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影華(えいか)の屋敷  作者: 沙波


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影華の君

 ランディの言葉が気になり、ミーガンは執務室を出たその足で、まっすぐ屋敷の外に出た。

 カンニガム家の屋敷を取り囲むように広大な庭が広がっている。カンニガム家は他の地域に比べて、四季のめぐりがはっきりとしており、様々な種の植物が自生していたこともあって、植物に関しての学問研究が盛んに行われている。

 その証拠に庭の一角、屋敷からみて北東に植物学術研究所なる施設がある。これは、カンニガム家の財産とも言える知見で、外交の際などは、植物学の知識は取引なども含めて役に立つ。例えば、その地域の特産品種の改良をできないか。他に気候と土地に合った、農産物を育てることはできないか、など。その回答を外交条件として、様々な働きかけをすることが可能だ。そのため、ミーガンも幼い頃から、植物学術研究所に赴き、勉強をしてきた。それはカンニガム家の名前を背負うものとして、必要な知識だと口を酸っぱくして言われてきたから。

 久しぶりに歩く庭は、昔とそう大きくは変わらない。冬から春へ。季節が移行する中で、植物たちは芽吹きなどの移ろいを見せている。

 兄のランディはミーガンに一体何を伝えようとしているのか、ただ庭に出ただけでは全くもって予想がつかない。

 ちらほらと色とりどりの花をつけた花壇を見つけ、兄のランディはこれをミーガンに見せたかったのだろうかとも思ったけれど、あの時の表情を思い出して、そうではないと思われた。

「お嬢様」

 声をかけて来たのは庭師のジョグ。

 彼も長年この屋敷に勤めてくれており、現在はカンニガム家の植物学術研究所所長の地位にいる。わからないことはジョグに聞け。とも言われるほど、カンニガム家になくてはならない存在だ。元々は独自に、あくまでも趣味の域を出ない範囲で研究をしていたらしいのだが、その腕を見抜き、惚れ込んだミーガンの父は、働きながら研究をしないかと誘ったのがきっかけだと前に、聞いたことがある。しかし、彼の持っている知識は他の者を圧倒するほどの実力で、現在の地位に至るまでそう時間はかからなかったのだとか。

 もちろん、植物学術研究所にはジョグ以外にも優秀な研究員が在籍している。

「こんにちは。お久しぶりね。お元気?」

 幼い頃から、植物について様々教えてもらったジョグに対しては、ある意味家族に近い親愛の情を抱いていた。

「もちろんです。学園に行かれて、親心のような心配もあったのですが、お嬢様もお元気そうで」

「ありがとう。大丈夫よ。なんとかなっている。最初はね、慣れるまでは色々大変なところもあったけれど。ただ、カリキュラムが結構忙しくって。休みはあっても、帰って来られるだけの余裕があんまりなかったの」

 一日か二日しかない休みで、王都にある学園からカンニガム家まで移動することは、不可能ではないが、移動で休みが終わると思うと、ミーガンは帰らない選択肢を選んでいた。

「頑張ってらっしゃるんですね」

 ジョグがミーガンを労う。土や植物の手入れをする姿は、どこにでもいそうな農家の中年男性なのだが、白衣を着ると、この国で何かあると王都の諮問会に呼ばれるほどの権威ある学者の姿になる。まさにその言葉の通りなのだけど。

「少しずつ花が咲き始めているんですね」

「ええ。今年もこのあたり一面に花が咲き乱れるでしょう」

 ジョグは本当に植物が好きなようで、愛しむような視線であたりを見回した。

「ねえ、ランディお兄様から一度、庭に行った方がいいと言われて来たのだけど、何かあるの?」

 そう言って顔を覗き込んだのだが、みるみるうちに彼の顔が蒼白になるので、ミーガンは息を呑んだ。

「ごめんなさい。私、何かおかしなことを言ってしまったかしら」

 慌ててそう言ったのだが、ジョグから言葉が返って来るまで、少しの空白の時があった。それからハッとして、ミーガンを見る。

「申し訳ございません。お嬢様に落ち度など一切ありません。ランディ様がそう仰ったなら――そうですね、隠し立てする必要もありませんね。言葉でお伝えするよりも実際に見ていただいた方が早いでしょうから。こちらに」

