「ファンクラブをつくろう!」(3)
鼓膜を大きく震わせる銃声。
一瞬の煌めきを残して舞い上がる、真鍮製の薬莢。
手首から肩まで伝わる衝撃。
そして、硝煙の匂い――。
鰻の寝床のようなトンネル状の空間の奥、二十メートル先の目標に照準を合わせ、再び引鉄を引く。
乾いた発射音を伴い、同心円が描かれた紙製のブルズアイ・ターゲットの中心を銃弾が通り抜ける。
――命中。
この距離であれば、片手撃ちでも狙いを外すことはない。
もう一度ターゲットの中心に狙いを定め、引鉄を引く。
発射音と衝撃波がコンクリートの壁を叩き、反響がシューティングレンジの内部を駆け巡る。
やがてその反響が完全に収まると、シューティングレンジに静寂が訪れた。
陽子の手に握られたトカレフは既に全弾を吐き出し、スライドを後退させた状態で固定されている。
陽子は構えを崩すことなくターゲットに照準を合わせていたが、やがて銃口を下げ、右手の親指でマガジン・キャッチボタンを押して左手で空のマガジンを抜き取り、トカレフをそっと射撃台に横たえた。
台に備えられたリモコンを操作すると、二十メートル先に吊り下げられた紙製のターゲットが天井のレールを伝って目前まで移動して来る。
ターゲットを外して手に取った陽子の表情が、にわかに曇る。
全弾、一つの穴を通したはずだったが、うち二発が中心に開いた穴から上にはみ出していた。
ちょうど、直径三センチほどの円の右上と左上に、小さな半円がくっついたような形。子供が描いた熊のイラストのようなシルエットだ。
――集中力が、欠けている。
陽子は心の中で呟いた。
武井が失踪してから二週間が経った。当面の間は『もう一つの業務』に携わることなく、アイドルとしての活動に専念することにしているが――。
依然として、不人気アイドルという立場は変わらない。
先日の遊園地での出来事は特別なケースであって、今後出演を予定しているイベントであそこまで観客を沸かせることができるかといえば、まったく自信は持てない。
武井には遠く及ばないものの、処刑人としての実力には自信を持っている。
しかし、アイドルとしては――。
それに加えて、今日届いたあのメールである。
事務所にやって来た陽子はトドロキ・エンターテイメントの原から会社宛に届いたメールに目を通した。
「……面白くねェな」
近江が低い声で呟いた。
届いたメールにはこうあった。
『マークセプター』番組本編の撮影で問題を起こした陽子を遊園地のショーに参加させたことに対し、番組制作サイドからトドロキと遊園地にクレームが入った。そして、もう二度とマークセプターショーに陽子を出演させないよう要求されたという。
「仕方ないですよ、近江さん。まさか本当のことを話すわけにもいきませんし」
アンドレがやんわりと近江をなだめていると、ユミが紅茶を盆に載せて持って来た。
「トドロキさんもいい迷惑よねぇ。巻き込まれただけなのにぃ」
原のメールによれば、MCがショーの中で陽子を「マークセプターの新しい仲間」と紹介したことで、制作会社や配給元、テレビ局にも問い合わせがあったという。
ショーの観客だけでなく、動画投稿サイトで陽子の活躍を観たネットユーザーからも問い合わせがあったらしく、陽子と喧嘩をした主演俳優の所属事務所にもその事実が知れ、火消しに追われた番組プロデューサーが腹を立てているとのことだった。
そして、スヴォーロフ・プロ公式サイト内にある陽子の活動記録に目をつけ、マークセプターショー出演の記事を削除させるように要求してきたという。
動画投稿サイトにあったマークセプターショーの動画は再生数二万回を超えていたが、『権利者の申し立てにより削除』されていた。
「文句があるなら事務所に直接抗議してくりゃいいのに、回りくどいことしやがって。ウチみたいな弱小芸能プロダクションと話す口は持たないってか? 馬鹿にされたもんだぜ、まったくよ」
アンドレになだめられても、近江の怒りは収まらないようだった。
「近江さん……ありがとうございます。でも、いいんです。私があの時、撮影の邪魔をしたことは事実なんですから」
