第5話:私も、殿下を愛しておりません
リディアのヒステリックな叫び声が響き渡ると、口を押さえていたジュリアン殿下も即座に怒りの視線を彼女へと向けた。
二人の間を繋いでいたはずの甘い雰囲気は霧散し、審問呪の影響下で互いの醜い本心が剥き出しになっていく。
「何を言うかリディア! 君が『ヴィオレッタよりも素晴らしい王子妃になりたい』と泣きついてきたから、私は君のために動いたのではないか!」
「私がいつそんな見苦しい頼み方をしましたか! 私はただ、王子妃になりたかっただけです! 殿下に愛していると囁いておけば、真珠の首飾りや豪華なドレス、将来の領地まで何でもくださるからお付き合いしていただけです!」
リディアの口からも、包み隠みのない本音が堰を切ったように溢れ出した。
彼女は激しい苦痛を避けるため、自ら進んで真実を口にし始めている。
「殿下と二人きりで過ごす時間だって、本当は苦痛で仕方がありませんでした! ご自身で作られた退屈で長い詩を何時間も聞かされたり、昔の恋物語を何度も自慢げに話されたり! お顔は確かにお美しいですが、叔父である王弟殿下の気品や威厳に比べれば月とスッポンですわ!」
「な、なんだと……!? 君は私の詩を涙を流して称賛していたではないか!」
「あれは欠伸を噛み殺して出た涙です!」
壮絶な醜い擦り付け合いに、大広間を埋める貴族たちは言葉を失っていた。
愛し合っていたはずの二人が、呪いの力によって互いの価値を徹底的に貶め合っている。
国王陛下は深く溜め息を吐き、静かにジュリアン殿下へ視線を向けた。
「ジュリアン。お前は、バリエ嬢のどこを愛していたのだ。あれほど気立てが良く、聡明なヴィオレッタ嬢を無下に処分してまで、なぜ彼女を選んだ」
ジュリアン殿下は喉を絞り出すように答えた。
「リディアは……リディアは私の言うことを何でも褒めてくれたからです! 私の書類の誤りを指摘せず、私の政策案に異論を挟まず、いつでも私を一番の英雄として扱ってくれたからです! ヴィオレッタのように、私の間違いを細かく正したり、教訓を垂れたりしなかったからです!」
その答えを聞いた瞬間、私は長年の胸のつかえが落ちていくのを感じた。
私は王子妃候補として、彼の提出する書類に目を通し、政務の誤りを指摘し、王家の失態を防ぐために尽力してきた。
それが彼にとっては「可愛げのない女」「出しゃばりな婚約者」として映っていたのだ。
彼は自分を高めてくれるパートナーではなく、自分を無条件に肯定してくれる甘やかし手だけを求めていたのだった。
ジュリアン殿下の決裁書に記された日付の誤りを見つけ、提出前にそっと差し戻したことがある。外国から届いた書簡への返答が遅れていると伝えた時も、殿下は露骨に顔を曇らせた。私は恥をかかせないよう人前を避け、必要な箇所だけを短く伝えてきたつもりだった。
殿下が求めていたのは、誤りを未然に防ぐ相手ではなく、誤ったままでも立派だと褒める相手だった。私が言葉を選ぶほど距離を置かれ、黙って頷くリディア様が愛らしいと喜ばれた理由を、本人の口からようやく聞かされた。
国王陛下は寂しげな目を私に向けた。
「ヴィオレッタ嬢。公平のために、そなたにも問わねばならん。そなたはバリエ嬢を憎んでいたか?」
私の喉に、再び温かな熱が宿る。
私は素直に自らの心の内を探り、言葉にした。
「いいえ。憎んではおりませんでした。ただ……少しだけ羨ましく思っておりました」
「羨ましい、とな?」
「はい。彼女は殿下からお名前を優しく呼ばれ、お話に耳を傾けてもらえておりました。私はこの3年間、殿下から『ロシュフォール侯爵令嬢』としか呼ばれず、私的な会話を交わす機会すら与えられませんでしたので」
静かな告白に、広間全体がしんと静まり返った。
私が受けてきた冷遇が、いかに深いものであったかが誰の目にも明らかとなった。
約束していた茶の席へ殿下が現れず、冷めた茶器を片づけさせた夕暮れを思い出した。次に会った時、殿下は約束そのものを忘れていた。私は政務がお忙しかったのだと自分へ言い聞かせ、責める言葉を一つも口にしなかった。
名前を呼ばれたい、短い時間でも話を聞いてほしい。その程度の願いまで、王子妃候補には不要な甘えだと思って胸の奥へ押し込めていた。呪いに問われて初めて、それが私自身の望みだったと認めることができた。
国王陛下は苦々しい表情で、最後の問いを投げかけた。
「ヴィオレッタ嬢。そなたは……今後もジュリアンとの婚約を続けたいと思うか?」
問いかけられた瞬間、私の心に一切の迷いはなかった。
喉を巡る熱は、これまでで最も心地よく、温かい光となって胸を満たした。
「いいえ。全く望みません」
はっきりとした私の拒絶に、ジュリアン殿下が驚いたように目を見開いた。
「約束を後回しにされ、話を途中で遮られ、努力を無視されるたびに、私の殿下への敬意も愛情も少しずつ消えておりました。それでも家の名誉と王家への忠誠を免罪符にして、自分から婚約を終わらせる勇気が持てなかっただけでございます」
公衆の前で自分の寂しさや恐怖を認めることは、本来なら侯爵令嬢として恥ずべきことかもしれない。
だが、真実をすべて口にした今、私の胸を占めていたのは深い解放感だけだった。
もう無理に微笑む必要も、理不尽な冷遇に耐える必要もないのだ。
婚約を守ることばかり考え、その中で自分がどう扱われているかを確かめようとしなかった。終わらせたいと望む自分を見つければ、3年間の努力まで無駄になるようで恐ろしかったのだ。
口にした言葉は、もう取り消したいとは思わなかった。
それが私の答えだった。
迷いはない。
「私も、殿下を愛しておりません」
私の決定的な言葉が、大広間に静かに落ちた。
国王陛下は重い溜め息を一つ吐くと、ゆっくりと王座から立ち上がり、王家の威厳をその身に纏って裁定を告げる姿勢をとった。
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