 ジョグの後について、屋敷の東側に回る。そこには大きな水を張った水盤があった。昔、ここは戦から帰ってきた者たちが血を拭う場所として使っていたため、水面がいつも真っ赤に染まっていたという逸話があるのだが、近年は別の場所にきちんと騎士達のための駐屯所を建設したため、水はいつも透明だった。

 それなら、いわくがあるし、壊してしまった方がいいのではないと思われるかもしれないが、この水盤に使われている岩石は元々カンニガム家の屋敷を建立する際にこの辺りの土地を掘り起こして出てきたものだ。当時、少し窪みのあるこの岩をどうやっても崩すことができなかったので、その窪みを水盤として利用し、土地の守り神として今日まで守り続けてきたのだとか。夏になると、庭師達が水を張った水盤に、摘み取った花を生けてくれるので、血で染まったなどと言う、過去の歴史があったと知っているのは、今では屋敷でもごく一部のものだけだろうと思う。

 ジョグが進んでいくのは、庭の東側のエリア。その中でも薄暗い一角だった。背の高い木が密集したエリアで、小さい頃からミーガンも感じていたのだが、この辺りだけは妙に時折背筋が凍るようなそんな感覚にさせられるのだ。だから、あまり人は寄りつかない。眉唾ものの話だが、幽霊が出るなんて噂もある。もちろん、生まれた時からこの屋敷に住んでいるミーガンは幽霊など見たことないが。

「これです」

 ジョグが示した先、鬱蒼とした薄暗い草むらの中でドキッとするほど、漆黒の色が見え、目を疑った。

 釣鐘型の手のひらくらいの大きさの花が、垂れ下がっている。

「見たこともないお花? なんだか不思議な香りがする」

 誘われるように、花に近づいたところ、ジョグの強い制止を受ける。

「あまり近寄ってはなりません。香りを深く吸い込まない方がいいですから」

 確かにこの辺りは、人は近寄らない場所だが幼い頃、植物学の教育の一環として、屋敷の庭はどの辺りにどんな生態、植物が分布しているかなど、勉強のために庭は隅から隅まで、全ての季節にまわっているので、どこにどんな植物があるのか。ミーガンも大体のことは今でも覚えている。そしてこのエリアにこんなわかりやすい花があれば忘れもしないと思うのだが、全く記憶にない。むしろ花自体、見たのが初めてだ。このような珍しい形の花をミーガンは見たことがなかった。

「そうですか。ジョグさんが新しく、改良した花ですか?」

 そう聞いてみたのだが、ジョグはただ難しい顔をして、その漆黒の花を見つめるばかり。その様子から察するにミーガンの声が耳に入っていないのだろう。目だけは鋭く、爛々とさせ、食い入るように漆黒の花を見つめている。この花はよっぽどジョグの興味をそそるらしい。

 もう一度、その釣鐘の花に目をやる。茎の部分はすぼまり、花弁は先端の方にいくにつれて、くるんと外側に巻き込んだ形をしている。鉄砲百合の花にも似ていると思ったが、見れば見るほど別のものに見えてくるから不思議である。

 百合の花に高貴さを感じるとしたなら、目の前のこの花には神秘性を感じる。いや、神秘という表現はあくまでもよく言えばと言った具合で、どちらかというと得たいの知れない怖さを感じる。それがミーガンの素直な感想だった。

 先ほど制されたことなど忘れて半ば無意識に、その花に手を伸ばそうとした時、

「いけません」

 ジョグはかつて聞いたこともないほどに厳しい声を上げた。ミーガンは驚きと怖さのために萎縮し、思わず手をひっこめる。その一連の動きを見たジョグは、ミーガンを見て悲しそうに表情を歪めた。