陽子は寂しく笑った。
メールからは原も難しい立場であることが読み取れた。
原にとって陽子と正通は恩人である。頭ごなしの要求は悔しいが、従わざるを得ない――間接的にそういった内容が書かれていた。
そして、メールにて済ませるのは申し訳ないので、直接出向いて事の経緯を説明したいとあった。
文面の端々には、こんなことを言いたくてメールを送ったのではない、と言わんばかりに陽子と正通への感謝の言葉が綴られていた。陽子としても面白くないのは同じだが、原が誠意と感謝の意を表してくれたことが嬉しかった。
「よせよ、そんな言い方は。子供を泣かせるような野郎にヒーローの資格はねェ。陽子ちゃんは何も間違っちゃいないぜ」
アンドレは無言で頷いて近江の言葉に賛意を示した。
「私も大ちゃんの言う通りだとは思うけどぉ……こればっかりは仕方ないわねぇ。芸能界は大人の事情で回ってるんだからぁ。それにぃ……」
「それに、なんだよ?」
「私達の仕事の半分は『テレビの裏側』よぉ。表の世界に知られてはいけないことがある以上、こういうことにも耐えなきゃ……ね」
近江は不満ありげに唸ったが、それ以上口を開こうとはしなかった。
事務所の地下に設けられたシューティングレンジは静かな上にユミの許可がなければ立ち入ることができない為、落ち着いて考え事をするには都合のいい場所だった。
陽子は台の上でトカレフを分解しながら、遊園地での戦いを総括していた。
第一に、あの時の状況は最初から最後まで、偶然に偶然が重なった稀なケースであること。
第二に、自分は決してショーのつもりでステージに上がり、テロリスト達を倒したのではないということ。
第三に、自分には日常と非日常が交錯する状況において、全体をまとめるだけの視野の広さと臨機応変さが不足していること。
処刑人としてプロフェッショナルの意識を持ちながら、アイドルとしてのそれを持てず、日常と非日常のアンバランスを解消できない。
――江原くん……。
心の中でその名を呼ぶ。
その気になれば、一人であの連中を倒すことは造作もないことだった。
しかし、何事もなかったかのようにあの場を収めるのは不可能だったろう。寧ろ、かえって騒ぎを大きくした可能性が高い。それに対し――。
――江原くんはきっと、日常と非日常を一つの次元で捉えている。殺し合いはおろか、ろくに喧嘩をしたこともない少年があの状況であそこまで冷静でいられるなんて、普通ではまず考えられない――。
スライド右側面のクリップを外し、スライドストップレバーを左側面から引き抜く。フレームとの結合が解かれたスライドを前進させ、するりと取り外す。
数え切れないほど繰り返した、トカレフの分解・組み立て。
目隠しをしたままで一分以内にそれができるようになったのは、まだ小学五年生の頃だった。
今では銃を身体の一部のように使いこなせる陽子だが、それでも影の世界はあくまで非日常の領域と割り切っている。
スライド内部のリコイルスプリングを外し、スライドから抜き出した銃身にブラシを差し込んで火薬カスが残らないよう内部を丁寧に磨く。磨き終えたバレルの中を覗き込むと、陽子は小さく頷いた。
リコイルスプリングは油を含ませた布でよく拭い、シリコンオイルをスプレーで吹きかける。排莢・装填をスムースに行う為の重要な部品だ。
――江原くんも銃の分解・組み立て程度はユミさんから教わってるんだったな。実弾射撃はまだだと言っていたけれど。
陽子の脳裏に、スクラップヤードでの戦いが蘇る。
まるで見えない何かに突き動かされるように突如走り出し、銃を手にして敵を撃とうとした正通の後姿。
実際に敵と対峙すればさすがに冷静ではいられなかったようだが、走り出してから銃を構えるまでの動作には一切の無駄がなかった。
――あの時、私が止めていなければ江原君は……。
陽子はそれ以上考えるのをやめ、グリップの内部にドライバーの先端を差し込んで木製のグリップパネルを取り外した。
グリップパネルを手に取り、しばし無言で見つめる。
