表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
39/58

「ファンとの邂逅」(4)

「ここ、どこ~?」


 正通は東京都内の民放テレビ局の建物内で彷徨っていた。

 干されていた陽子に久々に回って来た、テレビ番組のオーディション。

 遊園地でのマークセプターショーの評判と、それ以前に陽子がマークセプターの主演俳優と喧嘩をしたという話に興味を持った、物好きなテレビ局のプロデューサーが話を持ちかけてきたのは、昨日のことだった。


 急な話ではあったが、うまくいけば毎週金曜深夜に放送される、情報バラエティ番組の新レギュラーになれる。

 緊張する陽子を励ましながら、正通は共にテレビ局へとやって来た。

 しかし、結果は失敗に終わった。

 プロデューサーとディレクターは緊張に固まった陽子に「駄目だこりゃ」と言い放った。

 結果は後日伝えるとのことだが、レギュラー獲得を逃したことは確実だった。

 大いに落胆して戻って来た陽子を正通は必死に励まし、飲み物を買いに休憩所を離れた。

 そして……戻って来ると陽子の姿はなかった。

 トイレにでも行ったのかとその場で十五分ほど待ったが、それでも戻らない。携帯電話も一向につながらなかった。

 結局、居ても立ってもいられなくなり、陽子を探しに出ることにした。しかし、それが間違いだった。

 テレビ局内部は広く、しかも迷路のように入り組んでいる。一度中ではぐれてしまえば合流するのは至難の技だ。


「十三階……か。なんか不吉だなぁ」


 階段そばの階数表示を見て、正通が呟いた。人気の無い廊下の両脇には控室が並んでいる。


 ――神岡さんも人気が出れば、こんな控室を使わせてもらえるんだろうか?


 何気なく廊下を進んでいると、ドアの開きかけた部屋があるのに気がついた。中からは蛍光灯の明かりが漏れている。


「不用心だなぁ」


 おせっかいだとは思ったが、正通はドアに近づいてこれを閉めようとした。

 正通がドアノブに手をかけた瞬間、内側からドアを閉めようとした少女と目が合った。


「あ……」


 背中まで伸びた美しい黒髪。白く滑らかな肌と、長いまつ毛で飾られた黄金色の瞳。まるで人形のように繊細で美しい顔立ち――。

 正通がこの顔を見間違えるはずがなかった。


 ――疾風なつきさん!


 ペンタメローネのリーダーにして天才ミュージシャン。正通が憧れる疾風なつき、その人だった。

 疾風なつきが目の前にいた。それも、下着姿で――。


「きゃあっ!」


 なつきが可愛らしい悲鳴を上げ、胸と股間を隠す。正通は慌ててドアを閉めた。


「ごご……ごめんなさい! ドアが開いてたから閉めようと思っただけなんです! 決してそんなつもりじゃなかったんです! 信じてください! 本当に申し訳ありません!」


 正通はドアを背にしながら、必死で弁解した。今後のことを考えればどうしても誤解を解いておく必要があった。しかし、一向に胸の高鳴りは収まりを見せない。

 清潔感溢れる、白いレースのブラジャーに包まれた豊かな胸が、なだらかな曲線を描く白い腹部が、ガーターベルトを装着した細くくびれた腰が、V字を描く白いパンティを身に着けた下腹部が、白いストッキングを纏ったみずみずしい太腿が……瞼の裏に焼き付いて離れない。

 そして呼吸をする度、鼻腔がなつきの残り香を呼び覚ました。


「はぁっ、はぁっ……! ほ、本当にごめんなさい! 疾風さん!」


 数秒の間を置いて、室内から返事があった。


「君……私のことを知ってるのね?」


 スピーカー越しではなく、直接聞くなつきの声。ファンとしては感涙ものだ。


「勿論です! 僕はあなたを尊敬してますから! それなのに、それなのに……本当に申し訳ありませんでした!」

「……もういいわ。わざとじゃないんでしょう? だから気にしないで。私も不用心だったわ」


 なおも謝り続ける正通に対し、なつきは優しく声をかけた。


「は、はいっ! どうもありがとうございます! それじゃ僕は失礼します。本当にすみませんでした。以後、気をつけます! あの……これからも頑張ってください!」


 正通が一息に言ってその場を離れようとした、その時。


「……待って」

「えっ……」


 室内から呼び止められ、正通はその場に踏みとどまる。


「少しだけ、話をしない? よかったら中に入って。大丈夫よ、もう着替えたから」


 中から聞こえたのは、思いがけない言葉だった。


「……今、何て」

「あなたと、お話がしたいの。駄目かしら?」


 その控えめな声は、正通の耳にしっかりと届いた。


「……ほ……本当ですか?」

「こんなことで嘘は言わないわ。よかったら、ね」


 耳を優しく撫でるような心地良い声。その意図は不明だが、からかっている様子はない。

 これが現実とは思えなかったが、憧れのなつきの誘いを断るなど、できるはずがなかった。


「……あの、それじゃ……失礼します……」!


