「ファンとの邂逅」(1)
時計の針が午後三時を指した。
午前中には快晴そのものだった空が、雷鳴を伴ってねずみ色に染まってゆく。
井の頭公園から吉祥寺駅に通じる道路を、人々が急かされるように歩いている。
「親父さん、降ってきそうだね」
鈴木はそう言って、持っていたアイスコーヒーのグラスをテーブルに置いた。
「夕立か。最近は『ゲリラ豪雨』とかいう風情の無い言葉になっちまったが」
守屋は二本目の煙草にマッチで火をつけると、窓の外に目を向けた。
井の頭公園近くの喫茶店は他に客もおらず、店内で聞こえるのは控えめなBGMと二人の話し声だけだった。
守屋と鈴木は入り口から一番離れた席に向かい合って座り、昼食後のコーヒーを飲みながら寛いでいた。
「ところで親父さん、煙草やめたんじゃなかったのかよ?」
「勘違いすんなって、禁煙なんざしちゃいねえ。吸わねえのは事務所の中だけだ」
守屋は一服吸い込んでから、幸せそうに煙を吐き出した。
「ウチで吸ってんの、もう親父さんだけだぜ」
鈴木は呆れたように言ってから、アイスコーヒーにクリームを流し入れた。
「へッ。おめえに言われなくても、んなこたァわかってらい」
守屋はゆっくりと煙を吸い込むと、笑いながらドーナツ状の煙を二つほど吐き出した。
鈴木は面白くなさそうに煙のドーナツを自分の息で吹き消すと、身を乗り出して守屋の顔を覗き込んだ。守屋はのけ反るようにして鈴木から身を遠ざけた。
「んだよ、気持ちわりぃなあ」
「親父さん、俺達いつまで探偵ごっこしてりゃいいんだよ?」
守屋は「ふん」と鼻で笑うと、長さが半分以下になった煙草を灰皿に押し付けて火を消した。
「んなの、社長殿がもういいって言うまでに決まってんだろうが」
「俺さ、来月から大事な舞台なんだよ、親父さん。あんまりこんなことで時間使いたくないんだってば!」
鈴木は眉をひそめ、しかめっ面で困惑と焦りを表現した。
「足りねえな」
「……は?」
守屋は三本目の煙草を取り出してくわえると、流れるような手つきでマッチを擦り、火をつけた。
「表現力が全然足りねえ。気持ちを伝えるんなら、もうちっと工夫しやがれってんだ。おめえも役者だろうによ」
「う……」
鈴木が黙り込むのを見て、守屋が幾分表情を和らげる。
「まぁ……こんだけ当たって成果ゼロだからな。おめえがイラつくのもわかるけどよ」
守屋は苦笑しながら、鈴木を労った。
鈴木は小さくため息をつくと、背もたれに寄りかかった。
「そういや親父さん。一昨日の件って、報道されてないんだよな」
「箝口令が布かれてるからな」
守屋は短い言葉で鈴木の問いに答えると、鼻から煙を吐き出した。
「あの夜に襲われた組事務所には、何度か出入りしたことがあるんだがなぁ。ま、昔の話だが」
守屋は何の感慨もない、とばかりに呟いた。
「いつの話よ、それ」
「俺がギアナから帰って来た後だから……かれこれ二十年以上前だな」
守屋は火のついたままの煙草を灰皿に置くと、すっかりぬるくなったコーヒーを一口すすった。
「親父さんが用心棒やってた頃の話か」
「ああ。ドラマの端役と声優のギャラじゃ食っていけなかったからよ。ちょうど、その時の雇い主と一緒にお呼ばれしてな」
そう言って守屋は口元を歪ませる。
鈴木はその表情から、おおよそ何があったのかを察した。
「その割には、親父さんのこと知ってる奴はいなかったみたいだけど」
「組長以下、あの頃からいる奴はみんなくたばったからな。ドタマぶち抜かれて転がってた、片腕の野郎がいたろう? いつの間にか若頭になってたみたいだが、あいつも二十年前は使い走りの小僧だったんだぜ」
守屋は煙草をくゆらせながら、「ふん」と鼻で笑った。
鈴木が再び眉をひそめる。
「そんな顔すんなよ。連中は間違っても他人に同情されるような立場の人間じゃねえ。どのみち、ろくな死に方はしなかったろうよ」
守屋は右手で拳銃の形を作って、自らのこめかみを撃つ真似をして見せた。
「……それもそうか。現にあの組は委員会のリストに登録されてたわけだし」
「そういうこった。その仕事が俺達に回ってくることだってあり得る」
守屋は冷たい笑みを浮かべると、コーヒーカップを大きくあおった。
「マスター。コーヒーのお替り頼まあ」
「はい」
カウンターの隅に座って新聞を読んでいた初老のマスターは返事をすると、立ち上がってコーヒーポットを手に取った。
マスターがコーヒーポットに水を注いで火にかけるのと同時に、再び雷鳴が轟く。やがて、空気を切り裂くような音を伴って大粒の雨が降り始めた。