無垢のローズウッド材に滑り止めのチェッカリングを細かく刻んだ、武井手製のグリップパネル。
初めて受け取った時の色はレッドブラウンだったのに、使い込んでいるうちに黒ずみ、気がつけばダークブラウンになっていた。
丁寧に磨かれ、青く美しい光沢を放つスライドやフレームは一見、新品のようだ。それに対して、木製のグリップパネルだけが使い込まれた年月を感じさせる。
戦いの場ではいつも手の中にあり、文字通り血と汗を吸い続けてきたグリップパネル。
陽子は静かに目を閉じると左右のグリップパネルを両手で包み込み、胸の前でそっと握り締めた。
陽子は汗を吸ったトレーニングウェアを脱ぎ、畳んで脱衣かごに入れた。
難燃素材のウェアは鼻を近づけると硝煙の匂いがする。きっと髪にも匂いが付いているだろう。
髪に二、三度手櫛を入れてから、下着も脱ぐ。
一糸まとわぬ姿になると、Aカップのブラジャーを面白くなさそうに人差し指で弾いた。
下着も畳んで脱衣かごに入れると、陽子はシャワー室のガラスドアを開けた。
シューティングレンジの隣にはシャワー室が設けられており、実弾射撃を行った後は必ずシャワーを浴びて別の服に着替えるよう、スヴォーロフ・プロでは義務付けられている。
鏡に映った自分の姿を見て、ため息を漏らす。
この貧相な胸のどこがバスト八十三なのだろう――。
つい魔が差してプロフィールに虚偽のサイズを書き込んでしまった、過去の自分を責める。
――なんで、あんなつまらない嘘をついちゃったんだろう。
服を着ていれば誤魔化せるが、水着を着れば嘘がばれる。そんな仕事はやりたくないが、これではグラビア撮影の仕事を取ることもできない。アイドルとしての選択肢を狭めているのは、他ならぬ自分自身なのだ。
陽子は再びため息をつくと、水温を四十三度に合わせてバルブをひねった。
地下のシューティングレンジから一階のロッカールームへと続く階段を上がり、隠し扉を開けると、事務所から近江と正通の談笑する声が聞こえた。
隠し扉を施錠してロッカールームから出ると、パソコンに向かっていた正通と目が合った。
「あっ! 神岡さん、おはよう!」
「……来てたんだ」
笑顔の正通に対し、陽子は素っ気なく応えた。
二人のやり取りに、正通の後ろに立って画面を見ていた近江が苦笑する。
「なんだか元気ないね。原さんから届いたメールのこと?」
正通は屈託のない笑顔で尋ねた。
「……別に。アンドレさんは翻訳の仕事の打ち合わせがあるって言ってたけど、ユミさんも外出?」
陽子は正通と目を合わせようとしなかった。
「ユミさんは委員会に報告しに行くって出かけたよ。その後で社長と合流してから戻って来るって。ところで神岡さん、ファンクラブを作ろうと思うんだけど」
「……ファンクラブ? 誰の?」
正通が目を丸くして二、三度瞬きをした。
「誰のって……陽子ちゃんのファンクラブに決まってるじゃねェか」
近江が呆れた表情で言った。
「わ……私の?」
陽子が驚きの声を上げると、正通がにっこり笑って頷いた。
「前に一度、僕の学校の友達に会ったでしょ。覚えてるかな? そのうちの一人、長谷川っていうんだけど」
「確か栗色の髪の、弱そうな子?」
陽子の言葉に正通は一瞬、顔をひきつらせたが、気を取り直して話を続けた。
「本人の前ではそんなこと言わないでよね、あいつも気にしてるんだから……それはともかく、長谷川がファンクラブがあったら入りたいって言ったんだ」
「つまり、それって……長谷川君は私のファン……ってこと?」
正通は再び笑って見せた。
「他に何があるの。長谷川は冗談でそういうことを言う奴じゃないよ。マークセプターショーの動画、もう消されちゃったけど……あいつも観たんだって。とっても格好よかったって言ってたよ」
「そ、そう……ありがとう」
陽子は素っ気なく言うと、頬を赤らめて目を伏せた。
同年代の少年が自分のファンになったという事実がいま一つ実感できないのと同時に、恥ずかしかった。
「なぁに、照れてンだよ」
近江がにやにやしながら言った。
「照れてなんかいません!」
陽子は間髪入れずに応えた。
