「サプライズ・イベント」(1)
「神岡さん、待ってよ! 本当にごめん!」
背中を向けて歩く陽子を正通は必死で追った。
その様子を、周りの人々が笑いながら見ている。
正通と陽子は神奈川県内の遊園地に来ていた。
日曜日だけあって、園内は家族連れやカップルなどで賑わっていた。
「ごめん! お願いだから許して!」
陽子が突然、振り返った。
「江原くん! 社長は遊びに行って来いって言ったけれど、社長命令で行動している以上、これもれっきとした仕事なんだからね! にもかかわらず、二十三分の遅刻! こんなこと二度と許されないんだからね。分かった?」
怒りに満ちた表情で叱責する陽子は、ウェストを絞ったワンピースにレースのキャミソールという大人びた装いだった。
この日を楽しみにして、おしゃれをしてきたのだと一目で分かった。
「はい……すいません」
正通は寝坊して約束の時間に遅れた。
その理由が、生まれて初めてのデート(?)に緊張して眠れなかったからだとは、言えるはずがない。
陽子はやれやれとばかりにため息をつくと、再び背中を向けて歩き出した。
「ちょっ……待ってよ、神岡さん!」
しばらく歩いた後、陽子がアトラクションの前で立ち止まった。
目の前には高さ五十メートルはあろうかという巨大な鉄塔がそびえ立っている。
周囲の椅子には乗客が固定され、それらが上がったり下がったりする度に悲鳴が聞こえる。
それを見た瞬間、正通は嫌な予感がした。
「江原くん。高い所、好き?」
陽子は背中を向けたまま尋ねた。
「……どちらかというと嫌いですけど」
「え、ちょっと意外……!」
陽子は目を丸くして正通の顔を見た。
「……それ、どういう意味?」
顔をひきつらせる正通の手を陽子が強引に引っ張る。
「まぁいいや、乗るよ。遅刻した罰で料金はそっち持ちね」
「聞いた意味がないじゃないかぁ!」
正通は引きずられるようにして絶叫マシーンに乗せられた。そして――。
「いやあああああ!」
人目もはばからずに絶叫した。彼はこういった乗り物が大嫌いだった。
「情けないわねー。大の男が……って、ごめんごめん。君はどちらかと言えば『小』だね」
陽子は抜け殻のようになって立ち尽くす正通の頭上を手で二、三度払った。
正通の身長は百六十五センチあまり。陽子とは二センチしか変わらない。
「ダレニデモニガテナモノガアルノデス、カミオカサン」
「何、カタカナでしゃべってるの。次はやっぱりジェットコースターかなぁ」
陽子はガイドマップを開いて、嬉しそうに言った。
正通は顔面蒼白のまま、ただ陽子について行った。
「あ……」
「どうしたの?」
ジェットコースターの柵の前――陽子の視線の先に、よく知っている顔があった。
「あれ……? 陽子ちゃん?」
陽子の友人である平山明美と伊藤真紀、扇谷宏美だった。
「しまった……! 遊園地ってここだったのか……」
困惑する陽子。その隣に立つ正通の姿に真紀が気づいた。
「あーっ! 神岡さん、その人誰? ひょっとして神岡さんの彼氏? ねえ! そうなの?」
突然大声でまくし立てられ、正通は思わず後ずさった。
「いや、その……僕はそうじゃな……ぎゅう」
「ごめん、またね!」
言葉の途中で首根っこを掴まれ、正通は陽子に引きずられながらその場を後にした。
あまりの勢いに、明美達は声をかけることすらままならなかった。
