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第3話:誰も押しておりません

 オーギュスト殿下の問いが広間に響き渡った瞬間、私の喉の奥に焦げ付くような強い熱が発生した。

 これこそが審問呪の作用だった。

 問いに対して曖昧な答えを返そうとしたり、嘘を交えようとしたりすれば、この熱は激痛となって全身を焼き尽くす。


 だが、真実だけを口にするならば、その熱は心地よい温もりに変わるのだ。


「指一本触れておりません」


 私の口から出た声は、透き通るほど明確で、一切の迷いがなかった。

 喉の熱がすっと引き、爽快感すら覚える。

 オーギュスト殿下は一つ頷き、重ねて質問を投げかけた。


「では、あなたが魔法や器具、あるいは別の手口を用いて、彼女が落ちるよう何らかの細工をしたか?」


「一切の細工を行っておりません。私はただ、殿下の後を追って階段を下りていただけです」


 偽りのない回答に、光の波動が穏やかに揺れた。

 術が正常に作動し、私に嘘がないことが証明された瞬間だった。


 先ほどまで私を見上げていた人々の表情が、少しずつ変わっていく。露骨に目を伏せる者もいれば、リディアとジュリアン殿下を交互に見る者もいた。謝罪の声は聞こえない。それでも、私の拘束を当然のように待っていた空気は消えていた。


 私は息を整え、階段の下を見渡した。潔白を口にできた安堵はあったが、まだ私の言葉が証明されたにすぎない。誰がこの場を整え、何のために私を罪人へ仕立てようとしたのか。それを明かすまでは終われなかった。


「なるほど。術は完璧に機能しているようだな」


 オーギュスト殿下が一つ頷いたところで、私は術が彼にも及んでいるのか確かめることにした。


「殿下ご自身にも、私と同じ制約が課されておりますか?」


「課されている。たとえば私は、今夜の祝宴を心底退屈に感じ、早く自室へ戻って読書をしたいと思っていた」


 唐突な本音に、周囲の貴族たちが一瞬固まった。

 オーギュスト殿下はわずかに眉をひそめ、己の口を手で押さえながら苦笑した。


「失礼。問われた以上は、この程度の本音も隠せない。身分や立場に関係なく、この場にいる全員へ平等に作用している証拠だな」


 最高法院長自らが身を以て術の絶対性を証明したことで、会場の空気は完全に緊張へと塗り替えられた。

 オーギュスト殿下は視線を大階段の途中に正座させられているリディアへと向けた。


「ではバリエ嬢。お前に問おう。あなたの背中を押したのは、一体誰だ?」


 リディアの顔から血の気が引いていくのが目に見えて分かった。彼女は必死に歯を食いしばり、口を固く閉ざそうとした。喉をかきむしるように苦しげな声を上げ、涙をボロボロとこぼしながら抵抗する。


 だが審問呪の強制力からは逃れられない。


 彼女の口が、本人の意思を完全に裏切って動き始めた。


「だ、誰も……誰も押しておりません! 自分で足を滑らせて、後ろへ踏み外しました!」


 叫ぶような告白が広間に響き渡り、貴族たちの間に激しい動揺が走った。

 リディアは狂ったように頭を振りながら、自らの告白を止めようと叫び続けた。


 私の背後まで上がりかけていた衛兵が、互いの顔を見て足を止める。リディアを抱えていた者たちも、支える手を離しはしなかったものの、その顔には戸惑いが浮かんでいた。つい先ほどまで被害者だった令嬢が、自ら仕組んだ転落を認めたのである。


「違います! 私はそんなこと言いたくない! でも、でもジュリアン殿下から『ヴィオレッタの前で倒れれば、下の従僕が上手く受け止めて大怪我にはならないように手配してある』とお聞きしていたのです! なのに下の従僕が受け止め損ねたから、私は本当に腰を強打して痛くて堪らないのです!」


 暴露は止まらなかった。


 自作自演の転落劇であったことだけでなく、ジュリアン殿下との事前の擦り合わせ、さらには失敗して本当に痛い目を見たという滑稽な裏事情まで、全てが曝露されてしまったのだ。


 オーギュスト殿下は冷ややかな視線を、今度は近衛騎士ギャスパールへと向けた。


「ギャスパール騎士。お前はヴィオレッタ嬢の手がリディア嬢の背中に触れるのを見たと言ったな。それは事実か?」


 ギャスパールは膝を折り、自身の口を押さえようとしたが、その手を押しのけるように言葉が吐き出された。


「いいえ! 見ておりません! 私は角度的にヴィオレッタ様の手元など全く見えておりませんでした!」


「なぜそのような偽証をした?」


「ジュリアン殿下から、指示通りに証言すれば春の昇進名簿に私の名前を入れてやると約束されたからです! 出世したかったのです!」


 誇り高き近衛騎士の口から出た浅ましい動機に、周囲から失望と怒りの声が上がる。

 続いてオーギュスト殿下の視線がリディアの侍女へと向けられた。


「侍女よ。お前も殿下からの指示か?」


「いいえ! 私はリディア様から直接、金貨10枚を差し出すと言われて嘘をつきました! ですがまだ3枚しか受け取っておりません!」


 侍女が叫んだその内容に、私は思わず呆れて尋ねてしまった。


「残りの金貨をお惜しみになっていらっしゃったの?」


 すると侍女は、残金を惜しんだ理由まで涙目になりながら付け加えた。


「残りの7枚をちゃんといただいてから、真実をお話しするつもりでした!」


 会場のあちこちから、耐えきれなくなった失笑が漏れ聞こえた。

 偽証の報酬の後払いに不満を持ち、後から寝返る算段まで立てていたというあまりに浅はかな暴露に、緊張感漂う大広間の空気が一瞬で拍子抜けしたものへと変わる。


 しかし、笑っていられない人物が一人だけいた。

 ジュリアン殿下だ。


 先ほどまで自信満々に私を糾弾していた彼の顔面は、今や大理石のように真っ白になっていた。

 私に向けられていた軽蔑と疑惑の視線は、今や100パーセントの純度で彼自身へと注がれている。


 大広間の最上段、王座の前で静観していた国王陛下が、ゆっくりと立ち上がった。

 その顔には怒りと失望が濃く刻まれていた。

 国王は重々しい、地響きのような低い声で、実の息子へと問いを投げかけた。


「ジュリアン。お前はリディア嬢と共謀し、ヴィオレッタ嬢へ罪を着せたのか?」

最後まで読んでいただきありがとうございます!

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