「おお、怖え怖え。正通よォ、確かこういうの、ツンデレって言うんだよな?」
「あはは、そうですね。子供好きのくせに子供が嫌いとか言ってるし。そうだ、これからはツンデレキャラもオマケするといいかも!」
正通は閃いたとばかりにぽん、と手を打った。
「ふふん、面白えじゃねェか。陽子ちゃんの場合はニコニコしてるよりもその方が受けるかも知れねえな」
「勝手に変なキャラ付けしないでよ……人を何だと思ってるの!」
呆れ半分、怒り半分といった顔で陽子が声を上げると、正通は「ごめん、ごめん」と謝った。
近江はつまらなさそうに口を尖らせたが、再び画面の中に目を向けた。強面の近江が時折見せる、子供のような態度は非常に滑稽だった。
「ところで、二人で何を見てるの?」
「ああ。ファンクラブ設立と運営の参考になるかと思って、色んなアイドルのファンクラブのウェブサイトを見てたんだよ」
正通は楽しそうに答えた。
「まァ、会員になりゃチケットの優先権やらメールマガジンやらがもらえるってのが大体の相場だなァ。人気アイドルだと年会費を取るところだろうが、ウチの場合はンなことできねえわな」
「今の私の活動内容でお金を取れるわけないですからね……」
陽子は幾分沈んだ声で言った。
今のところ、陽子が出演しているのは主に入場無料のイベントばかり。
チケットも優先権もあったものではない。メールマガジンで最新情報を配信したりするのが関の山だ。
「日本の人気アイドルは一通りチェックしましたけど、海外のアーティストなんかはどうなんでしょうね?」
「そうだな、それも調べてみようぜ」
正通はキーボードを叩き、『Enter』キーを押した。
「あれ……?」
正通が調べようとしたのはイギリスの若手男性ポップスグループのファンクラブだったが、入力したスペルと検索結果に表示されたスペルが微妙に違っていることに気がついた。
「エフ、エー、エヌ……?」
正通はスペルを声に出して読み上げた。
自分が入力した文字は“fun”……『楽しみ』『おふざけ』を意味する言葉だ。それに対して……。
「どうかしたの?」
陽子が画面を横から覗き込んだ。
「エフ、ユー、エヌ……? 江原くん。君は『ファン』ってどういう意味の言葉だと思ってたの?」
「え……ファンはファンでしょ?」
正通は何を言っているんだと言わんばかりの表情で返した。
「そうじゃなくて……」
「『ファン』って言葉の語源を知ってるか、ってことだよ」
近江が陽子の言葉を意訳した。
「語源っていわれても……綺麗な人や格好いい人の周りに集まって楽しい……とかじゃないの?」
戸惑いながら答えた正通に、陽子が眉をひそめる。
「不正解。『ファン』は“fanatic”の略よ。『狂信者』『熱狂者』って意味。それを考えると、よく言う『熱狂的なファン』なんて言葉は重ね言葉ね」
「ファナ……ティック……」
陽子の言葉を繰り返し、正通は妙な寒気を覚えた。
「ファナティック……か」
時計の針は午前零時になろうとしていた。
正通は自室で父のお下がりの英和辞書を広げていた。陽子の言う通り、“fanatic”には『熱狂者・狂信者』とある。
「そういえば……」
ふと正通は、これに似たスペルの言葉があることを思い出した。
ページを手繰る指は“L”から始まる言葉の一群に向かった。
「“lunatic”……ルナティック……狂人。精神異常者……」
ゲームなどでよく聞くその言葉。語源の“Luna”は月の女神の名前だったと記憶していたが、“tic”がついただけでこうも変わるとは。
神秘的な語感の言葉がこんな意味だったとは知らず、正通は少なからず衝撃を受けた。そして……。
――「昔は月から発する霊気を浴びると気が狂うとされたことから」――
補足説明を読んで真っ先に脳裏に現れたのは、夜の公園で出会った赤い瞳の少女――。そして、あの夜は見事な満月だった。
――月の霊気のせいで、僕はあんな幻を見たっていうのか? まさか。
正通は大きな音を立てて辞書を閉じると、カーテンを閉めた。
夜空に浮かぶ月が見えないように。月の光を浴びないように――。




