「夏の始まり、何かの終わり」(2)
「みなさぁーん! 今日は集まってくれてぇ……ありがとうございまぁーす!」
駅前に設置された特設ステージの壇上から陽子が笑顔で呼びかけると、客席からは温かい拍手と声援が返ってくる。
その中には明美とその弟の健に宏美と真紀、吉岡・長谷川の二人もいる。
「長坂さん。神岡さん、今日は調子いいですね」
正通の言葉に、長坂が笑顔で頷く。二人は舞台袖でライブの様子を見守っていた。
「自分の活躍を観てもらいたい人に観てもらえるんだ。表現者にとって、これほど嬉しいことはないさ」
正通は再び客席を見渡した。
駅前の広場は人で溢れんばかりだった。公式サイトのイベント情報を見てやって来たと思われる、若者や親子連れの姿も目立つ。
「長坂さん、よく見ると見覚えのある人がいますよ! 遊園地に来てたお客さんです」
正通が興奮気味に言うと、長坂は満足そうに笑った。
「小さなことからコツコツと……だな。ネットの力は大きい。今回は写真をたくさん撮って、公式サイトの活動記録に詳細な記事を載せよう。動画も撮っておくといいな」
「はい!」
早速、正通はステージ上に立つ陽子の姿を舞台袖からカメラに収めた。
――神岡さん、可愛くなったな。
ファインダー越しに見る、夏らしい涼しげなステージ衣装に身を包んだ陽子の姿。
溌剌とした笑顔に張りのある声。足運び一つとっても軽やかで、客席への呼びかけもテンポが良い。
失敗ばかりだった三週間前のイベントが、まるで遠い昔のことのように思えた。
「ところでっ! 今日はぁ……私の邪魔をする悪者もいません!」
客席から笑いが漏れる。
遊園地や動画でマークセプターショーを観てやって来た客も意識したトークをしようと打ち合わせをしておいたのだ。
「でもぉ! もし、そんな奴らが現れても……私がやっつけちゃいますから、皆さんは安心して今日のステージ、楽しんでいってくださいねーっ!」
再び客席からは温かい拍手と歓声。陽子は胸が熱くなるのを覚えながら、会場を見渡して言葉を続けた。
「ここで、皆さんに質問です! 朝ご飯、ちゃーんと食べてますかぁ?」
陽子の質問に対して子供達は「はーい!」と手を上げて答え、大人達は楽しそうに笑い声を上げた。
今朝は朝食抜きだったのか、困ったように笑う若者達も見られる。
「はーい! 朝ご飯はやっぱり大事ですよね! そこのお嬢ちゃん。今朝は何食べたの?」
陽子はステージの手前にしゃがみこんで、最前列で手を上げた幼い少女に笑顔でマイクを向けた。
「わたし?」
少女が少し驚いた顔で陽子に聞き返す。
「うん、そう。お姉ちゃんはね、今朝はご飯とお味噌汁と、お浸しに鯵の開きを食べたよぉ」
「わたしはパン! あと、目玉焼きと紅茶!」
やがて少女は元気な声で陽子に答えた。
「そう! パン食べたんだぁ! おいしかった?」
「ふつう!」
陽子と少女の微笑ましいやり取りに、客席のあちこちから笑い声が上がる。
「なーんか……前に会った時と違わねーか? あの娘……こんなにニコニコしてる娘だったっけ」
吉岡は困惑気味の表情で長谷川に語りかけた。
「あのー……僕と吉岡君は神岡さんのライブ、近くで観るのは初めてなんですけど、皆さんはよく観に来るんですか?」
長谷川が遠慮がちに、つい先ほど知り合ったばかりの真紀に尋ねた。
「やだなー、同い年なんだからタメ口でいいって。私達も観に来るのはこれが二回目だよ」
真紀は長谷川の肩を叩きながら、笑顔で答えた。
「あはは……そうなんですか……じゃなかった、そうなんだ。それじゃ、神岡さんが芸能活動してるって知ったのも最近なの?」
「ううん。私のクラスでは陽子ちゃんが芸能活動してるってみんな知ってたけど、陽子ちゃん、あんまりそういう話はしたがらないから。恥ずかしがり屋だしね」
真紀の隣に座っていた明美が答えると、その横に座っていた宏美が「うんうん」と頷いた。
