「廃墟の舞踏会」(2)
「か……神岡さん……ごめん! 僕……!」
正通は奥歯を噛み締めながら陽子に詫びた。月明かりを背に受けている為、その表情はよく分からない。
やがて、陽子が一歩前に進み出た。
「馬鹿! パートナーの危機を助けるのは当たり前でしょう!」
電灯の光に照らされ、ようやく陽子の表情が見えた。その目は怒りに満ちていた。
「ごめん……」
正通は頭を下げて謝った。
「勘違いしないで。私が怒っているのは君に対してじゃない」
陽子はまるで突き刺すように、人差し指でなつきを差した。
「疾風なつき! ファンの憧れを利用し、その夢を打ち砕いたこと……アイドルの一人として、断じて許せない!」
なつきは優雅な微笑みをたたえながら、両手を前に揃えて頭を下げた。
「騙りを働いたことについては心より謝罪する。しかし、私にとって君との戦いは何よりも優先すべきことだったのでね。神岡君……いや、処刑人マリュートカ」
「……江原くんの怪我は、あなたがやったの?」
なつきの目から視線を外すことなく、陽子が問うた。
「少し、頭に血が上ってしまってね。香苗、江原君の手当てを」
香苗は無言で頷くと、ベストの胸ポケットから犬用のジャーキーを取り出した。
「ご苦労様。もうお帰り」
香苗は肩の上のカラスに優しく微笑みかけ、ジャーキーを差し出した。
「クワッ」
カラスは「ありがとう」とでも言うかのように一声鳴くとジャーキーを咥え、香苗の肩を離れて工場の外へ飛んでいった。
カラスが工場を出るのを見届けると、香苗は内ポケットからファーストエイド・キットを取り出して正通の元へ駆け寄った。
ぽかん、とする正通になつきが声をかける。
「江原君! すまなかった。もう君を傷つけたりはしないよ。アテナに誓って約束する」
「えっ……」
どう返せばよいかわからず、正通は困惑した。
そんな反応を楽しむかのように、香苗は笑みを浮かべながら正通の頬に優しく手を添え、丁寧に血を拭いてから絆創膏を傷口に貼った。正通がその感触に小さく身を震わせると、香苗は彼の表情を満足気に見つめながらその頬を撫でた。
翻弄されるばかりの自分に情けなさを感じ、正通が思わず目を伏せる。
そんなやり取りをまるで意に介さず、陽子が再び口を開いた。
「……信用できないわ。あなた達が戦いの後で江原くんを無事に帰すとは思えない」
「嘘かどうかはこの目を見て判断すればいい。私は必要のない嘘はつかない」
何分間にも思える、数秒の沈黙。陽子は微動だにせずになつきの瞳を見つめていた。
「……嘘ではないようね」
なつきは変わらず笑みを浮かべながら、静かに頷いた。
「一つ聞いておきたい。何故、そこまでして私と戦おうとするの?」
「数々の戦いをくぐり抜けたからこそ……処刑人として、アイドルとしての今がある。そして強い敵と戦うことは、私にとって何よりの糧となる。ましてや、伝説の傭兵の愛弟子と戦えるとあらば、迷うことはあるまい」
なつきの言葉に、陽子はぐっと拳を握り締めた。
「武井駿介……コードネーム『ヴォルガ』。アフガン、チェチェン、ユーゴスラヴィア、アフリカ。いずれの地でも多大なる戦果を挙げ、敵兵からは悪魔と恐れられた伝説の傭兵。私のボスは『自分の知る限りでは最強の戦士だ』と語っていた」
「ボス……? 真鍋社長は武井さんのことを知っているの?」
なつきの発した言葉に陽子は驚きを隠せなかった。
「直接会ったことはないそうだが……アフガンで彼の所属する部隊と共闘したと言っていた。常に先頭に立って戦い、必ず生きて帰って来ることから、ムジャヒディン(イスラム教徒の戦士)達は彼を『アズラエルの従者』と呼んでいたそうだ」
「アズラエル……イスラム教における、死を司る天使」
陽子がぼそりと呟く。
「ふふ……君は博識だな。敵に対して一方的に死をもたらし、自らは決して死なない。彼らはそんな姿に……死の天使アズラエルを重ね合わせたんだろう」
なつきの口調からは強い者に対する憧れと敬意が感じられた。
陽子は、テレビ局でのなつきの態度に違和感を覚えなかった理由を理解した。
「……あなたの考えがある程度、分かった。あなたにとっては、戦うことそのものが目的の一つ。テレビ局で会った時にあなたが私に言った『共演したい』という言葉は……『戦いたい』という意味だった」
