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調書の読み聞かせで、「信じた」という言葉が出た。


事件から一か月ほど経っていた。


三浦は急がず、一頁ずつ読んだ。私が初日の言葉を家族の説明へ寄せたこと。上腕の痕を会社へ送ったこと。朱音の声を聞いたこと。市へ通報したこと。十夜目に119したこと。


三頁目の途中に、その文があった。


私は、家族の説明を信じたため、本人の発言を人物誤認として記録した。


「止めてください」


三浦が紙から顔を上げた。


「信じた、ではありません」

「どう違いますか」

「信じたかったんです」


百合の説明が本当なら、前の人の名前を返す必要はない。夜の発言を全部書かなくても、私は慎重な職員でいられる。一夜十万円の仕事も続けられる。


「家族の説明が正しいと思った、ではなく、正しいことにしたかった」


三浦は元の文へ二重線を引いた。消さず、横へ私の言葉を足す。訂正した場所に、私が短く署名した。


先へ進むと、今度は「通報のため第十夜へ戻った」とあった。


「そこも、金を抜かないでください」

「継続の理由には、施設費を含めてあります」

「もっと近くへ入れてください。市と会社へ伝えたあとも、最終夜の賃金が必要だった。千代さんを一人にしたくないことと、両方です」


三浦は「通報のため」を削らず、その後ろへ一文を足した。


「白い封筒を受け取ったことは」

「別の聴取にもあります」

「最初の夜から、この調書にも入れてください」


千代さんの事件で、偽署名の作成者として私を調べるための調書だった。簿外金の件は、会社規程と金の出所を調べる別の番号が付いている。それでも、私がなぜ薄くしたかを話す紙から、封筒だけを外したくなかった。


読み聞かせは、訂正のあとも同じ速さで続いた。


最後の頁には、高梨朱音と印字されていた。三浦が見せた照合表では、東綾子という表示を消さず、その横へ登録職員の本名を結んでいる。


「律さんがログを渡したことで、前に変えたことは軽くなりますか」

「開門とログ保全への協力は記録されます。偽署名と以前の操作も、律さん自身の行為として評価されます。百合さんと冬彦さんについては、それぞれの操作と身体行為を確認しています」


そこから先を、私は聞かなかった。


調書の末尾へ署名した。今度の真柴由依は、別の同意書から抜かれた画像ではない。私の手が少し震え、最後の払いだけ太くなった。


三浦は訂正した頁にも、同じ日付を入れた。


「一つ、手続の経過だけお伝えします。千代さんの任意後見契約は、死亡によって終了しました。監督人が選ばれ、百合さんへ権限が生じた事実はありません。申立事件は、家庭裁判所で終わらせる処理に入っています」


中村が予定していた公証人との面談で、千代さんが生前に契約を解除できたわけではない。市が代わりに取り消したわけでもなかった。


千代さんの「百合なし」は、間に合わなかった希望として調書に残った。



ケアリンク東都からは、二通の書面を渡された。


一通目は賃金明細だった。指定夜一から九は各夜十時間、実労働九十時間で九十万円。九回の一時間休憩と交代職員の勤務は、それぞれ別に記録されている。第十夜は午後八時から急変後の終了までで、休憩は未取得。警察の指示で残った時間や、別日の聴取も実時間で加えられ、一夜十万円には丸められていなかった。


「正規賃金は働いた時間の対価です。会社は返還を求めません」


宮本は明細の九十万円の行へ指を置いた。


「簿外の十万円は、代理人の預かり口へ返してください。百合さんと直接決めないための口座です」


二通目は、有期登録契約を満了で更新しないという通知だった。簿外金を受け取って報告せず、初期の本人発言を十分に残さなかったこと。調査中の案件で、同じ職務へ配置できないことが理由欄にある。


「通報したことが、非更新の理由なんですか」

「違います。簿外金を受け取って報告しなかったことと、初期の本人発言を十分に残さなかったことを、外部の弁護士を入れて確認しました。その結果として、会社が更新しないと決めました」


宮本は第三者調査の中間報告を開いた。会社は高額な自費夜勤をいったん止め、行政と朱音の遺族へ連絡し、利用者と職員の調査を続けている。佐伯は顧客情報や配置情報へ触れない職務へ外され、懲戒処分のあと退職した。


報告は、事故・虐待疑いの区分を契約担当が下げられた仕組みと、職員の生活事情を顧客へ渡した会社の責任にも頁を割いていた。決定者の欄には宮本の名もある。


「非更新は、あなたの契約についての会社判断です。会社の責任は、この報告で公表し、調査を続けます」


私は通知を受け取った。


明細と非更新通知を鞄の書類入れへ収めた。


正規賃金を全部返せば、十日間を一度で処理できる気がしていた。でも、その金には交代職員へ引き継いだ九回も、右袖を最後に通した手も、千代さんが自分で立った六歩も入っている。


返すのは、初日に黙って受け取った十万円だけにした。


代理人と相談し、月に一万円を十回払う予定を作った。一括で払えば母の次の施設費と家賃がまた足りなくなる。払わない月を作るより、清掃の給与日から三日後を支払日にした。


予定より収入が増えたら早く払う。減ったら、遅れる前に相談する。その二行も書面に入れた。



清掃の仕事は、公共の職業相談窓口で見つけた。


商業ビルの夕方四時間。作業場所と休憩、終業時刻が勤務表にあり、家族から別の封筒を渡される欄はない。


面接では、前の契約が更新されなかった理由を、仕事に関係する範囲で話した。顧客から金を受け取って報告しなかったこと。介護の記録が捜査対象になったこと。刑事処分が決まったという話にはしなかった。


担当者は、すぐに採用とも不採用とも言わなかった。


「清掃でも、勝手に持ち帰られると困ります」

「持ち帰りません」

「漏水や破損は、拭く前に現場責任者を呼んでください。作業が遅れても」


その条件で、一か月の試用になった。


三日目の夜、洗面台の下に細い水の筋を見つけた。


床にはまだ、手のひらほどしか広がっていない。拭けば、予定どおり次の階へ行ける。


私は清掃用具を通路の端へ寄せ、責任者を呼んだ。


「給水側か排水側かは分かりません。清掃前から濡れていて、今も一滴ずつ落ちています」


責任者は腕時計を見た。巡回の順番が遅れる。


「場所に札を置いて。写真は業務端末で一枚。設備へ連絡するから、先に別の階をやろう」


責任者は残業申請の画面を開き、設備担当へ電話した。私の担当表には「原因不明の漏水、清掃前に報告」とだけ入った。


翌日、配管の継ぎ目を直したと申し送りがあった。


私は水の消えた床を確かめ、作業を始めた。


帰宅してから、机に返済予定表を広げた。


一万円の欄が十個ある。最初の支払日は次の給与日の三日後だった。


私は空欄へ、十個の日付を自分で書いた。


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