「ところで、鈴木よ」
「何?」
守屋の目が、不意に鋭いものに変わった。
「例の奴らは相当な手練だ。そんじょそこいらの殺し屋とは訳が違うぞ」
「……わかってるよ。最初に現場を見た時、とても俺なんかじゃ勝てそうにない相手だと思った」
鈴木が伏し目がちに答えると、守屋は煙を吐き出しながらゆっくりと頷いた。
「あの手際は殺し屋てぇよりも、兵士のそれだ。何度も死線をくぐり抜けた、筋金入りのな。あの無駄のねえ仕事……武井の手際を思い出す」
鈴木は思わず身震いをした。
鈴木はこの世界に足を踏み入れた頃に一度だけ、武井と共に仕事をしたことがある。
武井は緊張を隠せない鈴木に一言「よく見ておけ」と言って、瞬く間に目標とその護衛を皆殺しにした。
その時、鈴木は恐ろしさのあまり身動き一つできなかったことを覚えている。
反撃の暇を与えない、一方的な殺戮だった。
「まさか……武井さんの弟子とかじゃないだろうね」
「ハッ。あいつにお嬢ちゃん以外の弟子がいるなんて話、俺ァ聞いたことがねえぞ」
守屋は鈴木の言葉を一笑に付した。
「日本国内ではそうかも知れないけど……海外ではわからないだろ? そもそも、武井さんは元々、海外で戦ってたわけだし……」
「……で? 武井に鍛えられた他所の国の弟子が、わざわざ日本くんだりまでやって来て、俺達に喧嘩を売るってか。馬鹿も休み休み言え」
「あり得ない話じゃないだろ?」
尚も食い下がる鈴木の目を、守屋は上目遣いに見据えた。
「おい、さっきから何言ってやがる。そんなにあいつが怖いか」
守屋の射るような視線を受けて鈴木は一瞬たじろいだが、やがてため息をついて小さく頷いた。
「……ああ、怖いよ。処刑人『ヴォルガ』を間近で見て、怖くないわけないだろ……!」
鈴木は唸るように口走ると、グラスをあおって氷を噛み砕いた。
「……その刃が俺達に向けられているならな。だが、その心配はねえ」
「どうして、そんなことが言えるんだよ?」
鈴木の声は震えていた。
「……もし武井が俺達を敵と見做した時には、回りくどいことはせずに問答無用で殺しに来るだろうよ。社長一同、誰もあいつに殺されなかったってことは、武井は俺達を敵と見做していなかったってことさ」
「でも――」
鈴木の言葉を守屋は手を上げて遮った。
「武井はともかく弟子の方はどうかわからない、フリーランスの殺し屋になって日本で仕事を受けている奴がいるかも知れない、とでも言いたいんだろう? 推測でモノを言うのはその辺にしとけ」
鈴木は再び黙り込んだ。
「ちったぁ仲間のことを考えたらどうなんだ。お前、今の話をお嬢ちゃんの前でもできるか?」
守屋はそこで言葉を区切り、鈴木の反応を窺った。
「陽子ちゃん……か。そうだよな。俺……何言ってんだろ」
鈴木はうつむきながら呟いた。言いたくても言えなかった本音を吐き出したことで、ようやく落ち着きを取り戻したようだった。
「敵が見えないからって不安になるのはしょうがねえけどよ。そんなことで疑心暗鬼に陥ってどうする」
「……すいませんでした」
鈴木が頭を下げると同時に、マスターがコーヒーを持ってやって来た。
「お待たせしました」
「おっ、ありがとう」
マスターはカップ&ソーサーをテーブルに置くと、身を屈めて守屋に耳打ちした。
「例の件はこちらでも引き続き情報収集を続けますので。委員会からの連絡も逐次お伝えします」
「頼むぜ。情報が入ったら二十四時間いつでも連絡をくれよ」
マスターは大きく頷くと、空になったカップ&ソーサーを手に取った。
「連絡方法はいつものですね」
「ああ。用心に越したことはねえからな」
マスターが再び頷いたところで、来店を知らせるベルが鳴った。上着を濡らした若い男女が慌てて店内に入って来るのが見えた。
「いらっしゃいませ。少々お待ちください。今、拭く物をお持ちしますので」
「あ、ありがとうございます!」
マスターは早歩きでカウンターの奥に入り、大判のタオルを二枚取り出した。
守屋はマスターと客のやり取りを無言で見守っていたが、やがてコーヒーのカップを手に取ると静かに口に運んだ。
「親父さん、そろそろ行こうぜ」
「わかってるよ。この一杯を飲み終わったらな」
守屋は幸せそうにコーヒーを一口すすると、小さく息を吐き出した。
「そういや親父さん、今度の『ウルトラロボット大戦』に出るって聞いたけど」
「ん? ああ、俺が出てた『オメガフレイム』が参戦するからな」
鈴木は肩をすくめてため息をついた。
「いいよなー、当たり役があって」