我が意を得たりとばかりに、なつきは満足気な笑みを浮かべる。
「その通りだ。私はより強い敵と戦う為に、こうして君を招いた。戦うことそのものが目的ならば、より強い敵を求めるのは当然だろう。より苛烈な戦いを求めて異国の戦場を目指した君の師……ヴォルガのようにな」
「違うッ! 武井さんはあなたとは違う!」
陽子は建物全体を震わせるような声で叫んだ。
「神岡さん……」
正通が思わず陽子の名を呼んだ。
「神岡君。そんな声を出したら喉によくないよ? せっかくの可愛い声が台無しになる」
香苗の軽口を黙殺し、陽子は言葉を続けた。
「武井さんは自分だけの為に戦っていたんじゃない。それが誰の為にもならないと分かれば、決して自分から戦おうとはしなかった。あの人は……なんとかして自分の力を人の為に役立てようと必死だった。たとえ鬼と悪魔と言われようとも、どれだけ自分が傷つこうとも。世界が争いに満ちていなければ……武井さんは必ず他のことで誰かの役に立っていたはず。自分だけの為に戦いを求めるあなたとは違う……! 日本から姿を消したのも、自分の力を必要としている人がいると知っていたから。断じて、自分の欲望を満たす為なんかじゃない!」
その目に怒りの炎を燃えたぎらせ、陽子はなつきの目を真正面から見据えていた。
「だから私は……日本を去って再び戦地へ赴いた武井さんの判断を正しいと信じている。あの人の力、あの人の冷徹さ……そして優しさを待っている人がいると知っていれば、私は決してあの人を引き止めなかった。笑顔で送り出すことは無理だとしても……!」
そこまで話して陽子はハッとした。なつきがこれまでに見せたことのない眼差しを向けていた。
陽子がその表情から感じ取ったものは、自分に対する憐れみだった。
「どうやら君にとって……ヴォルガは特別な存在のようだな」
自らの武井に対する想いを指摘され、陽子が顔を背ける。
「さて……今度は私が君に尋ねる番だ。君は何故、戦う? 何故、処刑人にしてアイドルという道を選んだ?」
陽子は数秒の沈黙の後で質問に答えた。
「私は幼い頃に両親を殺された。その仇を討ってくれたのが私の師――武井駿介。法で裁かれない悪の存在を私は許せなかった。だから私はこの道を選び、今も戦い続けている。アイドルになった理由はもっと単純。そうすれば、好きな人といられる時間が増えるから」
「……そうか」
なつきは神妙な面持ちで陽子の言葉に耳を傾けていた。
「笑わないの? こんな理由で」
なつきが眉をひそめる。
「……笑えるものか。私も君と同じ理由で処刑人になったのだからな」
「……あなたも、自分の家族を」
なつきはゆっくりと頷いた。
「そして、もう一方の理由。愛する人と共にいたい……それも理由としては十分だ。だが」
なつきが何を言おうとしているか、陽子に分わかった。
「その人がいなくなった今はどうだ。君はそれでもアイドルでいられるのか?」
陽子は深呼吸の後で軽やかにステップを踏み、くるりと一回転してポーズを決めた。
その突然の行動に正通達三人が目を丸くする。香苗が口笛を吹いた。
「Sing! Dance! そして、Action! 私は……唄って踊れるアクションアイドル・神岡陽子! 私の夢は……みんなに愛されるアイドルになることでーす!」
陽子はこれまでと打って変わって、明るい声で言い放った。
ぽかん、とする正通を尻目に、なつきと香苗は楽しそうに笑った。
一しきり笑った後で、なつきが香苗に目配せする。
「江原君、僕と来てくれ。我々立会人は上で戦いを見守ることにしよう」
香苗は正通の横に立つと、その肩を押して歩かせた。
建物は吹き抜け構造の二階建てになっており、入口近くの階段から中央を取り囲むように手すりのついた足場が設置されていた。
「神岡さん!」
正通が必死で叫ぶ。
「何、泣きそうな声出してんの。君は黙って見てなさいよ」
陽子はいつもと変わらない口調で正通の声に応えた。しかし、その手が震えているのを正通は見逃さなかった。
――僕のパートナーと僕の大好きなアイドルが戦わなくちゃいけないなんて……!
