第17話 十枚で終わりですか
記録画面に、進捗バーが出るようになった。
六日目の夜。
勤務開始を押すと、タブレットの上部に細い緑の線が伸びた。
線は十の目盛りに区切られ、六つ目までが緑に塗られている。
夜間記録提出状況
六枚目
その表示を見て、私は手を止めた。
「枚、なんですね」
そばにいた律さんが、画面をのぞいた。
「紙の頃の名残です」
「電子でも」
「内部処理上は一勤務一枚なので」
彼はそう言って、表示を消そうとした。
爪の短い指が、画面の端に伸びる。
私はタブレットを引いた。
「十枚で終わりですか」
「契約期間が十日なので」
「十枚そろえる必要があるんですか」
律さんは笑った。
「仕事って、だいたい必要なものをそろえるためにやるんじゃないですか」
答えになっていないが、間違ってもいなかった。
千代さんの部屋では、常夜灯がついていた。
彼女は起きていて、私を待っていたように目を開けた。
私は先に、いつもの順で手を動かした。掛け布団の重なりを直し、踵の下に丸めたタオルを入れ直して、唇の乾きを見る。手首の内側に指を三本当てると、六十八で、昨夜と同じ数だった。
「何枚」
「六枚目です」
私は正直に答えた。
吸い飲みで、白湯を一口。
喉が、細く鳴った。
千代さんは、まぶたを閉じた。
「九枚までは、いい」
「十枚目は」
返事はなかった。
「十枚目に何があるんですか」
千代さんは、布団の下で指を動かした。
一本。
二本。
三本。
数えている。
指の山が、布団の房を一つずつ越えていく。
六つ目で、山が止まった。
関節だけが、布の下でしばらく動いていた。
「東さんは」
私は息を止めた。
「何枚まで書きましたか」
千代さんは、目を開けた。
「八」
「八枚目で、何を書いたんですか」
「あり」
「あり?」
千代さんは、それきり口を閉じた。
唇が一度だけ動いて、止まる。
続きは出てこなかった。
あり。
何が、なのかは言わない。
私はタブレットを握り直した。
この言葉は、書くべきだ。
本人より、前任者が八枚目に「あり」と書いた旨の発言。
そう打とうとした。
入力欄に指を置く。
候補が出る。
枚数へのこだわりあり
夜間不安あり
要観察
私は候補を無視して打った。
東さんは八枚目で「あり」と書いた、と本人発言。
保存前に、画面が止まった。
読み込み中。
灰色の円が、ゆっくり回る。
私は指を離さないまま、十秒、二十秒、三十秒と数えた。
戻った時、文は消えていた。
代わりに、こう入っている。
記録枚数への不安発言あり。家族へ申し送り済。
律さんからチャットが来た。
重い文は、朝に確認しましょう
打ち直そうとすると、入力欄の上に灰色の帯が出た。
編集は朝の確認後に可能です
私は廊下を見た。
誰もいない。
千代さんが、目を閉じたまま言った。
「九枚までは、書かせる」
「十枚目は」
「書いた人のものになる」
タブレットの進捗バーは、六枚目のところで緑に光っていた。
その光が、保存ボタンより強かった。
私は進捗バーを押した。
詳細画面が開く。
一枚目 完了
二枚目 完了
三枚目 完了
四枚目 完了
五枚目 完了
六枚目 作成中
完了の行は、同じ形の、同じ緑で塗られている。
どの行の右にも、小さく、家族確認済、と出ていた。
六枚目だけ、行の端で細い緑が点滅していた。
その下は、灰色で並んでいる。
七枚目 予定
八枚目 予定
九枚目 予定
十枚目 提出用
十枚目の行だけ、他より一段高い。
行の右端に、小さな鍵の印がついていた。
提出用。
六枚目の夜に、十枚目の用途がもう決まっている。
私は詳細画面を下へ送った。
小さな文字で、提出条件が並んでいる。
十勤務分の夜間記録。
家族確認。
記録者署名。
業務完了ログ。
報酬確定。
私は手帳を出し、五つ全部を写した。
四つ目までは、手が普通に動いた。
五つ目で、止まった。
報酬確定。
書き終えるまで、他の四つより時間がかかった。
十枚目は、千代さんのための記録ではない。
私の報酬を確定させる紙でもある。
「提出先はどこですか」
私は廊下に向かって聞いた。
律さんの返事は、チャットで来た。
社内管理用です
鷺宮家に会社はない。派遣会社か、医療機関か、家族の中の誰かの会社か。
千代さんが、ベッド柵を叩いた。
こつん。
一、二、三、四、五、六。
どの音も、同じ高さで鳴った。
今夜の数。
「七は」
「明日です」
「八は、来る」
「東さんの八枚目ですか」
「来る」
「何が来るんですか」
千代さんは、私の顔ではなく、タブレットを見た。
「あなたの前」
あなたの前、の意味は分からないまま、背中が冷えた。
チャットがもう一つ来る。
律さん。
進捗画面は内部用なので閉じてください
私は閉じなかった。
スクリーンショットを撮る。
画面が黒くなった。
スクリーンショット禁止
業務管理情報のため
黒い画面に、自分の顔が映る。
その肩越しに、戸口の影が映った。
振り向いても、誰もいない。
もう一度画面を見ると、進捗バーは消えていた。
ただし、記録欄の一番下に小さく残っている。
提出用記録まで、あと四枚。
私はその文字も手帳に写した。
提出用記録。
あと四枚。
手帳は私物だ。
この家の端末ではない。
そう思った直後、玄関のほうで門の開閉音がした。
誰かが出ていく音。
タブレットには、何も表示されない。
門のログも、カメラの通知もない。
私は廊下の窓から、門を見た。
外灯の白い光の下に、人はいない。
門扉だけが、まだ小さく揺れていた。
千代さんが目を閉じたまま言った。
「出たのは、書かない人」
私は手帳の余白に、「書かない人」も書いた。




