「懐かしき戦場」(2)
時刻は午後八時になろうとしていた。
東京を目指して東名高速道を走るBMWの車内では、いつも車を運転している長坂の代わりに岩本がハンドルを握っていた。
「まずは、当社の『もう一つの業務』を簡単に教えよう」
岩本は前方から目を離すことなく、助手席の正通に語り始めた。
「スヴォーロフ・プロは本来の業務の傍ら、警察とさる筋からの委託を受けて、法で裁くことのできない凶悪犯の処理を行っている。これは処刑に限らず、犯罪者の拘束や犯罪にまつわる証拠物件の奪取なども含んでいる」
「さる筋……ですか?」
「通称『製作委員会』。暴力組織や悪徳企業……こういった組織や凶悪な犯罪者は時代を問わず存在する。これらに苦しむ人々の声を取り上げ、我々に業務を委託する民間機関が製作委員会だ。
その発祥は京都の治安が急激に悪化した室町時代後期に遡る。歴史の表舞台には表れない真実だよ」
「む、室町時代……ですか……?」
正通にとって、にわかには信じがたい話だった。
「ところで江原君。武井君は君にアフリカの話をしたそうだね」
「はい。武井さんはアフリカに行くつもりなんでしょうか……?」
遠慮がちに正通が問いかけると、岩本は遠い目をしながら答えた。
「おそらくね。きっと彼自身、やり残したことがあると考えているんだろう」
「やり残したこと……?」
岩本はふと正通の方を向き、小さく頷いた。
「そう。今から十年以上前、武井君はアフリカで傭兵として戦っていた。それ以前にも彼は中東や東南アジア、ヨーロッパの紛争地で戦っていたらしいが、私が彼と初めて会ったのはアフリカ・コンゴ民主共和国だった」
「傭兵……武井さんが?」
あの素晴らしい笑顔の青年にそんな血生臭い過去があろうとは、にわかには信じがたい。
無論、建設現場での戦いを見た時から、彼が只者でないことは分かっていたが……。
「武井さんだけじゃない。社長も俺も、大ちゃんだってそうだ。君がまだ会ってないメンバーの内、二人が元兵士だよ」
後部座席で沈黙を守っていた長坂が、苦笑しながら話に加わった。
「長坂さん……」
「ここに来るまで色々あったけど……俺達がやって来られたのは社長のおかげなんだ」
これまで見せたことのない、優しさと寂しさが入り混じった表情だった。
「長坂君。お世辞なんて君らしくもないぞ」
そう言いながらも、岩本は嬉しそうだった。
正通は二人のやり取りを羨ましく思った。
上司と部下という間柄を超えた、文字通り苦楽を共にした戦友の絆が感じられた。
「さて、話を戻そう。私が長坂君・近江君と共にコンゴにやって来たのは、今から十年以上前……第二次コンゴ戦争の真只中だ。政府軍と反政府軍との戦いに鉱物資源を巡る利権争いから隣接する各国が参戦、激しい戦闘と虐殺が行われた。
戦闘の巻き添えや食糧・医薬品の欠乏により、内戦が始まった九八年から戦争終結までの犠牲者数は三百万人以上と言われている。その後も続いた虐殺や飢餓、疫病による死者も含めれば、最終的な犠牲者数は六百万人に上る」
「六百万……!」
その、あまりにも膨大な数字は実感に乏しかった。
「私達は国際医療ボランティア団体に雇われ、コンゴに入国した。団体が活動していたのはコンゴ東部の難民キャンプだったが、そこはコンゴ政府軍をはじめ各国軍や反政府軍、民兵に何度も襲撃を受けている極めて危険な場所だった」
岩本は淡々と語った。
その横顔からは、彼がそのような地獄を経験しているとは想像できなかった。
「様々な勢力の襲撃を退けながら、現地の自警団と共にキャンプを守る生活を続けて半年が過ぎた頃だった。私は撤退する政府軍の兵士から奇妙な話を聞いた。『悪魔に遭遇した』とね」
「悪魔……?」
表情を変えることなく、岩本は話を続けた。
「その兵士の部隊はキャンプから二十キロ先の町へ略奪に入ったらしいのだが、その時に一人の悪魔が現れて部隊を襲い、これを壊滅させたとのことだった。その悪魔は音もなく現れて次々と兵士達を斬り殺していったという。にわかには信じがたい話だったが、気になった私は近江君を連れてその町へ行くことにした」
正通はミラーで後部座席の長坂を見た。
長坂は岩本の背中を無言で見つめていた。
「町に着いて私は驚いた。その町では人々が笑顔で暮らしていたんだ。そんな町はコンゴに来て初めてだった。小さな町だったが、商店は平時と変わらない様子で営業を続け、外では人々が畑を耕し、子供達が駆け回っていた。
私達は町を見て回るうちに、教会の庭で子供達に読み書きを教えている一人の日本人と出会った。それが武井君だったんだ」
ここに来て、ようやく出てきた武井の名前。
正通の脳裏に浮かんだのは、Tシャツに麦わら帽子を身に着け、子供達と笑う武井の姿だった。