「ふーん。恥ずかしがり屋ねぇ」
吉岡がいま一つ腑に落ちない様子で言うと、真紀は隣の長谷川に顔を近づけた。
「うわっ!」
「そういえばさ。君達、正通とは同じクラスなんだよね。学校ではいつも、どんな話してるの?」
驚く長谷川を意に介さず、真紀は質問を浴びせた。
「……真紀ちゃん、顔近いってば……」
宏美が苦笑しながら真紀を嗜めた。
明美がそんなやり取りを前に、つい含み笑いを洩らす。
「えぇと……普段の話っていうと……」
長谷川は吉岡と顔を見合わせた。
「うーん……あいつ音楽が好きだから、音楽の話とか。あとは勉強教えてもらったりとか、本とか漫画の話とか……かな?」
「……そうだね」
吉岡と長谷川が頷くと、真紀が再び顔を近づけた。
「……ホントにそれだけ?」
「え……何?」
真紀が意地悪そうな笑顔を浮かべる。
「君達も男の子なんだから、もっと色々あるんじゃないのぉ~? たとえばさ、エッチな話とか!」
吉岡はジュースを吹き出し、長谷川は顔を真っ赤にして硬直した。
「あははは! やっぱり、そういう話してるんだ! やらしー!」
「ちょっと、真紀ちゃん」
再び宏美に嗜められても真紀は一向に意に介さず、腹を抱えて笑い続けた。
「やっぱり、男同士でそういう話するんだ?」
変わって明美が、興味津々といった表情で問いかけた。健が席を離れて最前列で陽子を応援している為か、弟の目を気にせず振る舞っているようだった。
「それは、その……ん」
長谷川は言いかけて、再び吉岡と顔を見合わせた。
「なになに? どうしたの?」
そう言って、真紀が明美と共に目を輝かせる。
「いや、江原の奴とは……あんまりそういう話しないな、って」
吉岡が口元を手で拭いながら答えると、明美と真紀は顔を見合わせた。
「確かに……言われてみるとそうだよね」
長谷川が首を傾げながら呟いた。
「え~、どうして? 二人とも、江原君とは親友なんでしょ?」
「そうだけど……僕達、江原君とは中学も別だったし。よくよく考えると……江原君のこと、あんまり知らないのかも」
真紀の問いかけに対し、長谷川は戸惑い気味に答えた。
「そうなんだ。なんか、意外」
真紀は少し考え込む素振りを見せた。
「ねえ、みんな。おしゃべりはそれくらいにしようよ」
宏美が四人に声をかけ、陽子の立つステージを手で示した。明美達は「いけない」といった顔でステージに向き直る。
「よい子のみんな! 忙しい朝にご飯を用意するのは大変だから、眠くても朝は早起きしてお母さん、お父さんを手伝ってあげようね!」
「はーい!」
陽子の呼びかけに、子供達は元気に手を上げて返事をした。
「子供相手なら緊張せずにトークができるし、観客も親近感を持ってくれる。いいアイディアだったな、江原君」
「ありがとうございます!」
長坂の言葉に正通は笑顔で返した。
「それではっ! 最初の曲はぁ……お坊ちゃんもお嬢ちゃんもお兄さんもお姉さんも、お父さんもお母さんもおじいちゃんもおばあちゃんも、毎日楽しい朝を迎えられますように……『スウィート・モーニング』!」
その場でくるりと一回転。スカートを翻しながら、陽子はマイクを片手に可愛くポーズを決めた。
客席からの拍手と歓声を合図に、曲の前奏が始まる。
ユミが忙しいこともあり新曲を作るのには時間がかかる為、当分は唄い慣れた曲でライブを行うことにした。
「この歌、はっきり言って微妙ですけど。唄う前にトークでお客さんを引き付けておけば、曲の印象も違いますよね」
「ああ。今日はいけるぞ!」
正通と長坂は客席からの反応に、確かな手応えを感じていた。
1コーラスを唄い終わり、盛大な拍手が沸き起こる。
「皆さぁん! ありがとうございまぁーす!」
どこかで聴いたようなメロディと微妙な歌詞であっても、照れることなく笑顔で唄い切ってしまえば清々しい。
陽子にしても、安穏と日々を送っていたわけではない。