「申し訳ありません、お嬢様。急に大きな声を出してしまって」

「いいえ。ただ、ちょっとびっくりしただけ」

 ジョグはミーガンに対してどう話を切り出したものかと迷っているのだろう。困ったように頭を掻いて、無理矢理に笑って見せる。

「これはエンジェル・トロンプという花です」

「エンジェル・トロンプ?」

 ミーガンは首を傾げた。

「お嬢様にはそれは多少聞き慣れない名前かもしれません。恐らく、影華の君と言った方が聞き馴なじみ、あるでしょうか」

「影華の君? ……本当に、実在したの?」

 ミーガンはジョグと漆黒の花を交互に見る。影華の君、カンニガム家の古い御伽噺で聞いたことのある名前だ。

「私も半信半疑でした。しかし、目の前に実在することが、全ての真実かと」

「そうね……」

「ええ。ただ私も未だ、本当に実在したのだと。半ば目の前にあるのにも関わらず信じきれていない状態でして」

 エンジェル・トロンプ。

 通称、カンニガム家では『影華の君』と呼ばれる。なぜ、影華の君と呼ばれるかというと、夜になると芳しい香りを放ち、植物の近くにいる人間を殺してしまうという所以があるからだ。花というか植物全体に毒性があり、触れただけで、肌がただれ、下手すると切断しなければならない危険性があると言う。

「屋敷の者達はこの存在を知っているのかしら?」

「はい。現在注意喚起を行っています。しかし、誤ってという可能性もあるので、早急にバリケードを設置する予定です。対処法を探し出せればとは思うのですが」

 その言い方だと、良い対処法は見つかっていないのだろう。

「燃やしてしまうというのはダメだったかしら?」

 ミーガンは思いつきで提案してみる。

「私どもも最初はそう思ったのですが、ミゲル様からとある文献を示されて、そこには燃やすと有毒ガスが発生するようなことが書かれておりましたので……」

 ジョグは苦笑いを見せる。

 開花、発生条件が不明であり、発芽周期も不明。百年ほど目にしないこともあるため、幻の花。伝説上の植物と言われてきた。今の今まで、もちろんミーガンもそう思ってきた一人だ。

「ジョグ。貴方を責めるわけじゃないの。影華の君――私も物語の中にしか存在しないと思っていたものが、実際に目の前にあると、なんだか目の前にある光景をどう信じていいのか分からなくって」

「私も同じ気持ちです」

「疑問なのはどうしてここに自生したかよね。ジョグたちはこの庭にある木も花も草も何もかもを掌握していると思っているから聞くのだけど、ここに影華の君があったことをご存知だった?」

 ミーガンは幼い頃の記憶を辿っても、この辺りに影華の君の痕跡があるなんて聞いたことも見たこともなかった。

 影華の君の葉は一枚、一枚がしっかりとした大きさがあり、似ている植物で思いつくのは柏の葉だろうかと思う。大きく成長し、つるんとした幹は小さな樹木ほどの太さがある。葉と花がかなりのボリュームがあるので、よくよく見ようとしないと幹まで辿り着かないけれど。

 これだけ、花も葉も特徴的なら、一度見たなら忘れないと思った。

「いえ、把握しておりませんでした」

 ジョグは申し訳なさそうに頭を下げる。

「さっきも言ったけれど、責めている訳ではないのよ。ただ……これだけ特徴のある植物ならさすがに私も忘れないと思って」

「そうなのです。もしかしたらですけど、種子の状態で長い間地中に埋まっていたのではないかと推測しております。それで、何らかの開花条件が整って、一気に発芽したのではないかと」

「そうね。その可能性がきっと高いのかも」

 ミーガンの言葉は上の空だった。

 影華の君。

 カンニガム家に伝わっているのは、植物の毒性だけではない。影華の君が花開くとき、災いをもたらす。そんな言葉も一緒に伝わっていることを思い出し、ミーガンは気づくと底なし沼の目の前に立っているかのような死の恐怖が体に伝わっていった。


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