「ファンとの邂逅」(4)
「ここ、どこ~?」
正通は東京都内の民放テレビ局の建物内で彷徨っていた。
干されていた陽子に久々に回って来た、テレビ番組のオーディション。
遊園地でのマークセプターショーの評判と、それ以前に陽子がマークセプターの主演俳優と喧嘩をしたという話に興味を持った、物好きなテレビ局のプロデューサーが話を持ちかけてきたのは、昨日のことだった。
急な話ではあったが、うまくいけば毎週金曜深夜に放送される、情報バラエティ番組の新レギュラーになれる。
緊張する陽子を励ましながら、正通は共にテレビ局へとやって来た。
しかし、結果は失敗に終わった。
プロデューサーとディレクターは緊張に固まった陽子に「駄目だこりゃ」と言い放った。
結果は後日伝えるとのことだが、レギュラー獲得を逃したことは確実だった。
大いに落胆して戻って来た陽子を正通は必死に励まし、飲み物を買いに休憩所を離れた。
そして……戻って来ると陽子の姿はなかった。
トイレにでも行ったのかとその場で十五分ほど待ったが、それでも戻らない。携帯電話も一向につながらなかった。
結局、居ても立ってもいられなくなり、陽子を探しに出ることにした。しかし、それが間違いだった。
テレビ局内部は広く、しかも迷路のように入り組んでいる。一度中ではぐれてしまえば合流するのは至難の技だ。
「十三階……か。なんか不吉だなぁ」
階段そばの階数表示を見て、正通が呟いた。人気の無い廊下の両脇には控室が並んでいる。
――神岡さんも人気が出れば、こんな控室を使わせてもらえるんだろうか?
何気なく廊下を進んでいると、ドアの開きかけた部屋があるのに気がついた。中からは蛍光灯の明かりが漏れている。
「不用心だなぁ」
おせっかいだとは思ったが、正通はドアに近づいてこれを閉めようとした。
正通がドアノブに手をかけた瞬間、内側からドアを閉めようとした少女と目が合った。
「あ……」
背中まで伸びた美しい黒髪。白く滑らかな肌と、長いまつ毛で飾られた黄金色の瞳。まるで人形のように繊細で美しい顔立ち――。
正通がこの顔を見間違えるはずがなかった。
――疾風なつきさん!
ペンタメローネのリーダーにして天才ミュージシャン。正通が憧れる疾風なつき、その人だった。
疾風なつきが目の前にいた。それも、下着姿で――。
「きゃあっ!」
なつきが可愛らしい悲鳴を上げ、胸と股間を隠す。正通は慌ててドアを閉めた。
「ごご……ごめんなさい! ドアが開いてたから閉めようと思っただけなんです! 決してそんなつもりじゃなかったんです! 信じてください! 本当に申し訳ありません!」
正通はドアを背にしながら、必死で弁解した。今後のことを考えればどうしても誤解を解いておく必要があった。しかし、一向に胸の高鳴りは収まりを見せない。
清潔感溢れる、白いレースのブラジャーに包まれた豊かな胸が、なだらかな曲線を描く白い腹部が、ガーターベルトを装着した細くくびれた腰が、V字を描く白いパンティを身に着けた下腹部が、白いストッキングを纏ったみずみずしい太腿が……瞼の裏に焼き付いて離れない。
そして呼吸をする度、鼻腔がなつきの残り香を呼び覚ました。
「はぁっ、はぁっ……! ほ、本当にごめんなさい! 疾風さん!」
数秒の間を置いて、室内から返事があった。
「君……私のことを知ってるのね?」
スピーカー越しではなく、直接聞くなつきの声。ファンとしては感涙ものだ。
「勿論です! 僕はあなたを尊敬してますから! それなのに、それなのに……本当に申し訳ありませんでした!」
「……もういいわ。わざとじゃないんでしょう? だから気にしないで。私も不用心だったわ」
なおも謝り続ける正通に対し、なつきは優しく声をかけた。
「は、はいっ! どうもありがとうございます! それじゃ僕は失礼します。本当にすみませんでした。以後、気をつけます! あの……これからも頑張ってください!」
正通が一息に言ってその場を離れようとした、その時。
「……待って」
「えっ……」
室内から呼び止められ、正通はその場に踏みとどまる。
「少しだけ、話をしない? よかったら中に入って。大丈夫よ、もう着替えたから」
中から聞こえたのは、思いがけない言葉だった。
「……今、何て」
「あなたと、お話がしたいの。駄目かしら?」
その控えめな声は、正通の耳にしっかりと届いた。
「……ほ……本当ですか?」
「こんなことで嘘は言わないわ。よかったら、ね」
耳を優しく撫でるような心地良い声。その意図は不明だが、からかっている様子はない。
これが現実とは思えなかったが、憧れのなつきの誘いを断るなど、できるはずがなかった。
「……あの、それじゃ……失礼します……」!