正通は陽子の後ろ姿を目にして、ぐっと奥歯を噛み締めた。
やがて、建物の中央部を中心にしながら二十メートルの間隔を空け、陽子となつきが向かい合った。
正通と香苗は二階の足場からそれを見下ろしていた。
「さて……戦いの前に、言っておくことがある。テレビ局での出会いは偶然ではない。君が番組オーディションに参加するとの情報を入手し、私達はあの場所にいた。神岡陽子……マリュートカに接触する為に」
「え……」
思わず階下に身を乗り出した正通を、香苗が片手で止めた。
「危ないよ、江原君」
「そんな……! 今、なんて?」
正通は声を震わせて階下のなつきを問い詰めた。
「言った通り。私はあの日、マリュートカに会うことを狙ってあの場所にいた。つまり君との出会いも偶然ではない」
なつきは悪びれる様子もなく、微笑んで返した。
あの日見たなつきの白く美しい肌、恥じらいの表情。天使のような笑顔。二人きりで話した、あの一時。
ファンとしての想いを受け取ってもらえた、夢のような一時は作り物でしかなかった。自分だけでなく陽子にも優しい言葉をかけてくれたなつき。
あの笑顔が、言葉の一つ一つが、全て作り物だった――。
あれは……運命の出会いだと思っていたのに。
「そんな、僕は――」
「江原くん、駄目!」
建物全体に響き渡る陽子の叫び声が、正通の言葉を遮った。
「神岡さん……?」
弱々しい声を上げる正通の視線を、階下の陽子が受け止めた。
「それ以上、言葉にしては駄目」
陽子の声は、表情は――まるで母親が子供に言い聞かせるかのようだった。
陽子は正通を宥めるように頷くと、再びなつきに向き直った。
憤怒に満ちた視線を受けて、なつきの表情から笑みが消えた。
「あなたは、どこまで……!」
陽子の握り締めた拳がぎりぎりと音を立てた。
「君達が怒るのは当然だ。だが……私にとっては予期せぬ収穫があった」
なつきはそこまで語り、顔を上げた。視線の先に、放心状態となった正通の顔があった。
「それは、私を真に理解するファンに出会えたこと――」
なつきが見せた真剣な表情に正通は釘付けとなった。
「……え……?」
「満月の夜に私の歌を聴いてくれた少年が、まさかマリュートカのマネージャーとは思わなかった。江原君……この戦いが終わったら、私の元へ来てくれ。この私専属のマネージャーとしてね」
突拍子もない、なつきの提案に正通と陽子が言葉を失う。
「え……な、何を、言って……」
しどろもどろになる正通になつきが言葉を続けた。
「私も君の想いに応えよう」
正通の心臓が大きく音を立てて揺れる。
「私を真に想い、理解する人間こそ私のマネージャーに相応しい。それは君しかいない」
なつきの表情や声に、からかっている様子は微塵もなかった。
「…………ッ!」
なつきの顔をまともに見ることすらできなかった。激痛を伴う胸の高鳴り、正通は必死で耐えた。
なつきはそんな姿を満足げに眺めた後、再び陽子に対峙した。
「いいかな? 聞けば、彼は君の専属マネージャーではないそうだが?」
「……あなたは危険過ぎる。江原君を連れて行かせるわけにはいかない」
陽子は静かに答えた。なつきの口角がわずかに上がる。
「君を倒せばいいだけのことだ、マリュートカ」
「黙って倒されるつもりはないわ」
陽子の瞳が冷たい光を放つ。なつきはほんの一瞬、肩を震わせた。
「……ふふッ。そうでなくては、君を呼んだ意味がない」
正通は意を決し、重い口を開いた。
「……僕が」
喉から絞り出すようなその声。陽子となつきが正通を見上げる。
「僕が……仲間を傷つけるような奴らについて行くと思ってるのか!」
憧れのアイドルに、精一杯の敵意を込めた視線を送る。
なつきは落ち着き払った表情で正通の目を見つめていたが、やがてゆっくりと目を閉じ、再び満足げに笑った。
「それでいい。君がそう言える人間だからこそ、私は君が気に入ったんだ」
正通は思わずたじろいだ。あの笑顔を向けられては、敵意を保ち続ける自信がない。
「……江原くん」
