「サプライズ・イベント」(2)
観覧車を降りると、陽子は周囲を注意深く見渡しながらジェットコースターの乗り場に向かっていた。
正通は観覧車を降りる頃には再び顔面蒼白になっていた。
「さーて。何せ遊ぶことが今日の仕事だから、しっかり遊ばないとね……って、聞いてる?」
「僕、乗りたくないよ。高いのも速いのも嫌い……」
正通はふらふらと歩きながら答えた。
「だーめ、乗りなさい。……あれ?」
不意に陽子が立ち止まる。
「どうしたの?」
正通の問いかけに答えず、陽子は駆け出した。
陽子が駆けて行った花壇の前に、小学校低学年と思われる少年が座り込んでいた。
「迷子かな……?」
陽子は泣いている少年の肩に優しく手を置き、慰めていた。その優しい表情は、普段の無愛想で粗暴な彼女からは想像もつかない。
「江原くん! この子、迷子センターに連れて行くから一緒に来て!」
「うん……わかった!」
正通は陽子の元に駆け寄った。
「あっ、お姉ちゃん!」
迷子センターの前まで来たところで、少年が走り出した。
「健? もう、どこ行ってたのぉ~!」
『お姉ちゃん』と呼ばれた少女が慌てて駆け寄ると、一緒にいた少女二人がその後に続く。
「あのお姉ちゃんとお兄ちゃんがここまで連れて来てくれたんだよ!」
「すみません、ありがとうございま……って、陽子ちゃん?」
「……あっちゃん?」
少年の姉は明美だった。
真紀と宏美が、その後ろで目を丸くしていた。
「待ってよ、神岡さん!」
反射的に踵を返そうとした陽子の手を正通が掴む。
「なんで逃げるの? 何も悪いことなんかしてないじゃないか」
陽子は戸惑いながら振り返ると、明美達四人が微笑んでいた。
「お姉ちゃん、お兄ちゃん。どうもありがとう」
健がちょこん、と頭を下げた。
「本当にありがとう、陽子ちゃん」
「神岡さん、よかったら一緒に遊ばない?」
頭を下げる明美の隣にいた宏美が、一歩前に進んで言った。
「えっ……一緒に……?」
正通は陽子の手を離した。
陽子はもう逃げようとはしなかった。
「そうそう! カレも一緒に。ねえ! 名前、何て言うの?」
真紀の言葉に正通と陽子が顔を赤くする。
「ちが――」
「違うよ! 江原くんは事務所のマネージャー! 断じて彼氏とかじゃないから!」
正通の言葉を遮り、陽子が顔を真っ赤にしながら否定した。
呆気に取られる正通の手を、前からは見えないように陽子がねじり上げた。
「君も挨拶しなさいよ」
「ぼ、僕はマネージャーの江原正通です! よろしくお願いします!」
真紀がニヤニヤしながら正通と陽子の顔を交互に見る。
「私達と同じ歳に見えるけど、本当にマネージャー? 怪しいなぁ~」
「真紀ちゃん、もうやめなよ。私、扇谷宏美です。よろしくお願いします」
宏美が挨拶するのに続いて、真紀と明美も笑顔で自己紹介する。
「私、伊藤真紀! よろしくね、江原君」
「平山明美です。弟の面倒を見てくれてありがとうございました。この子は健です」
明美に肩を叩かれ、健は正通に笑顔を見せた。
「どうも、よろしくお願いします……」
一度に三人もの女の子と知り合いになるとは思わず、自然と顔が赤くなった。
「ひぐぅ!」
陽子が何食わぬ顔で、正通の手をねじり上げていた。
「それじゃ、早速だけど次はどこに行こっか?」
真紀が全員の顔を見回しながら尋ねる。
「そろそろヒーローショーの時間じゃない?」
宏美がガイドマップを見ながら答えた。
「ごめんね、つき合ってくれる?」
健の手を握りながら明美が言うと、宏美が笑顔で頷いた。
真紀が拳を勢いよく宙に突き上げる。
「しゅっぱーつ!」
真紀の合図で全員が歩き出した。