「当たり役たってなあ、あくまでも声の出演だ。俺の顔を知ってる奴なんざ、そうそういやしねえよ」
守屋はカップを持ったまま苦笑した。
「……顔は、ね」
「…………?」
一瞬、守屋は鈴木の言葉の意味を量りかねたが、後ろから聞こえる足音でそれを理解した。
「あの……失礼ですが、森山陣さんですよね?」
控えめな男の声に守屋が振り向くと、先ほど店内に入ったカップルが目を輝かせながらこちらを見ていた。
森山陣――守屋の芸名だった。
「ああ、そうだけど」
守屋の言葉に、カップルは嬉しそうに顔を見合わせた。
育ちの良さそうな眼鏡をかけた二十歳前後の青年と、それよりやや幼く溌剌とした少女。服装や雰囲気からすると、大学生か専門学校生のようだ。
「お会いできて嬉しいです! 僕と彼女は森山さんのファンなんです!」
「そいつはどうも。それにしても、よく分かったね」
守屋は満更でもない、といった表情を浮かべながら両手をおしぼりで拭くと、さりげなく右手を青年に差し出した。
「あっ! ありがとうございます!」
青年は心を込めて守屋の手を握り締めた。
「ダルカン将軍の声が聞こえたので、もしかしてと思って!」
「ははは、そうかいそうかい」
青年が十秒近い守屋との握手を終えると、隣の少女が歩み出た。
「わっ、私もいいですか!」
「言うに及ばず」
守屋が低い声で呟くと、身を震わせて青年の方を振り向いた。
「テッちゃん! 聞いた聞いた? 白起将軍の台詞だよぉ! 白起将軍の将軍ボイス、生で聞いちゃったよぉ!」
「すごいよ! 生将軍だよ、レイちゃん!」
九十年代のロボットアニメ『灼熱戦士オメガフレイム』の敵キャラクターであるダルカン将軍。そして春秋戦国時代が舞台の人気TVゲームシリーズ『東周覇王伝』に登場する秦の白起将軍。これらが声優・森山陣の演じた代表的キャラクターだった。
近年のリバイバルブームによって『オメガフレイム』は関東のローカル局で再放送され、やや遅れて動画投稿サイトでの配信も行われた。『東周覇王伝』で若い世代にも知名度が高まっていたことも重なり、ベテラン声優・森山陣はここに来てアニメファンとゲームファンの間で人気を獲得していた。
大はしゃぎする二人の姿を目の当たりにし、鈴木は例えようのない居心地の悪さを感じていた。
「ありがとうございますぅ! ホントに嬉しいですぅ!」
「恐悦至極に存ずる」
少女の手を握りながら守屋が再びゲーム中の台詞を言うと、少女は顔を綻ばせて大喜びした。
「……失礼します。お席はどちらに?」
気がつくと、二人の後ろに立っていたマスターが水とおしぼりをトレーに乗せて立っていた。
「あ……」
青年が守屋と鈴木の座っている四人がけの席をちらりと見てから、
「……じゃあ、そこの――」
と別の席を指差したところで、突然鈴木が席を立った。
「親父さん! 俺、先に出るから! マスター。勘定は親父さんのと一緒でお願いします」
言うが早いか、鈴木は足早に店を飛び出してしまった。
「おいおい……」
「ありがとうございました」
マスターは何事もなかったように鈴木の背中に挨拶をした。
「兄さん方、よかったらこっちに座らないか」
「えっ……?」
呆気にとられて佇んでいた二人に、守屋が鈴木の座っていた席を示した。
「迷惑じゃなけりゃ、の話だが」
守屋の言葉に青年と少女は顔を見合わせ、目を輝かせた。
「迷惑だなんて、とんでもないです! 本当にいいんですか?」
「……言うに及ばず」
「わ~! ありがとうございます~!」
大はしゃぎの二人をよそに、マスターは「今、片付けますので」と言って鈴木が座っていた席を瞬く間に片付けた。
「どうぞ」
「すみません」
青年は少女とほぼ同時にマスターに礼を言うと、少女を奥の席に座らせた。
「ご注文がお決まりになったらお申し付けください」
マスターは水とおしぼりをテーブルに置くと、カウンターへと戻って行った。
守屋と向かい合って座った二人は興奮を隠し切れない様子だった。
「……ありがとうございます。ところで、さっきの方は森山さんの付き人ですか?」
少女が守屋に問いかけた。
「……いや。あいつは俺の弟子だよ。まだまだ半人前でね、手のかかる奴さ」
「お弟子さん……」
守屋は苦笑しながら頷いた。
「あの……お弟子さんは僕達を気遣って、席を空けてくれたんですよね。できましたら、僕達がお礼を言っていたと伝えていただけませんか?」
青年は爽やかな笑顔で言った。
「言うに及ばず」
守屋は青年に負けない、清々しい笑顔で応えた。