「行っちゃったぁー。神岡さんてば、彼氏とデートだって言うのが恥ずかしくって嘘ついたんだね、カワイイんだから。ところで神岡さんの彼氏、結構いいと思わない? もうちょっと背が高かったらタイプかもー」
真紀は正通と陽子を見送りながら、能天気な笑顔を浮かべていた。
そんな真紀の袖を、宏美が顔をしかめながら引っ張る。
「真紀ちゃん、今はそれよりも……ね」
「ごめんごめん、そうだったね。あっちゃん、あたし達はさっきの所をもう一度見てここに戻って来るから、あっちゃんは迷子センターに行ってて! 何かあったら携帯で連絡するから」
真紀はすぐに真面目な表情になり、明美に指示を出した。
「うん! 二人ともありがとう!」
明美は迷子センターへ駆けていった。
「神岡さん……僕、高い所は嫌いだって言わなかったっけ?」
「しょうがないでしょう。ここなら誰かに見つかることもないんだから」
二人が会話をしているのは観覧車のゴンドラ内だった。
この日は天気がよく、東には新宿の高層ビル街、遥か西には富士山が見える。
「ふう。それにしても……君と二人きりで観覧車に乗ることになるなんて、今日は厄日だわ」
「無理やり乗せといて、よく言うよ!」
正通が外の景色を見られずに下を向いていると、陽子がこちらを見ていることがわかった。
「何? 神岡さん」
「江原くん、考え直すなら今のうちだよ。本当にいいの?」
「……考え直すつもりなんてないよ」
正通は目を逸らすことなく答えた。
「そう」
陽子は再び窓の外へと目を移した。
「君は聞かないんだね」
「えっ?」
陽子は外の景色を眺めながら言葉を続けた。
「私がどうして処刑人になったか、アイドルになったか。マネージャーならそれらも知っておくべきなんじゃないの?」
そう言って陽子は正通の目を見る。
「……気にはなるよ。でも、僕はまだ神岡さんに信頼されてない。それを知るのはもっと信頼されるようになってからだと思ってるから」
正通はしっかりした口調で言った。
「……そう」
ゴンドラ内に沈黙が訪れる。やがて陽子が口を開いた。
「君は他の子と違うね。まだ高校生なのに、たまに疲れた大人みたいな顔をする」
「……そんなことはないと思うけど」
「本当にそう思う? 君の顔に書いてあるよ、辛い思いをしました、って」
正通が思わず顔をしかめる。
「……ご、ごめん。言い方が悪かったね」
陽子は少し慌てた様子で謝った。
「神岡さんは時々、人の心を見透かしたようなことを言うね」
ゴンドラ内に再び訪れる沈黙。ややあって、陽子が独り言のように口を開いた。
「私ね、ほんの少しだけれど人の心が読める……というより、考えが読めるの。勿論、超能力なんかじゃないよ。表情や声の変化で、ある程度分かっちゃうんだ。だからかな……今でも、人との距離がうまく掴めないのは」
「……そうなんだ」
正通は驚きも、疑いもしなかった。
陽子はやや驚いた表情で正通の顔を覗き込む。
「君は信じるんだね、私の言うこと」
正通は静かに頷いた。
「僕には、神岡さんが嘘をついてるとは思えないから」
陽子の脳裏に、不意に幼い日の記憶が蘇る。
――僕には陽子ちゃんが嘘をついているとは思えないな――。
記憶に残る武井の笑顔と、正通の顔が目の前で重なった。
陽子はそれを打ち消すようにかぶりを振り、背中の向こうに見える新宿の高層ビル街に目を移した。
――武井さん……どこにいるの?