陽子はようやく正通の手を離し、並んで歩く健と話を始めた。
正通が「やれやれ」と頭を抱えると、真紀が隣にやって来た。
「ねっ、江原君。今、何年生? どうして神岡さんのマネージャーをしてるの?」
「わっ!」
掴みかからんばかりの勢いに正通が面食らう。
「江原君は私達と同じ二年生。社長にスカウトされて、マネージャーの見習いをしてるの」
正通の代わりに答えたのは陽子だった。
「へぇー、そうなんだぁ。社長にスカウトされるなんて、何か凄い特技でもあるの? それとも何かコネでもあるの? ねっ、どうなの?」
「特技……かぁ」
学校の成績は悪くない。運動神経は平均よりやや上といった程度。しかし、特にこれといった特技はない。
自慢と言えば毎日往復二十五キロを自転車で走破しているくらいで、特技といえるものを身に着けてはいない。
「特技なんてないわ。コネがあるわけでもないし、言うなれば社長の、気の迷いかな?」
答えようとした矢先に陽子が答える。正通は横で顔をひきつらせた。
「もーっ! 神岡さんが答えてばっかりじゃない! つまんないよっ。君もさ、そんな引っ込み思案だと営業とかできないよ! もっと胸張って、ほらっ!」
真紀は正通の背中を叩きながら叱咤激励した。正通は「ははは……」と笑うしかなかった。
「真紀ちゃん、困ってるじゃない。ちょっとはしゃぎ過ぎだよ」
宏美に釘を刺され、真紀は「はーい」と返事をした。
傍らで照れ笑いを浮かべる正通の赤い顔を見た明美が思わず吹き出す。
陽子は隣を歩いている健と顔を合わせ、互いに笑った。
「ぷはーっ」
メロンソーダを飲み、陽子と健が同じタイミングで大きく息を吐く。
正通ら六人はヒーローショーが行われる広場に移動し、ステージ前のベンチに並んで座っていた。
「神岡さん、本当のお姉さんになったみたい」
宏美にそう言われ、陽子は照れ臭そうに肩をすくめた。
「子供の前ではご機嫌なんだよ、神岡さんは。いつもこうならいい……んがっ!」
隣に座った陽子が正通の足を踏んでいた。
正通の靴は市販のスニーカー、対して陽子の靴は一見すると普通のショートブーツだが、実はチタン合金の板が仕込まれた特別製だ。
「どうしたの、正通?」
真紀が正通の顔を覗き込む。
二人は早くも打ち解け、名前で呼び合うようになっていた。
「だ、大丈夫だよ……真紀さん」
正通は冷や汗を垂らしながら笑顔を作った。
「そうだ! 陽子お姉ちゃん、今度うちに遊びに来てよ!」
「えっ……」
それは思いがけない言葉だった。
「そうだよ。きっとお父さんとお母さんも喜ぶと思うから。ねっ」
「お父さん……お母さん」
明美が言う『お父さんとお母さん』とは自分の両親を差している。
しかし、陽子はその言葉を別の意味に受け取った。
――私が遊園地に友達と遊びに来ていること……お父さんとお母さん、喜んでるかな。
「……ありがとう、健ちゃん、あっちゃん」
陽子は潤んだ瞳が見えないように礼を言った。
「にしても、もう開演時間だよね。まだ始まらないのかな?」
腕時計を見ながら真紀が言った。
周りの子供達も駄々をこね始め、保護者がそれをなだめる光景がそこかしこで見られる。
「マークセプター、何してるんだろうね?」
「遅いねー、陽子お姉ちゃん」
隣同士に座った陽子と健が顔を見合わせる。
日曜の朝に放送されている特撮ヒーロー番組『無双戦士マークセプター』は、子供や特撮ファンの間で高い人気を得ている番組である。
陽子はこのマークセプターとは浅からぬ因縁があった。陽子が干される原因となったのがこの番組の主演俳優との喧嘩なのだ。
事が起きたのは二か月前、陽子がこの番組にエキストラとして参加した時のことだった。
