佐伯は知っていた
佐伯は、私より先に会議室へ入っていた。
第十四日の午後。私は会社の車で一度帰宅し、五時間ほど眠ってから本部へ戻った。昼の聴取は夜勤とは別に打刻するよう、宮本から指示されている。
長机の上には、朱音の第八夜報告と、アクセス履歴が印刷されていた。宮本は佐伯の正面ではなく、机の短い辺へ座った。
「高梨朱音さんの報告区分を、誰が変えましたか」
挨拶のあと、宮本はそれだけを聞いた。
佐伯は印刷物を裏返さなかった。
「私です。当時の契約担当として、家族からの説明と合わせて整理しました」
「最初の区分は」
「事故・虐待疑いです」
「変更後は」
「家族との認識差と、職員の体調相談です」
「決定者は」
「私です」
宮本は日時と決定者を用紙へ記した。
「右上腕の痕、服薬指示との差、偽名表示、勤務継続不可の申出がありました。認識差へ下げた理由を教えてください」
「痕は日常介助でも生じます。服薬は医師であるご家族が確認していた。家族ノートは会社原本ではありません。どれも、その時点で虐待と断定できる情報ではありませんでした」
「断定できないことと、疑いの区分を下げることは、同じですか」
佐伯は答えず、朱音の報告を自分のほうへ引いた。
「高梨さんは、非常に疲れていました。案件から外すことは決めていたんです」
「次の職員を入れないでほしい、という申出は」
「顧客との契約を停止するだけの根拠とは別です」
「十一日後に亡くなったと知ったあと、案件との関係を検証しましたか」
「死亡原因は個人情報です。会社へ詳しい情報は来ていません」
「検証したかを聞いています」
佐伯は、しなかったと答えた。
宮本は次に、社内の送信履歴を開いた。宛先は、鷺宮家の契約用共有フォルダ。送信者は佐伯だった。
添付名は、主担当候補・配置参考。
「真柴さんの藤井案件を、誰の決裁で送付しましたか」
「氏名などは参考用に――」
「藤井トシさんの氏名が残っています」
宮本が紙を一枚抜いた。三年前、私が書いた皮膚の発赤と家族説明の一部。契約終了まで勤務した日数。佐伯が後から付けた短評。
細部に気づき、記録できる。家族説明後は継続可能。
「本人にも藤井さんにも、この利用目的の同意はありません」
「配置適性を見るためです」
「受領者は鷺宮家です。社内の配置担当ではありません」
佐伯は黙った。
別の送信文には、もっと短い行があった。
母親の施設費を急いでおり、高額短期案件を希望。途中離脱の可能性は低い。
「私が母のことを話したのは、佐伯さんとの勤務相談です」
「顧客は、十夜とも同じ主担当を求めていました。完遂できる方か伝える必要があると判断しました」
「母の施設費まで?」
「金銭事情が、受任意思の一部でした」
私に十万円が必要だったのは事実だ。佐伯はその事実を、私が断りにくい証拠として家族へ渡した。
宮本は送信記録を保全対象へ加えた。
「高梨さんを、鷺宮診療所へ案内した理由は」
「勤務を続けられる状態か、医師に見てもらうためです。近隣で当日受診できた」
「院長が契約家族だと説明しましたか」
「現場を知っている医師のほうが、話が早いと思いました」
「説明した記録は」
佐伯は持っていなかった。
「高梨さんが亡くなったあとも、あなたは同じ十四日間の指定十夜へ、真柴さんを推薦しましたね」
「勤務条件と休憩は会社基準を満たしています」
「質問へ答えてください」
佐伯は、推薦したと認めた。
「現時点で、私の処分は決まっていますか」
佐伯が尋ねた。
「決まっていません」
「なら、私の説明も調査記録へ全部入れてください」
「入れます」
宮本は「処分未定」と書き、その下へ佐伯の説明を続けた。
聴取を終える前に、私は鞄から銀行の入金控えを出した。白い封筒そのものは、自宅の引き出しに空のまま残してある。
「もう一つ、私のことを入れてください」
宮本が新しい用紙を出した。
「初日の勤務開始後、百合さんから支度金として、会社を通さない現金十万円を受け取りました。規程違反だと分かっていました。母の未納分へ使いました」
佐伯が初めて、はっきり私を見た。
「私には報告していませんね」
「していません」
「なぜ今」
「このことを抜いたまま、市へ話せないからです」
宮本は、受け取った場所、名目、金額、使った日、領収書の有無を聞いた。私は順に答えた。守秘も雇用継続も約束されなかった。簿外金の調査番号が、朱音案件とは別に発行された。
「今後、鷺宮家へ戻るかどうかには、この申告も含めて判断します」
「はい」
宮本は市の高齢者虐待担当へ電話をかけた。会社だけで終わらせず、通報として受けてほしいと最初に伝えた。
電話を受けた中村由紀は、誰が見たことかを一つずつ分けた。
私は、千代さんが百合抜きで公証人か法律支援と話したいと述べたこと。右上腕の痕を本人の同意で会社報告したこと。服薬を一度拒否した後、自分で飲むと選んだ夜と、空包が一つ確認できなかった夜があること。家族ノートでは本人の言葉と私の署名が変えられていることを話した。
推測は言わなかった。
宮本は、会社原本、佐伯の分類変更、朱音の報告、家族による電話・郵便・外出管理の説明を伝えた。会社側の初動が遅れたことも省かなかった。
中村は、千代さんが今けがをしているか、呼吸や意識に急な変化があるか、家族から離れて連絡できるかを聞いた。
「今の状態は、今日の朝以後、確認できていません」
私が答えると、中村は当日中に安全確認へ行くと決めた。
「ご本人と二人で話せるよう、先に家族へ頼みます。難しい場合も、そこで終わりにはしません」
通話には市の受付番号が付き、担当者名も残った。
宮本は電話を切ると、私の今夜の配置をいったん保留にした。家へ行くのは、市の訪問に同行するためであって、夜勤を始めるためではない。危険評価が終わるまで、制服へ着替えないよう言われた。
会社の車で鷺宮家へ着いた時、中村はすでに門前にいた。
百合は客間へ通し、千代さんの車椅子を自分の椅子のすぐ横へ止めた。冬彦も立ったまま部屋を出ない。
中村が名乗り、千代さんと目の高さを合わせた。
「今、千代さんと二人で話せますか」
百合の手は、車椅子のハンドルから離れなかった。




