68 霧の森
奇妙な夢を見たその翌朝。
「ふあぁ……」
私は大きなあくびをしながら起き上がった。
ログハウス……というには煤けた感じの壁を見て、自分が今どこにいるかを思い出す。
私が昨晩仮の宿としたのは、街道筋にある小屋だった。
本当は昨日のうちに次の村に着ける計算だったんだけど、夕方から濃霧が出てきたせいで、私は足止めを余儀なくされた。
(まぁ、ミニマップを頼りに進めば大丈夫なんだけど)
実際それをやりかけてみたのだが、すぐにこれはまずいと思い直した。
霧のせいで、服がぐしょ濡れになってしまったのだ。
ドロップアイテムであるアマガエルのコートがあれば……と思ったんだけど、雨とちがって霧は粒子が細かく、ちょっとした隙間からも入りこんでくる。
昼ならともかく、日が完全に沈んだあとにこんな格好でいたら、いくら難易度変更やグラマス加護があったって凍えてしまう。
急ぐ旅でもなかったので、小屋を見かけたのをさいわいに、そこを仮の宿にさせてもらうことにしたのだ。
その「宿」には、先客がいた。
「お、嬢ちゃんが起きたみたいだぜ」
三十ほどの、木こりの男性がそう言ってくる。
ひげ面で目つきが鋭い強面だが、話してみると気さくな人物だ。
「あ、おはようございます、ハムトさん」
「おう。そろそろうちのカミさんのスープができるからな」
「えっ、いいんですか?」
「こんな霧だ、身体をあっためておかないと辛いぞ?」
それは、そうかも。
そこに、小屋の奥から、トレイを持った小太りの女性がやってくる。
「目が覚めたかい、嬢ちゃん。随分ぐっすり眠ってたみたいだが、疲れてるんじゃないかい?」
「あはは、いえ、夢見が悪かったもので」
「しかもこの通りの天気だからな。お日様が上がってくれねえと目も覚めねえよ」
「あんたのそれは聞き飽きたよ。この森はいつだってこんなもんじゃないかい」
ハムトさんの言葉をそう流しつつ、女性――トルタさんが、小屋のテーブルにスープの入った皿を置く。
「さ、冷めないうちに召し上がれ」
「あはは、ありがとうございます」
ここで遠慮するのはかえって失礼だろう。
私は木の匙でスープをすくって口に運ぶ。
きのこと野菜、少量の干し肉の入ったシンプルなスープだった。
「あ、おいしい」
「そりゃよかった」
トルタさんが笑顔でうなずく。
寝起きだったがお腹はけっこう空いていて、私はほどなくしてスープを平らげた。
「ごちそうさまです」
「へえ、ずいぶん礼儀のなってる子じゃないの。貴族様かなにかだったのかい?」
「い、いえ、一介の盗賊士ですよ」
「トルタ、冒険者の身の上についてあまり聞くもんじゃねえぞ。
すまねえな、ミナト。こいつはスープは一級品だが、どうにも人様の噂話が好きでしょうがねえ」
「あはは、べつに、これといった身の上ではないですよ」
言葉を濁す私に、木こり夫婦はうんうんとうなずいている。
……いや、ほんとに普通の家庭に生まれたんだけどな。まぁ、異世界の、だけど。
「あの、この辺りはいつもこうなんですか?」
「ああ、霧のことかい? この時期はとくに霧が濃いねえ。さいわい、近くにダンジョンはないから、モンスターはほとんどいないんだけどね」
「たまぁに、この辺りをシマにしようって野盗どもが出てくるんだがよ、こちとら、霧の森で木を伐って何代なんだ。霧に紛れて近づいて、後ろからマサカリで一撃よ」
「そ、そうなんですか……」
ビシッと、マサカリを振り下ろすしぐさをするハムトさんに、相槌を打つ。
「いつもこんなじゃ大変だと思うんですけど、移住したりはしないんですか?」
「この霧の森から伐り出した原木は、水分をたっぷり含んでるから、曲げ細工なんかに最適なんだ。ふつうに建材として使っても、建ててから水分が抜けて、やたら丈夫になるんだわ。他にはねえ優秀な木材が取れるってわけだ」
「要するに実入りがいいのさ。ここいらには木こりの住む小さな村がいくつも散らばってるんだよ」
「霧の森から取れる木材とその加工品は、ミストラディア樹国の貴重な輸出品だ。
実際、ミナトのやってきた北のザムザリア王国は過去何度か南下して、この霧の森を支配しようとしてきた。
その南下を防いできたのが、誰あろう、俺たち木こりってわけだ」
「ええっ、木こりさんが?」
「ザムザリアの連中ときたら、霧の深い森にじゃらじゃらうるせえ重装備で入ってきやがるし、身体が冷えるとすぐに火を焚きたがるから野営場所が丸わかりだ。
森の中には木こりしか知らねえ獣道が無数に走ってる。霧に巻かれてうろたえる連中を分断して各個撃破。朝飯前たぁこのことよ」
「やったのはあんたじゃなくて、あんたの親父さんたちの世代だけどね。二十年近く前のことだから、ミナトが知らないのも無理はないよ」
「俺だっていざとなりゃあ、騎士の一人や二人、自慢のマサカリで……」
夫婦のかけあいを聞きながら、私は思う。
(ええと……つまり、森林ゲリラみたいな人たちなのか)
平時は木こり、有事にはゲリラ兵に早変わり。
(ザムザリアには相性が悪そうだね)
ザムザリア王国の兵というのは、特派騎士のクレなんとかティアスさんが率いてきた連中みたいに、全身をフルプレートメイルに包み、頭の中身も鉄兜と同じくらいカチカチに固まってる騎士たちだ。
なにせ、ダンジョンにもそのままの装備で潜って犠牲者を出してたくらいだし。
そこに、融通無碍なゲリラ兵が襲いかかる。
しかも、霧濃い森の中で、ちょっと油断したら味方とはぐれかねないような状況だ。
「そういや、嬢ちゃんはどこに行くんだい?」
ハムトさんが夫婦漫才を中断して聞いてくる。
「とくに決めてないです。北でなければよかっただけで」
「おいおい、何かやらかしたのか?」
「そ、そういうわけじゃないんですが」
たしかに、いまの答えは迂闊だったな。
「なに言ってんだい。こんな虫も殺せなさそうな嬢ちゃんをつれてきてお尋ね者かなんて……。
でも、急ぎの旅じゃないってんなら、どうだい、あたしらの村に来てみないかい?」
「えっ、トルタさんたちの村に?」
「なんもないところだけどね。でも、それだけに、外の情報には飢えてんのさ。
村自慢の野草料理を用意するから。ね、どうだい、二、三日」
トルタさんの言葉に、ハムトさんが付け足す。
「ここんとこ霧がいつもにも増して濃いからな。いくら盗賊士だからって、迷子にならねえとも限らねえ。霧が薄まるまで様子を見るべきだと思うぜ」
そこはまぁ、なんとかなると思うんだけど。
でも、無理をしてまで先を急ぐ理由はなにもない。
……トルタさんの野草料理も食べてみたいし。
「うーん……そうですね。じゃあ、お言葉に甘えて」
というわけで、私は木こり(という名の森林ゲリラ)の村にお邪魔することになったのだった。