ロケを見学中の子供達を主演俳優が邪険に扱ったことに、陽子が激怒した。
そして数分間の激しい口論の末、陽子は鋭い眼光で彼を圧倒したのだった。
主演俳優はその迫力に腰を抜かし、大勢の前で恥をかいた。
大人気ないと言ってしまえばそれまでだが、陽子はこの時にとった行動を決して後悔していない。
子供達の憧れの存在が、その子供達の夢を壊すような真似をすることは断じて許せなかった。
子供を傷つける者は大人を名乗る資格がない――。
それは、陽子が武井から受け継いだ大切な精神の一つだった。
そして、一向に始まらないショーに場内全体がざわつき始めた頃、ようやくステージの裏からMCの女性が姿を現した。
「始まったみたいだよ……あれ?」
宏美が妙なことに気がついた。
「お姉さんがペルグラーに捕まってる!」
健がステージを指差しながら言った。
ステージに現れたのは『地底魔将ペルグラー』。
マークセプターの宿敵『異次元騎士団』の幹部であり、オケラをモチーフにした黒い甲冑を身に着けた、人気の高い敵役である。
「よし、行け!」
ペルグラーがMCの手を後ろで掴みながら、五人ほどの戦闘員に号令をかける。戦闘員達はステージ前で散開し、素早く観客席に走って来た。
「神岡さん!」
正通が異変に気づいた。陽子は小さく頷き、隣に座る健の横顔を見た。
「こっちに来い!」
戦闘員が拳銃を突きつけながら子供達を脅す。正通はその拳銃に見覚えがあった。
マカロフPM――先日の銃器講座で正通がユミから教わったロシア製の中型拳銃だ。
今ではこの銃がトカレフに代わって、裏社会で広く使われているという説明を思い出した。
「やめろー! やめろよー!」
戦闘員に脅された子供達がステージへと連れて行かれる。
保護者達は苦笑し、手を振りながらそれを見送った。
ヒーローショーという特殊な状況ゆえに、正通と陽子以外の観客は異変に気づいていない。これもショーの演出だと思っているのだ。
「おい、お前も来い!」
すぐ近くまでやって来た戦闘員が健を脅した。
陽子は正通と顔を見合わせ、互いに無言で頷いた。
「……健ちゃん、動かないでね」
「陽子お姉ちゃん、どうしたの? 僕にも来いって言ってるよ」
陽子は何も言わずに、健の顔を見て微笑む。その間に戦闘員が近づいて来る。
「おい、聞いて……ブゴッ!」
全て言い終わる前に、陽子が飛び蹴りを放った。
顔面を金属板入りのブーツで蹴られた戦闘員は悶絶し、その身体を正通が慌てて取り押さえる。
陽子は宙に舞うマカロフを後ろ手に捕えると、ステージ上のペルグラーにその銃口を向けた。
それは……一瞬の出来事だった。
会場は水を打ったように静まり返り――やがて、あちこちからざわめきが起こった。
「ちょっ……何やってんの、陽子ちゃん!」
明美が顔を青くして声をかける。
「抵抗する気か! 銃を捨てて大人しくこっちへ来い!」
マイクを通してペルグラーの声が会場内に響き渡る。
戦闘員達が捕らわれたMCと子供達に銃口を突きつけ、威嚇した。
「くっ……」
陽子はやむなくマカロフをそっと地面に置き、両手を挙げた。
「おい、隣の彼氏! お前も一緒にこっちへ来い!」
困惑の表情で自分を指差す正通に対し、ペルグラーが頷く。
「ちょっと、やめてよ! こんなの彼氏でもなんでもないんだから!」
「どうでもいいわ、そんなもん! とっとと来い!」
苛立つペルグラーに促され、正通と陽子は気を取り戻した戦闘員によってステージ上へと連行された。
『こんなの』呼ばわりされた正通は、しょんぼりと肩を落としていた。
「陽子お姉ちゃん、お兄ちゃん!」
後ろから声をかける健に、陽子は振り返って微笑んだ。
「大丈夫。心配いらないから……ね」




