三話:守りたい相手
久しぶりに戻った南の部屋。変わらない景色のはずなのに、どこか違和感があった。南は相変わらず優しかった。でも、ふとしたときの顔が疲れて見えた。声のトーンが少し低くなったような気がする。返事が遅れることも増えたし、なにより、南が爽真を抱きしめる時間が長くなった。心は読めているから疲れていることはわかるが、なんでこうして抱きしめてくるのだろう。
「……なんか、あったの?」
思い切って聞いた爽真に、南は初めて目を伏せて、苦笑した。
「ちょっと、仕事が……重なっちょって。」
そう言われて、一瞬爽真は何を言われたのかわからなかった。なぜ仕事が重なっていることが、爽真を抱きしめていることに繋がるのかがわからなかったのだ。だが遅れて気づいた。自分がどれだけ南の支えになっていたのか。優しさの裏で、南がどれだけ無理をしていたのか。
南が何も言わなかっただけで、本当はずっとしんどかったのかもしれない。自分のことばかりで、そこに気づけていなかった。
南は珍しく先に眠った。ソファでうたた寝していた南の寝顔を、爽真は静かに見つめた。少し痩せた頬、睫毛の影。こんなふうに、ちゃんと顔を見たのは、いつぶりだろう。
南の横にそっと座り、爽真はそっと手を伸ばした。指先が頬に触れる。少し冷たい肌。起こさないように、そのままそっと撫でた。
……しんどいときは、ちゃんと言ってよ。
心の中でだけ呟いた言葉。口に出す勇気は、まだなかった。でも、今度はちゃんと気づけるようになりたいと思った。
そのとき、まどろみの中にいた南が、小さく囁いた。
「そーちゃん……おるだけで、ええんよ……」
夢か現かもわからない、眠気ににじむ声だった。でも、爽真にはそれで十分だった。
その夜、布団に入っても、爽真はなかなか眠れなかった。暗闇の中、隣から聞こえる寝息は穏やかで、それだけで安心するはずなのに、今夜は違った。
僕、なにかできてるのかな……。
気づけば、南のことを『癒される存在』としてではなく、『守りたい相手』として見ていた。けれど、自分に何ができるのかがわからない。自分が背負ってきたものは、人には言えないことだった。言っても信じてもらえなかった。信じようとしてくれた人達すら、爽真を恐れた。
けれど、今は。
「……南。」
寝ていると思った南が、目をうっすらと開けた。
「ん……どしたん?」
爽真は少し躊躇って、それでも口を開いた。
「僕、……人の心が、わかるんだ。無意識に、相手の気持ちが流れ込んでくる。触れると、特に。」
南は眠気の混じった目でじっと爽真を見ていた。否定も驚きもせず、ただ、見ていた。
「だから……最初に会ったときも、南が『独り』ってすぐわかった。優しいのも、無理してるのも、最近、少し苦しそうなのも、わかってる。……ごめん、言ってなくて。」
言い切った途端、恐怖が押し寄せてきた。これで南に突き放されたらどうしようという恐怖。思った以上に、自分が南に寄りかかっていることを知った。反応が怖い。そう思っていたら、長く重たい沈黙のあと、南は片腕を伸ばして爽真を抱き寄せた。
「そっか。……しんどかったやろ、それ。」
ただ、それだけの言葉だった。
責めない。驚かない。恐れない。
逆に驚いてしまった爽真に、南は言った。
「ありがと、打ち明けてくれて……俺にできることあったら言って。大丈夫やけぇ……っていうのも、伝わっちょるんかな。」
そう言われて爽真は、ああ、やっぱり南だ、と思った。無理をしているわけでも気を遣っているわけでもなく、ただ、爽真のことを受け入れてくれる、柔らかいクッションのような、南。
「……うん、伝わってる。」
「そっか。安心した。」
「安心?」
「俺の気持ち、ちゃんとそーちゃんに伝わっちょるのが嬉しいの。」
ふは、と笑う南に、爽真は泣きそうになった。そんなこと、誰にも言われたことがない。心の中身を常に覗かれている感覚なんて、気持ち悪いはずなのに、南は本心でそう言っている。それが痛いほどに、怖いくらいに、嬉しかった。