「その時のことは、今でもよく覚えている。薄汚れたTシャツに破れたジーンズ、麦わら帽子を身に着けた彼の姿を……子供達に囲まれ、彼はとても楽しそうだった」
武井が自分の想像した通りの格好をしていたと知り、正通はにわかに可笑しさを覚えた。
岩本の表情も柔らかくなっていた。
「彼は日本人の私達に会えたことをとても喜び、私達を教会の神父に会わせてくれた。彼は教会で子供達に勉強を教えたり、力仕事をしたりする代わりに、教会の一室を借りて住んでいた。
私は不思議に思った。彼のような日本人が何故たった一人でアフリカの地にいるのか。だが……その理由はすぐにわかった」
岩本の表情が再び険しくなる。
「ジャンという名の神父は、私達を夕食に誘ってくれた。私達はありがたく誘いを受けることにしたよ。会話を通しての情報収集の必要もあった。そもそも町へやって来たのは『悪魔』について調べる為だったからね」
正通は相槌を打つことも忘れ、岩本の話に聞き入っていた。
「武井君と修道女が食事の用意をしている間、ジャン神父は武井君が町の人々に奉仕し、とても愛されていることを語って聞かせてくれた。彼自身も、武井君を『あんな素晴らしい人には会ったことがない』と評していたよ」
三人を運んでいた車が、ゆっくりと停車した。ガードレール上の電光掲示板が五キロの渋滞を知らせていた。
「近江君が空手の技を子供達に見せたり、話をしたりしながら夕食を待っていた時だった。突然、外でロケット弾の炸裂音と銃声が聞こえた。隣国軍の襲撃だった。私達は武器を取り、教会の外へと飛び出して行った」
不意に岩本の表情に戸惑いの色が見えた。
「私達が見たものは、まるで踊るように敵兵を斬り殺してゆく武井君の姿だった。手には一振りの刀を持ち、その周りには兵士の死体がいくつも転がっていた。生き残った兵士達は恐れおののき、逃げて行ったよ。『悪魔』の正体とは何だったのか……もう調べる必要はなかった」
正通はごくりと唾を飲み込んだ。
「その後、死んだ兵士達の墓を掘りながら、武井君に話を聞いた。彼はヨーロッパで共に戦った傭兵仲間に誘われ、政府軍の傭兵として戦っていた。しかし、その中で目撃した政府軍の蛮行に嫌気が差し、契約を解除して町の用心棒をしているとのことだった」
「……武井さんらしいですね」
正通の言葉に岩本が苦笑する。
「武井君らしい、か……そうだね。その晩出てきた食事は日本の料理だったよ。現地の食材を使った炊き込みご飯に味噌汁、魚の煮付けに野菜のお浸しや天ぷらなどがテーブルに並んでいた。驚いたのは、醤油も味噌も彼が作っているということだった。
彼は日本食の世界的な普及を見越して、作り方を町の人に教えていると言っていた。うまくいけばあの町には今頃、醤油と味噌の工場ができているかも知れないな」
「すごい人ですね、武井さんは……」
正通は素直に感嘆の言葉を漏らした。
「彼の作った料理を、教会の人々や子供達がおいしそうに食べていたのを思い出すよ。ちょっとしたアレンジで現地人の口にも合うものができると言っていた。日本の味を求めていた近江君も大喜びで食べていたな」
再び口元を綻ばせる岩本だったが、その表情はどこか悲しげだった。
「ジャン神父や子供達と共に死んだ兵士達に祈りを捧げた後、私は武井君の作った御馳走を食べながら、複雑な気持ちになった。このおいしい料理を作った手が、つい先ほど何人もの人間を殺した手と同じなのだと考えると、私は武井君という人間の、いや……人間そのものが抱える矛盾に気づいてしまった」
武井は果物を剥く為に使ったナイフで、二十三人もの人間を殺している。
岩本の言葉は正通にとっても、強い実感をもって受け止められた。
「人間は誰しも善と悪、相反する二つの心を持っている。人を殺すことを絶対悪だとするならば、人に愛を施す一方で冷酷に人を殺す武井君は……まるで人間が持つ善悪の心を、人間が持つ矛盾を体現した存在のように見えた」
岩本の表情が悲しみを帯びたものに変わった。
「その時になって初めて……私は自分達のしてきたことの意味を知った。私達が守っている難民キャンプの人々も私達が殺した兵士達も、元々は畑を耕し、或いは商いで生計を立てていた普通の人間なんだ。
私達がどちらの側に立っても、結局やっていることの本質は変わらない。殺人という重い罪を犯していることには変わりない。そんなことは分かった上で、十年以上も傭兵をやっていたつもりだった」
岩本は深いため息をついた。
「……にもかかわらず、私は自分達をただの人殺しだとは認めたくなかった。だから少数民族や迫害を受ける人々の側に立って戦うことで、人を殺して報酬を得るという罪悪感から逃れていたんだ。そして、いつの間にか自分達の戦争を正義だと思うようになっていた」
岩本が握るハンドルが、ぎりぎりと音を立てた。
