アイゼンハルト家当主 ギルバート
「それにしても、ギルバート様が外出するなんて久しぶりですな」
「……そうだな」
外出のため身支度を整えていると、アイゼンハルト家筆頭家令であり、剣の師匠でもある家臣、レイハルト・カーマンが話しかけてくる。
暗い赤髪にごつごつとした精悍な顔立ちの彼はしかし、随分と楽しげな表情を浮かべていた。
反面、ギルバートの内心はあまり落ち着いていない。
これから、罪の意識からずっと避けていた領民たちの姿を、見なければならないからだ。
そしてあるいは、遭遇してしまうかもしれないからだ。
果たしてもし会えば、どんな言葉が向けられてしまうのだろうか。
彼らの愛する我が父と兄を守れなかった、自分のような存在に。
恐ろしくて未だに気が引ける。
妻の提案を了承したのは自分であるはずだが、どんどんと気が滅入っていく。
我ながら弱くなったものだと思う。
あるいは、元から弱かったのだ。
だから彼らを無残な姿で故郷に帰してしまった。
「しかもその理由が、奥様とのデートとはね。へへっ」
「え?」
そうして沈む意識を引き戻す、聞き慣れない言葉。
再びレイハルトを見れば、笑みはより深まっている。
50前半の老人らしくどこか孫を見るような、ただなんとも腹の立つ食えない笑顔だ。
「い、いや。そういったものでは――」
「いやぁ、そんな『閣下』を送り出せるとは。このレイハルト・カーマン、恐悦至極に存じますな。全く全く」
確かに今からセレスティーヌと出かけるが、目的は全く違う。
単に、彼女の買い物に付き合うだけである。
付き合うのだって二人で何かを楽しむためでもない。
これも仕事の一環だ。
そのはずである。
咄嗟に否定しようとするが、遮られる。
さらにニタニタとした目を向けられる。
最早気になるどころか憎たらしい。
「……からかっているな?」
「おっと。分かりましたかね?」
「はぁ……。全く」
「失礼いたしました。閣下」
「分かったからもうよせレイハルト……」
からかわれているのだとすぐ気づき、相手にしないことを決める。
彼は幼少期からずっと自分を見てきた男だ。
さらにギルバートは今まで殆ど鍛錬しかしてこなかった。
剣術でこそ上回っていても、言い合いでは分が悪い。
家令として父に付き従い、貴族の腹の探り合いも経験している相手なのだから。
「ただ、少し気を付けなされ」
「……というと?」
「私もこの婚約にあたって多少彼女の事を調べましたが、ギルバート様のような美男子には目が無いと、かなり聞きました」
「む。そうなのか?」
「えぇ」
だがだからこそ信用できると知っている。
忠誠と情報網は確かだ。
間違った事を、何の懸念も無く伝えるような男ではない。
レイハルトが言うのであれば、セレスティーヌの「評判」は正しいのだろう。
ただ、そこには一つだけ大きな但し書きがつく。
「……しかし私には、彼女は今までの令嬢たちとは違うように思える」
「ほう?」
「少なくとも、私の都合を優先してくださる。それに何度も言おうとしたが、今回はその、それ……」
「デート?」
「あぁ。それではなく、単なる領地の視察が目的だ。だからどちらにせよ、彼女がどんなことを思っているにしろ、全くの無駄になるという事は無い」
彼は政務補助のため執務室に籠りきりで、未だ妻と顔を合わせてはいないのだ。
一度会えば、そんな下世話な人間では無いと分かるだろう。
また、顔や立場、兄との関係構築目当てで半ば無理矢理近づいてきた、これまでの令嬢たちとは違うということもだ。
それぐらい彼女は、嫁いできてからの1週間大人しかった。
それどころか度々部屋へ訪ねることも、嫌な顔一つせず了承してくれた。
自分たちが婚姻関係にあるとはいえである。
「それに私は、彼女に好かれるような男ではないし、美男子などでもない」
「ふむ。まぁいいですがね」
ましてや、ソレに誘われるほど好意を持たれているとも思えなかった。
何せこの家へ来た時、仕方がないとはいえ突き放すことを言ったのだ。
恨まれこそすれ、好かれるなどありえない。
さらにギルバートは自分の顔が整っているなど、考えたことも無かった。
むしろ表情が硬く可愛げが無いとさえ感じている。
であれば猶更、ただ二人でどこかへ出かけたいなど思われないはずだ。
「とはいえせっかくのデートだ。存分に楽しんでくるのが宜しいでしょう」
「はぁ……。分かった分かった。そうさせてもらう」
「宜しければ、私が妻とよく行くいい店もご紹介しましょうか?」
「……」
「もしくは子供たちか、孫たちと行く賑やかな場所でも?」
「もう行く。留守は任せた」
「えぇ。楽しんで」
支度が終わったため、未だうるさいレイハルトから逃げるように部屋を出て行く。
愛妻家かつ親バカで、さらに孫にも恵まれるのは大変良い事だが、毎日のように聞かされる側としてはうんざりしなくもない。
それにだ。
自分は平民である彼とは違い貴族である。
恋愛や、ましてやデートなど縁遠い話だろう。
両親があまりに仲睦まじく、密かに憧れを抱いてこそいたが。
この結婚だって、アイゼンハルト家存続に急を要する事態だ、という母の強い勧めに応じ受け容れたという部分が大きい。
政務がある程度ひと段落すれば「夫婦としての務め」も行うつもりだった。
少し気後れしてしまう心がないわけではないが。
(私に、そんなものを楽しむ資格などない。一生かけて罪を償わなければならないのだ。この家の剣として父と兄を守れず、皆を落胆させた罪を)
一人になるとまた暗い思考を巡らせるギルバートの心のどこかでは、しかしデートという言葉が確かに残っていた。
少し、意識してしまいそうなほどに。
それが、あるいはセレスティーヌへの好意から来るものかはまだ、判然としなかった。




