「ファンクラブをつくろう!」(2)
「江原。調子、どうだ?」
耳に馴染んだ声に、ゆっくりと目を開ける。
「あ……吉岡」
吉岡がベッドの横から心配そうに正通の顔を覗き込んでいた。
後ろには、同じく心配そうな顔をした長谷川が立っているのが見える。
「長谷川……さっきはありがとう」
長谷川は笑って首を横に振ると、身を屈めて視線を正通と同じ高さに落とした。
「まだ顔色が良くないよ。もう少し休んでた方がいいんじゃない?」
「……そうかな」
目覚めたばかりということもあるだろうが、身体がだるく、力が入らない。
「無理するなよ。後でノート見せてやるからさ」
「うん……」
短く答えると、正通は大きくため息をついた。
安堵から来るため息だった。眠っている間に、あの悪夢の続きを見ることはなかった。
「じゃ、そろそろ行くわ。先生には伝えておくから」
「また後でね、江原君」
「うん……二人とも、ありがとう」
吉岡と長谷川は軽く手を振ると、カーテンを閉めて保健室を出て行った。
正通はドアが閉まる音を確認すると、再び目を閉じた。
――僕は卑怯者だ。
正通は自分を責めた。
中学二年生の冬。想いを寄せていた藤原梓と両想いだったことを知った。しかし、彼女と恋人同士にはならなかった。
梓と瑞樹の会話を聞いてしまった翌日から、正通は梓とそれまでのような会話ができなくなった。自らの過去に触れられるのではないかと、梓の声に怯えるようになった。
梓は当初の間、正通の態度が変わったことを照れ隠しのようなものと受け止めていたが、日を追うごとに寂しげな表情を見せるようになった。
そんなある日、正通は瑞樹に呼び出された。
「江原君。最近、梓の様子がおかしいんだけど……何かあったの?」
正通はただ無言でうつむくことしかできなかった。
瑞樹は正通から何らかの言葉を引き出そうとしたが、正通は口を開こうとはしなかった。
その態度から何かを察したらしく、やがて瑞樹は諦めてその場を立ち去った。
梓はその後、正通の前で努めて明るく振る舞うようになった。
正通は梓の笑顔を見る度、時折見せる寂しげな表情を見る度に胸を痛めた。
しかし、正通には自らの過去を語ることも、自らの好意を伝えることもできなかった。
二人は気まずい空気に耐えながら、それでも風紀委員会の仕事を滞りなくこなした。
「江原君、もうすぐ三学期も終わりだね」
三月のある日。風紀委員の仕事も終わり、二人だけの教室で梓はさり気なく正通に語りかけた。
「……そうだね」
「クラス替えしたら……江原君とは別のクラスになっちゃうのかな」
これが梓にとって精一杯の言葉なのだとわかった。しかし――。
「……そうかも、知れないね」
正通は梓の顔を見ずに応えた。
それから数秒後、梓は顔を覆って教室から走り去った。
「……藤原さん!」
正通は声をかけたものの、梓を追いかけることはできなかった。
翌日、梓は学校に来なかった。
瑞樹は何か言いたげな表情で正通を見ていたが、問い詰めようとはしなかった。
二日後に梓は登校し、正通にも笑顔を見せた。しかし二人の関係は次第に気まずくなり、三年のクラス替えと共に自然解消してしまった。
――藤原さん、あの時はごめん……。
正通は心の中で梓に詫びながら、目を閉じて当時の状況に思いを巡らせた。
本当に梓が好きなら、包み隠さずに全てを話すべきだったのだろうか。それとも、適当に誤魔化して付き合えばよかったのだろうか?
――藤原さんは今、どうしてるんだろう。もう彼氏がいるかも知れないな。
心の中にふと生じた疑問と共に、制服を着た梓の姿が蘇る。
美しい黒髪と端正な顔立ちに清楚な雰囲気を持っていた梓。あれから二年の月日を経て、今では更に魅力的な美少女になっていることだろう。
梓が高校生になった姿を思い浮かべ、正通は息を飲んだ。心に描いたその姿は、あまりにも憧れの人に似ていた。
――僕が疾風なつきさんに憧れているのは……藤原さんのことを引きずっているからなんだろうか?