心の中で、その名を呼ぶ。
いつの頃からか、陽子は武井の考えが読めなくなっていた。だから武井が異国の地に、戦場に思いを馳せていたことにも気づかなかった。
やがてゴンドラが頂点に到達する頃、下を向いたままの正通が徐に口を開いた。
「神岡さん、運命を感じたことはある?」
正通の質問はいささか唐突だった。
二人が相思相愛であれば、いい雰囲気になるかも知れない。が――。
「一人一人が意思を持ち、考えを持って動いている先にそれぞれの結果がある。運命なんて言葉は、結果に至るまでの過程を都合よく解釈した、こじつけの言葉にすぎないわ」
陽子の回答は色気もロマンもなかった。
「現実的なんだね」
そして正通も、色気のある回答を期待していたわけではなかった。
「何もかも決まっていたことだ、なんて考えが許せないだけ。私が両親を亡くした時、父の友人が神様を引き合いに出して運命論を説いたの。それからは運命という言葉が嫌いになった」
陽子の表情が、次第に真剣さを増してゆく。
「君は私達の仲間になったことを運命だと感じているんだね。建設現場で武井さんに助けられたことも、スクラップ置き場で命拾いしたことも……近江さんに助けられたことも」
――あのこと……話してもいないのに。
正通は少し考えた後、小さく頷いた。
「君は自分が体験した辛いことも、全て運命だと言い切れる?」
「それがあるから今の自分が、家族がある。なかったことにはできないし、したくない」
正通はきっぱりと言い切った。
「……それじゃ、私の両親が殺されたことも運命だと言える?」
「殺された……?」
「そう。表向きは交通事故ということになっているけどね。その仇を討ってくれたのが武井さんなの。両親を殺した男達の死因も、表向きは火災による焼死になっているわ。武井さんの工作は完璧だったみたいで、警察・消防は煙草の不始末で片付けてくれた」
陽子はまるで他人事のように語った。
正通は呼吸すら止めて陽子の瞳を凝視していたが、やがて声をひそめるようにして口を開いた。
「そのことは……」
「武井さんと私……そして君しか知らない。社長は薄々、感づいていたみたいだけれど」
言葉を失う正通に対して、陽子はさらに言葉を続けた。
「全てを運命という言葉で片付けてしまえば、人は受動的にしか物事を考えられなくなるわ。そして君のように、自分の身に起きたことに対して鈍感になる」
「……そうだね」
正通は陽子の言葉を否定しなかった。
「私も君も大切なことは結局、自分自身で決めなければいけない。これまでも、これからも。だから私は自分のとった行動には責任を持つわ。運命という言葉には頼らない。その過程で起きたことにも、決して目をつぶらない。だから、私は処刑人になったことを後悔していない」
その澄みきった鋭い目に迷いはなかった。
少し間を置いて、正通が口を開いた。
「神岡さん……一つだけいいかな。自分のことを処刑人って呼ぶのは、もうやめようよ。神岡さんだってその言葉を使う度に本当は傷ついてるはずだ。そうでしょ?」
「じゃあ、何て呼べばいいの? まさか『正義の味方』とでも?」
「神岡さん達のやっていることは正義じゃないか! それで救われる人がいるんだよ、僕みたいにさ。お願いだから、そんな言い方はやめてよ」
正通は目を潤ませながら哀願した。
「私達に正義なんて言葉を使う資格はないよ。やっていることは殺しに違いないんだもの。それに、本当の正義の味方は『正義』なんて言葉を必要としない」
――そう。武井さんは『正義』という言葉を何より嫌っていた。『正義』は悪事を正当化する為の言葉でしかないと言っていた。社長も同じ考えだし、私もそう思う。
思案に耽る陽子の耳に、正通が鼻をすする音が聞こえてきた。
「ちょ、ちょっと……何、泣いてるの?」
正通は応えず、両手で目をこすった。陽子は顔をしかめて額に手をやった。
「男が人前で泣かないでよ、情けない。他の呼び名を考えておくから、もう泣かないでよ」
「……本当に?」
目をこすりながら正通が顔を上げる。
「こんなことで嘘はつかないわ。はい、これ使いなさいよ」
陽子はぶっきらぼうに言って、ポケットティッシュを差し出した。
「あ、ありがとう……ぐすん」
鼻をかむ正通を陽子は半ば呆れ顔で眺めていたが、やがてため息交じりに微笑んだ。
「そういえばさ、神岡さん」
正通が鼻を拭いながら語りかける。
「何?」
陽子はぶっきらぼうに返事をした。
「今日も、そのカチューシャを着けてるんだね」
正通の問いに陽子は少しだけ意外そうな表情を見せた。
「そうだけど……悪い?」
「そんなことないけど……いつもと違う服着てるのに、カチューシャは同じなんだな、って」
正通は遠慮がちに自らの疑問を吐露した。陽子は再び窓の外に目を移した。
「私はこれが気に入ってるの。それだけ」
正通はそれ以上口を開こうとはしなかった。
不愛想に語る陽子の目は、彼方に見える富士山よりもずっと遠くを見ているように思えた。