「だが、その時にやっと分かった……私達は正義の味方でも何でもない。完全な非情に徹することもできず、確固たる正義の信念を持っているわけでもない。私達がそれまでしてきたことは……ひどく中途半端な考えに基づいた、身勝手極まる殺戮に過ぎなかったんだよ。
結果的にそれで救われた人がいても、私達の戦争目的は弱者を守ることではない。ただ単純に『戦争をすること』、それに尽きる。私は夜明けを待って近江君とキャンプへ戻り、長坂君を交えて三人で話し合った。そして……日本へ帰ることを決めた」
正通は無言で岩本の横顔を見つめた。これまでに彼が見せたことのない表情がそこにあった。
「それから三ヶ月後、難民キャンプの周辺が安全になったことから、私達は警備を自警団に任せてキャンプを後にした。そして、武井君のいる町へ立ち寄った。私は日本へ帰る前にどうしても聞いておきたかった。彼が戦い続ける理由を」
「戦い続ける理由……?」
岩本は静かに頷いた。
「私達を温かく迎えてくれた武井君に、私は日本へ帰ることを伝えた上で質問をぶつけてみた。すると彼は少年のような笑顔を浮かべながら、こう言った」
――僕には人殺し以外の取り柄がありません。でも、人の役には立ちたい。だから自分の特技を最大限に生かして人の役に立てる方法を選んだんです――
岩本の目はどこか遠くを見ているようだった。
「武井君の目には、迷いがなかった。私達とは違って、完全に手段と目的が一致していた。彼が見せた優しさと冷酷さは何ら矛盾しない。彼が非情に徹して戦うことができるのは誰かの為であると同時に、彼自身の為でもあるからだ。
私は……心底、彼には敵わないと思った。そして一度迷いを抱いてしまった私達には、もはや傭兵を続けることはできなかった」
そう語る岩本の表情は、老人そのものだった。
「日本へ帰った私達は護身術と殺陣の教室を開いた。それから間もなく、私達の前歴を知った警察庁OBから、法で裁くことのできない犯罪者の『処理』を頼まれた。
話を持ち掛けられた当初は困惑したが、結局……それが私達の受けた宿命なのだと観念して、それらの業務を請け負うことにした。その後で、我々は製作委員会の委託も受けるようになった」
「宿命……ですか」
岩本が自嘲気味に笑った。
「何処の世界にも力でしか解決できない問題がある。その為には戦う力を持った人間がその解決にあたるしかない。武井君の考えが間違いではなかったことを平和な日本で思い知らされるとは、何とも皮肉な話だよ」
岩本が「正しい」と言わず「間違いではない」と表現したことに、正通は岩本の意思を感じ取った。
「そして教室は芸能プロダクションへと姿を変え、九年前に帰国した武井君やコンゴで共に戦ったアンドレ、山城君やベテラン俳優で元外人部隊の守屋さん、自衛隊を退官して駆け出しの役者だった鈴木君ら、その方面に優れたメンバーを加えて現在に至る。知っての通り、芸能プロダクションとしての業績は芳しくないがね」
話し切って、岩本は苦笑した。
「神岡さんはいつ頃から所属してるんですか?」
正通は気になったことをふと質問してみた。
岩本が顎に手を当てて考え込んでいると、後部座席の長坂が口を開いた。
「陽子ちゃんがうちの所属タレントになったのは二年前だけど、事務所に出入りするようになったのは七、八年くらい前だな。その頃からだんだん、歌と踊りを覚えていったんだよ」
「はぁ……そんな年から芸能活動を始めるっていうのは、ご両親の方針ですか?」
正通は質問をしてから、はたと気づいた。
陽子は自分と違って、処刑人としても活動している。陽子の両親はそれを知っているのだろうか――?
「……陽子ちゃんには、お父さんもお母さんもいないよ」
正通はハッとして後ろを振り返った。長坂がじっとこちらを見ていた。
「あの、それって……」
「陽子ちゃんのご両親は九年前に亡くなってるんだ。それ以来、あの娘にとって家族と呼べるのは武井さんしかいない」
車内にしばしの沈黙が訪れた。
やがて車がゆっくりと動き出し、岩本は静かに口を開いた。
「武井君がコンゴから帰って来たのは、神岡君がご両親を亡くしたのと同じ頃だ。武井君は神岡君のお父さんの友人だったらしい。彼は神岡君の後見人として日本へ留まることになり、職を探していたところに私が声をかけたんだ」
陽子の不幸な境遇を初めて知った。
普通の女の子とはどこか違うと思っていたが、あのきつい言動の裏にそんな事情があったと考えると、正通の胸は痛んだ。
「それじゃ、武井さんがいなくなったことで神岡さんは……」
「しばらくはそっとしておこう。仕事のキャンセルも考えておいた方がいい」
岩本が寂しげに言うと、後部座席の長坂は「そうですね」と言って再び窓の外に目を移した。
正通は無言で夜空を見上げた。
雲に覆われたダークグレーの空に、星は見えなかった。




