその心が誰かを想うようになったら。考えるだけでも南を絞めころしそうになる。怖くて、怖くて、その逃げ場を外に作ってしまっている。


 それなのに……南は爽真を呼ぶ。爽真への際限ない心そのままを声にしたような声色で呼ぶ。おかしいだろ、お前の呼ぶソイツはお前の心が読める、知っている、それでもなお他の男と寝てるんだぞ、にも関わらずお前の元に帰ってはお前から向けられる情が変わってないことに安堵しているなんて。


 これがおかしくなくて何がおかしい、わからない、南がわからない、それでも爽真は、南に触れられるだけで満足する、その先を求める必要がないことを理解して、南の傍で目を閉じてしまう。南が怖い、自分が怖い、


 この先どうなってしまうのかが、怖い。


 今まで会ってきた人間の誰よりも、今何をしているのか忘れてしまうほど穏やかで。こんなもの知らない、知らなかった、知らないはずだった。


 ああ今日も、お前に沈んでしまう。







 ある夜、爽真が帰ると、部屋の明かりはついていた。けれど、靴は乱れて脱ぎ捨てられていて、いつもきちんとしている南らしくなかった。


「……南?」


 返事はない。南がいるはずなのに、廊下だけじゃなく、この家自体がひっそりと佇んでいるようで。嫌な予感がしながらリビングに足を踏み入れた瞬間、ソファにうつ伏せで倒れ込んでいる南の姿が目に入った。


「南……!」


 慌てて駆け寄ると、南はかすかに顔を上げた。


「……ああ、そーちゃん……ごめん、ちょっと横になっちょっただけ……」


 その声は掠れていて、顔も火照っているように見えた。手を伸ばして額に触れると、驚くほど熱かった。


「……熱、あるじゃん……」

「はは……」


 南は無理に笑おうとしていたが、うまく笑えていなかった。爽真はためらわずに、南の背中に手を回して体を起こした。


「立てる?」

「……ん、たぶん。ごめん、だらしないとこ……」

「いいから。……ほら、ちゃんとベッドで寝よう。」


 手を貸して南を寝室まで連れていく。歩幅を合わせてゆっくり進む爽真の手は、南よりも少しだけ強く握られていた。

 ベッドに南を横たわらせ、額に冷えたタオルを乗せる。汗を拭き、爽真が南を着替えさせようとシャツに手をかけたとき、南が言った。


「……そーちゃん、無理せんでええけぇ。」


 その言葉に、爽真は手を止めて、ゆっくり首を横に振った。


「無理なんかしてない。南がしんどい時くらい、僕がちゃんとするから。」


 いつも頼ってばかりだった。抱きしめられてばかりだった。爽真は南に、温められてばかりで。でも、今は南の力になりたいと思った。


「だから……今日は僕に、頼ってよ。」


 そう言うと、南は少しだけ目を細めて、安心したように目を閉じた。


「……ありがとう。」



 南の寝息が、静かな部屋に規則正しく響いている。


 ようやく落ち着いたんだと、爽真は安堵した。ベッドの端に腰を下ろし、静かにその顔を見つめる。頬の赤みはまだ完全には引いていないけれど、さっきよりはずっと穏やかだった。


 こんな顔をしてたんだ、と思った。僕の知らない、南の『弱いときの顔』。


 爽真はそっと、南の髪に触れた。熱で湿ったその髪に、手を差し入れてそっと撫でる。こんなふうに触れるのは、初めてだった気がした。


「……いつも、ありがと。」


 小さな声でつぶやいてみた。聞こえていないだろうけど、それでよかった。


 僕は、人の気持ちがわかるから、たくさんのものを背負ってきた。拒まれたこともあるし、怖がられたこともある。でも南は違った。ただ、僕をそのまま受け入れてくれた。


 その温かさが、こんなに優しいのだと、今さら思い知る。


 南が眠っている間、爽真はリビングに戻り、脱ぎっぱなしの靴を揃えて、散らかっていた上着をハンガーにかけた。テーブルの上には飲みかけのペットボトルと、読みかけの書類。ぜんぶ、普段の南からは考えられないくらい、荒れていた。ああ、本当に無理してたんだ。タオルを新しく冷やしながら、爽真は思った。


 今度は、僕がこの人を守りたい……そう、思ってしまった。






 南が目を覚ましたとき、まだ外は暗かった。南は重かった体が、少しだけ楽になっていて、はて昨晩はどうしたんだったかと思考を巡らせようとした。額に残るひんやりした感触。ハッとして横を向くと、ベッドの端に爽真がいた。小さく丸くなって、座ったままうとうとしている。昨夜は、ほとんど眠っていないのだろう。手にはまだ、冷たくなったタオルを握ったままで。

 南はゆっくり体を起こし、そっと毛布を引き寄せて爽真の肩にかけた。すると、気配に気づいたのか、爽真が目を開けた。


「……起きた?」

「ああ。ごめん、起こしちゃったな。」

「ううん……大丈夫。南こそ、熱どう?」

「たぶん、下がったと思う。……ありがとな、そーちゃん。」


 そう言われて、爽真は、少し照れたように俯いた。


「僕、誰かのために何かしたいって、ちゃんと思えたの、多分初めてなんだ。」

「……そっか。」


 言葉を選ぶように南がうなずく。その表情に、ほんの少しだけ涙がにじんでいるように見えた。


「俺、気づいちょったけど……気づかんふりしとった。爽真がそばにいてくれることに、甘えすぎちょったかもしれん。」

「いいよ。僕も、甘えたかったし……甘えてた。」


 ふたりの間に、静かな時が流れる。


 もう、お互いだけで抱え込まなくていい。


 しばらく経って、爽真がそっと立ち上がった。


「……なにか、食べようか。お粥、作る。」

「……うん。」


 南の返事は短くても、どこか柔らかくて、爽真は少しだけ安心した。

 冷蔵庫に残っていた卵とごはんで、簡単な卵粥を作る。キッチンから差し込み始めた外の光が、今日は少しだけやさしく感じた。ふたり分のお粥をトレイに乗せて戻ると、南はベッドの上で毛布にくるまったまま、ぼんやり窓の外を眺めていた。


「はい。あついから気をつけて。」

「ありがとう。」


 レンゲで一口すくった南が、ほんの少しだけ目を見開いて、笑った。


「うまい。」

「……よかった。」


 その笑顔が嬉しくて、爽真の心が少しあたたかくなった。

 ふたりで静かに食べたあと、南がぽつりと言った。


「……俺、ちょっと仕事減らそっかな。さすがに、詰め込みすぎちょったわ。」


 思わぬ言葉に、爽真は目を瞬いた。


「……いいと思う。南が、ちゃんと休めるようになるなら。」

「ん。……それに、爽真と過ごす時間、もっと大事にしたいし。」


 恥ずかしそうに言うその言葉に、爽真は笑った。自分の居場所は、ちゃんとここにあるんだと思えた。

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