やがて、正通は吸い込まれるようにして控室のドアを開けた。
ドアを開けたすぐそばで、普段着に着替えたなつきが微笑んでいた。
正通の心拍数が再び急上昇する。
「それじゃ、中へどうぞ」
なつきは広い部屋の中央にあるソファを手で示した。
「本当にいいんですか?」
正通が恐る恐る尋ねると、なつきは笑って頷いた。モニター越しではなく、なつきの優しい笑顔を直接目の当たりにし、正通は感極まって涙ぐんでいた。
「どうしたの?」
それに気づいたなつきが正通を気遣って声をかける。
「す、すみません。こうして疾風さんと直接お話できるなんて、なんだかもう……」
「ありがとう……そんなに喜んでもらえると私も嬉しいわ。とりあえず座って」
「はい……失礼します」
正通は言われるままにソファに座った。
「ちょっと味気ないけど……どうぞ」
なつきはペットボトルの緑茶をテーブルに置いた。
「あっ、どうぞおかまいなく! すぐにお暇しますので」
普段は使わないような言葉が口を衝いて出た。なつきはふふっ、と笑みをこぼす。
天使のような笑顔――月並みな表現だが、正通にはまさしくそう感じられた。
「真面目なのね、君」
なつきは嬉しそうにそう言うと、正通の向かいに座った。
清潔な白のブラウスに黒のスカートという地味な服装だが、その美しさは微塵も揺るがなかった。
「いえ、そんな……はっ、申し遅れました! 僕はスヴォーロフ・プロの江原正通と申します!」
正通はポケットから名刺を出し、恭しく差し出した。なつきは「ありがとうございます」と言って両手で受け取り、興味深そうに印刷された文字を見つめた。
「マネージャーさんなのね。江原……正通君。いい名前ね」
「あ……ありがとうございます」
――なんということだろう、疾風さんが僕の名前を『いい名前だ』と言ってくれた!
なつきは正通から受け取った名刺をそっとテーブルに置くと、傍らに置いたバッグから名刺入れを取り出した。
「それでは、お返しに。ペンタメローネの疾風なつきです」
「あぁっ……! ありがとうございます……!」
感激に打ち震えながら名刺を受け取る。名刺には社名とペンタメローネのロゴマークがセンス良く印刷され、中央に『Vocal 疾風なつき』とあった。
正通は、名刺にある工夫が施されていることに気づいた。
「これは……点字ですね」
「そう。目が不自由な人の為にそうしたの。社長の提案でね」
社長とはペンタメローネが所属するクオーレの代表・真鍋公次のことであり、幅広い福祉活動をしている彼ならではの発想といえる。
さりげなく語るなつきの笑顔に、正通は言葉を忘れてしばし見とれていた。
――本当に、綺麗だ。
「どうしたの、江原君?」
心配そうな表情でなつきが尋ねる。
「いえ、ちょっと……」
正通は恥ずかしそうに目を伏せた。
「ところで……江原君、君に聞きたいことがあるの。君は私のことを尊敬していると言ってくれたけれど、それはどうして?」
やや真剣な表情になり、なつきが尋ねる。
正通は唾を飲み込み、姿勢を正した。
「僕にはうまく言葉にできませんが……疾風さんとペンタメローネは……他のアイドルや歌手とは次元が違うと思うからです」
「……江原君。人を褒める時に誰かを貶すのは良くないと思うわ」
なつきは穏やかな笑顔を浮かべながら、やんわりと嗜めた。
「……ごめんなさい、気をつけます。でも、本当にそう思うんです」
正通は膝に手を着いて謝ったが、頭を下げたままで言葉を続けた。
「ラブソングやメッセージソング……色々な曲がありますけど、僕にはどれも真実味に欠けるように思えるんです。でも……ペンタメローネの曲は違います。歌詞やメロディから、疾風さんとブランカさんの歌声、香苗さん達の奏でる音からは、真に迫るものを感じるんです。僕にとってペンタメローネの曲は……真実への扉なんです」
言い切って、正通はハッとした。いきなりこんなことを言って、変に思われないだろうか?
「真実への……扉……」
なつきは誰に言うともなく呟いた。
「それじゃ、江原君……よかったら聞かせて。君が一番好きな曲は何?」
澄んだ黄金色の瞳が正通を見つめている。
正通は大きく深呼吸し、口を開いた。
「僕が一番好きな曲は……疾風さんが作詞・作曲を手掛けた“Dromeas”です」
正通の心境は、愛する人に自らの想いを伝えるに等しいものだった――。