 やがて、正通は吸い込まれるようにして控室のドアを開けた。

 ドアを開けたすぐそばで、普段着に着替えたなつきが微笑んでいた。

 正通の心拍数が再び急上昇する。


「それじゃ、中へどうぞ」


 なつきは広い部屋の中央にあるソファを手で示した。


「本当にいいんですか?」


 正通が恐る恐る尋ねると、なつきは笑って頷いた。モニター越しではなく、なつきの優しい笑顔を直接目の当たりにし、正通は感極まって涙ぐんでいた。


「どうしたの?」


 それに気づいたなつきが正通を気遣って声をかける。


「す、すみません。こうして疾風さんと直接お話できるなんて、なんだかもう……」

「ありがとう……そんなに喜んでもらえると私も嬉しいわ。とりあえず座って」

「はい……失礼します」


 正通は言われるままにソファに座った。


「ちょっと味気ないけど……どうぞ」


 なつきはペットボトルの緑茶をテーブルに置いた。


「あっ、どうぞおかまいなく! すぐにお暇しますので」


 普段は使わないような言葉が口を衝いて出た。なつきはふふっ、と笑みをこぼす。

 天使のような笑顔――月並みな表現だが、正通にはまさしくそう感じられた。


「真面目なのね、君」


 なつきは嬉しそうにそう言うと、正通の向かいに座った。

 清潔な白のブラウスに黒のスカートという地味な服装だが、その美しさは微塵も揺るがなかった。


「いえ、そんな……はっ、申し遅れました! 僕はスヴォーロフ・プロの江原正通と申します!」


 正通はポケットから名刺を出し、恭しく差し出した。なつきは「ありがとうございます」と言って両手で受け取り、興味深そうに印刷された文字を見つめた。


「マネージャーさんなのね。江原……正通君。いい名前ね」

「あ……ありがとうございます」

 ――なんということだろう、疾風さんが僕の名前を『いい名前だ』と言ってくれた!


 なつきは正通から受け取った名刺をそっとテーブルに置くと、傍らに置いたバッグから名刺入れを取り出した。


「それでは、お返しに。ペンタメローネの疾風なつきです」

「あぁっ……! ありがとうございます……!」


 感激に打ち震えながら名刺を受け取る。名刺には社名とペンタメローネのロゴマークがセンス良く印刷され、中央に『Vocal 疾風なつき』とあった。

 正通は、名刺にある工夫が施されていることに気づいた。


「これは……点字ですね」

「そう。目が不自由な人の為にそうしたの。社長の提案でね」


 社長とはペンタメローネが所属するクオーレの代表・真鍋公次のことであり、幅広い福祉活動をしている彼ならではの発想といえる。

 さりげなく語るなつきの笑顔に、正通は言葉を忘れてしばし見とれていた。


 ――本当に、綺麗だ。

「どうしたの、江原君?」


 心配そうな表情でなつきが尋ねる。


「いえ、ちょっと……」


 正通は恥ずかしそうに目を伏せた。


「ところで……江原君、君に聞きたいことがあるの。君は私のことを尊敬していると言ってくれたけれど、それはどうして?」


 やや真剣な表情になり、なつきが尋ねる。

 正通は唾を飲み込み、姿勢を正した。


「僕にはうまく言葉にできませんが……疾風さんとペンタメローネは……他のアイドルや歌手とは次元が違うと思うからです」

「……江原君。人を褒める時に誰かを貶すのは良くないと思うわ」


 なつきは穏やかな笑顔を浮かべながら、やんわりと嗜めた。


「……ごめんなさい、気をつけます。でも、本当にそう思うんです」


 正通は膝に手を着いて謝ったが、頭を下げたままで言葉を続けた。


「ラブソングやメッセージソング……色々な曲がありますけど、僕にはどれも真実味に欠けるように思えるんです。でも……ペンタメローネの曲は違います。歌詞やメロディから、疾風さんとブランカさんの歌声、香苗さん達の奏でる音からは、真に迫るものを感じるんです。僕にとってペンタメローネの曲は……真実への扉なんです」


 言い切って、正通はハッとした。いきなりこんなことを言って、変に思われないだろうか?


「真実への……扉……」


 なつきは誰に言うともなく呟いた。


「それじゃ、江原君……よかったら聞かせて。君が一番好きな曲は何?」


 澄んだ黄金色の瞳が正通を見つめている。

 正通は大きく深呼吸し、口を開いた。


「僕が一番好きな曲は……疾風さんが作詞・作曲を手掛けた“Dromeasドロメアス”です」


 正通の心境は、愛する人に自らの想いを伝えるに等しいものだった――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