高校の制服を着た梓の姿が、ステージ衣装を着た疾風なつきの姿へと変わってゆく。
正通は再び息を飲んだ。心の中に現れた疾風なつきは喪服を思わせる黒いドレスに身を包み、赤く光る瞳でこちらを射すくめていた。
「…………ッ!」
正通は幻影を打ち払うようにかぶりを振り、顔の上まで布団を引き寄せて暗闇の世界へ逃げ込んだ。
昨日の夜に見た光景は何だったのだろう。
憧れの疾風なつきと同じ姿、同じ歌声を持つ少女。自分だけにその姿を見せ、その歌声を聴かせてくれた。
それは、幻影だったのだろうか? 幻影でないとすれば、誰だったのだろうか? 思いを巡らせるうちに、正通の意識は落ちていった。
「……江原君、帰ろうよ」
再び目を開けた時、側にいたのは長谷川だった。
「あ……長谷川……」
「さっきも来たんだけど、よく眠ってるみたいだったから。さっきよりは顔色、良くなったみたいだよ」
そう言って長谷川は微笑んだ。
「もう授業も終わったから、帰ろうよ。吉岡君が『無理するな』って言ってたよ」
「そっか……ありがとう」
正通はゆっくりと身体を起こした。
「鞄は持って来たよ」
「……ありがとう」
正通が右手を差し出すと、長谷川は首を横に振った。
「駅まで僕が持つから」
正通は頭を下げ、長谷川の好意に素直に甘えることにした。
「吉岡君が言ってたよ。『あの娘のマネージャーは大変だろう』って。ひどいこと言うよね」
帰り道で、長谷川が何気なく口にした。
「そ、そうだね……」
吉岡の言葉は否定できなかった。始めたばかりの頃はしょっちゅう殴られていたのだから。
「僕は……格好いいと思うよ、神岡さん」
「え……」
正通が歩みを止めると、長谷川も歩みを止めた。
「ネットで観たんだけどさ。神岡さんが出てた遊園地のヒーローショー、すごく格好よかったよ」
長谷川はにっこりと微笑んで言った。
「……観てくれたんだ」
「江原君も戦闘員と戦ってたね。マネージャーって、ああいうこともするんだね」
「あー、うん、まあ……」
正通は苦笑した。本当のことを話したら、一体どんな顔をするだろう。
「こんなこと言うのは失礼だけど……神岡さんって人気ないの?」
長谷川は遠慮がちに尋ねた。
「……うん。メディアへの露出は少ないし、何せ知名度が低いから。前に会ったから分かると思うけど、無愛想だしね。それに神岡さん……あれで結構ドジなんだ。前に行った商店街のミニライブの時なんか、舞台袖にマイクが飛んで来たし。ヒーローショーの時も、うまくいくかどうかハラハラしたよ」
正通の言葉に、長谷川は目を輝かせて聞き入っていた。
「でもさ、ああ見えて神岡さんは優しいところもあるんだよ。子供好きだしね。そのくせして自分では『子供はうるさいから嫌い』なんて言うんだ」
「あはは。ツンデレなんだね」
長谷川は楽しそうに言った。
「ツンデレ……かぁ。言われてみると、そうかも」
ツンデレ。アニメやゲームではよく使う表現だが、身近にその好例がいた。
にわかに込み上げる可笑しさに、つい含み笑いを漏らした。
「江原君。マネージャーの仕事、楽しいんだね」
「……えっ? ど、どうして?」
長谷川は正通と目を合わせ、微笑んだ。
「だって、すごくいい顔してるんだもの」
「え……」
正通は思わず顔を逸らした。面と向かってこんなことを言われると恥ずかしい。
「神岡さん、これから人気が出ると思うよ。ああいうアイドルって、これまでいなかったと思うから」
「……そう思う?」
正通は再び長谷川の顔を見た。
「うん。不言実行型って言うのかな。何ていうか……余計なことは言わずにやり切っちゃう感じ。周りにも有無を言わさずにやり切っちゃうような……アイドルの褒め言葉には相応しくないかも知れないけど、見ててわくわくするような迫力があるよ。なんていうか……昔のヒーローを見てるみたいな」
「長谷川……」
長谷川の瞳の輝きが眩しく感じられた。お世辞は一切ない、心からの言葉であるとわかった。
「それでさ……江原君」
「何?」
長谷川は少しだけ恥ずかしそうに、話を切り出した。
「……神岡さんって、ファンクラブとか無いの? あったら入りたいんだけど……」
「ファンクラブ……?」
正通の反応に長谷川が残念そうな顔を見せた。
「その様子だと、無いみたいだね」
「……うん。言われて初めて気がついた」
正通は申し訳なさそうに頭を掻いた。
長谷川は脱力気味に苦笑したが、少し考えるような素振りを見せて再び問いかけた。
「それじゃ、これから作る予定はあるの?」
正通ははっとした。簡単なことだ。
「……そっか。無ければ、作ればいいんだよな」
やがて大きく頷くと、正通は不敵に笑った。
「ありがとう、長谷川! 早速、事務所に行って相談してみるよ。長谷川のことは会員番号1番……いや、名誉会員にしなきゃいけないね。何せ発起人なんだから」
「ほ、発起人って……大げさだよ、江原君。それに……そんなこと簡単に決めちゃっていいの?」
「大丈夫。何とかするよ」
正通は親指を立てて応えた。
「江原君、さっきまで寝てたのに、大丈夫? まっすぐ帰った方がいいんじゃない?」
正通は首を横に振った。
「大丈夫、おかげで元気になったよ」
長谷川はしばし呆然としていたが、やがて自らも楽しそうに笑った。
「江原君、やっぱり変わったね。なんだか、たくましくなったよ」