正通が過酷な訓練と業務に励んでいる間にもボイストレーニングとダンスレッスンに力を入れ、ダンスと歌唱力に磨きをかけていた。
吉岡や明美ら正通と陽子の友人達も、笑顔で惜しみない拍手と声援を送る。
その声に励まされ、陽子は軽やかにステップを踏みながら2コーラス目を唄い始めた。
――輝いてる……って、こういうのを言うんだろうな。
正通は胸に熱いものを感じながら、舞台袖で陽子の姿を見守っていた。アイドルとしての自信を持てず不安を感じていた陽子。
彼女に力を与えてくれたのは間違いなく、疾風なつきの言葉だと思っていた。
――私はいつか、あなたと同じ舞台で共演したい。それまでお互いに頑張りましょう――
なつきの優しい笑顔が脳裏に蘇る。そして――。
――また二人だけで、話しましょう――
自分に対するなつきの言葉は、リップサービスとは思えなかった。
――神岡さんがみんなに愛されるアイドルになれたら、僕は……いや。今は仕事に集中しなきゃ駄目だ。
大きく深呼吸をして、舞い上がる自分の心に釘を刺す。
ステージでは既に二曲目の前奏が始まり、駅前広場は大いに盛り上がっていた。
「神岡さん、お疲れ様!」
正通は満面の笑みで陽子を迎えた。
「ありがとう、江原君」
舞台裏に戻って来た陽子は正通から手渡されたタオルを笑顔で受け取り、顔の汗を拭った。
「長坂さんは?」
「向こうの居酒屋さんでジャンケン大会の打ち合わせしてるよ。僕達も行こう。お座敷で飲み物とか用意してくれてるって。商店街の人も、すごく喜んでたよ」
「……そう。よかった」
陽子は顔の汗を拭うと、大きく息を吐いた。心地良い疲れだった。
「アンコールがあったのには、びっくりしたよね。打ち合わせしといてよかったね」
「うん……」
陽子は恥ずかしそうに微笑んだ。
「江原くん、私ね」
「何?」
陽子は開きかけた口を閉じ、視線を泳がせた。
正通は陽子が話し始めるまで待った。
「……私ね、君をうらやましいなって、思ってた」
陽子は三十秒ほどの間を置いて、再び口を開いた。
「うらやましい……?」
「うん。君は無鉄砲で、見ていて危なっかしいところがあるけど。でもね、君はマネージャーとして働いてる時でも、危ない時でも同じ自分でいられるように思える。でも、私には……それができないから」
正通は思わず押し黙った。
陽子はこれまでに数え切れない命のやり取りをしている。その緊張感は、アイドルとしてステージに立つ時とは比較できないほどではないのか――。
もっと早くこの疑問に気づくべきだった……正通はそう思った。
「相手の表情や声で考えが何となく分かる、っていう話は前にしたよね」
「うん」
陽子は苦笑しながら小さくため息をついた。
「……多分、私は大勢の人に見られることを怖がってたんだと思う」
「……そう」
正通は笑顔で頷くと、陽子に背中を向けた。
「行こう、神岡さん」
「……うん」
正通はゆっくりと陽子の前を歩き始めたが、背を向けたまま口を開いた。
「神岡さんは強いし、歌もうまいよね。ダンスもできるしさ」
「え……うん。まだまだ努力が必要だとは、思うけど」
神妙な面持ちの陽子に、正通はにっこり微笑んだ。
「みんな、神岡さんを見るのが楽しみで来てるってことを忘れないで。僕も舞台袖から神岡さんを見るのが楽しいしさ。神岡さんがアイドルでいることを楽しめるようなら、お客さんも今よりもっと……楽しめるんじゃないかな」
陽子は思わず吹き出した。
「な……何?」
「生意気!」
陽子は正通の背中を人差し指で突いた。
「痛っ! 神岡さん、もう暴力は振るわないって約束したじゃない!」
正通は口を尖らせて非難した。
「ちょっと触っただけじゃない。今のは暴力じゃなくてスキンシップよ」
「……ものは言いようだなぁ」
陽子は笑った。正通との会話を楽しんでいる自分が、可笑しくて仕方なかった。