不意に、陽子が正通の名を呼んだ。
「今はその言葉だけで十分だよ。だから――ね」
先ほどと同じ、まるで子供をしつける母親のような陽子の表情。
「……分かった。もう、何も言わないよ」
止めても無駄だということは分かっていた。それでも黙ってはいられなかった。
無力な自分が悔しくてたまらなかった。
「さて……おしゃべりはここまでにしようか」
なつきの言葉を待っていたように、香苗が右手を素早く振って五百円玉を取り出した。まるで空中から物体を取り出したかのような動きだった。
「それじゃあ、この五百円玉が地面に落ちたら開始だ。いいね?」
陽子となつきが頷いたのを確認すると、香苗は五百円玉を指で弾いた。
……ぴいん、と音を立てて五百円玉が宙に舞う。
五百円玉は電灯の光を反射しながら数メートル舞い上がり、やがて重力に引かれて落下を始める。五百円玉は電灯の光を反射しながらゆっくりと地面に近づく。
――チャリン――。
落下と同時に陽子が右腿のホルスターから凄まじい速さでトカレフを抜き放つ。そして腕を伸ばす勢いを利用して瞬時にスライドを引き、銃口をなつきに向けた。が――。
「……トカレフか。随分、クラシックな物を使っているな」
なつきが笑みを浮かべながら言った。
「……どうして銃を抜かないの」
なつきは銃口を向けるどころか、まったく動こうとさえしなかった。
建物内に不気味な沈黙が流れる。静寂を破ったのは陽子だった。
トカレフの引鉄が引かれ、ハンマーが撃針を叩く。撃針が雷管を叩き、薬莢内の火薬が発火する。秒速四百メートルを超える高速で、鉄と鉛でできた弾丸が銃口を飛び出した。
一発、二発、三発――、甲高い発射音が連続して建物全体に響き渡る。
「なっ……」
正通と陽子は言葉を失った。
なつきは放たれた三発の銃弾全てをかわしていたのだ。髪をたなびかせ、スカートを翻しながらの動きは美しいと言う他なかった。
「驚くことではあるまい。動きを見ていれば、どこを狙っているのかくらいはすぐに分かる。おそらく、君の師であるヴォルガは私以上の動きができるはずだが」
陽子は信じられないといった表情を浮かべていた。
「さて、今度は私の番だ。師の技をどれだけ君が受け継いでいるのか……見せてもらおう!」
なつきは叫ぶと同時にスカートの中に隠したホルスターから素早く拳銃を抜き、引鉄を引いた。
陽子は狙いを予測し、素早く横に飛び退く。
次の瞬間、陽子がいた場所に三発の銃弾がまとめて着弾し、コンクリートの破片をまき散らした。
「くぅっ……!」
陽子は一声唸ると、なつきの胴体目がけて射撃を加えた。
「狙いが甘いな!」
なつきは身体を回転させて銃弾をよけ、そのままの姿勢で射撃を行った。
銃弾は陽子の肩をかすめ、背後の金属扉にめり込んだ。陽子は少しでも距離をとるべく、射撃しながら後ろに飛び退いた。
「逃げてばかりか、マリュートカ!」
なつきは叫びながら、なおも銃弾を放つ。
なつきの持つ拳銃はオーストリア製のシュタイアーM9‐A1。
樹脂製フレームを採用した成功作であるグロック17のコンセプトを基に、より人間工学に沿ったデザインを取り入れて設計された拳銃である。
弾倉には九ミリパラベラム弾を十五発装弾でき、グロックに比べて手に馴染みやすく、傾斜したグリップにより反動を制御しやすくなっている。
これほどの近距離においては、銃の命中精度はさほど問題とはならない。しかし、装弾数の多寡は勝敗を決する大きな要因の一つとなる。
陽子は七発目を撃ち終えた段階で素早くマガジンを抜き、予備のマガジンをグリップに叩きこんだ。
全て撃ち終えてからだとスライドが後退した状態で固定され、マグチェンジの間、完全に隙ができるからだ。
陽子は絶えず動き回っていた。少しでも立ち止まればやられるのは確実だった。
「神岡さん!」
防戦一方の陽子を前に、正通が思わず口走る。
「ふふ。もう勝負が決まるのは時間の問題かな、江原君」
笑みを浮かべる香苗の横顔を、正通はきっと睨みつけた。




