本の行方
尖塔から持って来た、ミーガンさえ読むのに苦労しているあの本をエイブリルが持っていったところで、解読できるかと聞かれると、頷くのは難しい。彼女は、使用人としての仕事をこなせるだけの能力はあるが、それ以上の、例えば植物に関しての詳細の学問だとか、伯爵家の経営についての知識があるか。なかった場合、学べるだけの能力があるかと聞かれると、恐らく難しいと思う。
「正直、それはわからない……お祖母様は犯人に心あたりがあると話していたけれど、誰のことを言っていたのか。結局のところ聞けなかった」
ケナードはハッとして顔を上げる。
「ちなみに、その本には影華の君についての取り扱い方法は書いてあったのですか?」
ミーガンは頷くも、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「恐らくと思われる部分はありました。けれど、……書いてある文章がかなり専門的すぎて、私には解読できなかったの」
「あったのですか?」
ケナードは大きく目を見開いた。
「ええ」
「その文章を……覚えてはいませんよね」
「流石に暗記はできなかったけれど……」
一日中、部屋にこもっていたのはこれが理由である。書いている内容がさっぱりわからなくて、ああでもないこうでもないと一人、考えていた。文字は文字なのだが、ところどころ記号の様なものや小さな絵で描かれており、恐らくそれらも何らかの意味や法則性があるのだろうと、ミーガンなりに考えていたのだが、解読には至らなかった。
「本がここにないことが悔やまれますね。書いてあることだけでもわかれば」
ケナードは、悔しそうな表情を見せる。
「内容だけでいいならあるわ。私の手書きだけれど」
ケナードは大きく目を見開く。驚きのあまり、声が出せないようだった。
「あまりにも内容が難しくて、本を汚しては困ると思って検討するために模写したメモなら多分、えっと……これだわ。だけど、内容はまださっぱり」
机の引き出しを開けると、そこには手書きの紙が何枚か入っていた。本を持ち去った者はさすがに引き出しの中までは確認しなかったらしい。メモを取り出しケナードに見せる。
「これが?」
両手で受け取ったケナードは注意深く、目を走らせている。
「ケナード。貴方にはわかりそうですか?」
ミーガンの問いにしばらくしてから、ケナードは顔を上げ、頷く。
「お嬢様がわからないと仰られるのも無理はありません。学園や国の中枢機関でも理解できる者はいないでしょうね」
「でも、ケナード。お前にはわかるのね?」
「はい。これはカンニガム家で代々受け継がれてきた、植物研究に関する書物に使われているもので。カンニガムの者しか解読出来ないでしょう」
「そんなものがあるの?」
「はい。過去の先代から子孫へ脈々と受け継がれているものでございます」
「知らなかった」
本心からのことだが、知らなかったのはミーガンだけなのだろうかと思うと、自分だけ蚊帳の外に置かれているような気になってしまった。
「お嬢様は学ばれる前に学園への進学を決められたので」
「じゃあ、お兄様たちはこの文章を解くことができる?」
ケナードはこくりと頷く。
「ランディ様はもちろん。リッチ様は……学ばれているはずですが、あまり勉学がお得意ではない様なので、どこまでそれをご存知でいらっしゃるかは……」
「それはそうとして、ケナード。貴方は読めるのね?」
「はい」
「他に屋敷の中の者で読めるのは?」
「ジョグ様は読めます。ランディ様や私にご教授いただいたのは、ジョグ様ですから。また、研究所の上の役職についている者は読めます。あとはミゲル様も最近、ジョグ様から学んだと聞いておりましたので」
「ミゲルも?」
「ええ、とても飲み込みがはやいと聞いております。ちなみに、伯爵様は読むことができません」
「そうなの?」
意外だと思われたと同時に、自分と同じ読めない側の人間がいて安堵した。
「あの方の本分は、どちらかというと剣に関わる部分ですから、本来はあまりデスクワークは得意ではないのだとご自身で」
「そうなのですね」
ミーガンが思うカンニガム伯爵はもちろん剣の腕は確かでそれに加えて、頭脳明晰。完全無欠という印象があったが、ケナードの話を聞いているとどうも違うのだと思われた。
「あの方も人間なのです」
「なんとなくだけど、なんでも出来る方なのだと思っていたわ」
「あの方は、私から見ると、努力の人ですね。前伯爵の、お嬢様の本当のご両親の手腕が素晴らしかったので、リベカ様の一言でこの伯爵家を任され、かなりのプレッシャーを負ったはずです。それでも、伯爵様なりにここまで大変な努力をされていらっしゃいました。それに大変忙しい。仕事は常に山積みです。なので、全てのことをやっていると、体がいくつあっても足りませんから、植物の研究については、さわりくらいは存じていると思いますが、詳しい研究には、はっきりともう関わらないと決められていらっしゃって」
ミーガンは何度か頷きながら話を聞いた。追い詰められながらも、必死にここまで伯爵家を守ってくれていた彼の本当の姿をミーガンは知らなかった。いや、知ろうとしなかっただけかもしれない。
「私は……病気で両親を相次いで失って、伯爵家が色々な意味で荒れているのをこの目で見てきた。でも、当時は立ち向かう勇気はなくて、ただただ辛くなってしまって、ある意味、学園に進学することでこの家から逃げ出したも同然なんだわ。何の躊躇いもなく、私たちの保護者となってくれた現カンニガム伯爵にもう少し、寄り添った姿勢、理解を示していたなら、こんなことにはならなかったかもしれない。少なくとも伯爵家に流れる空気感は変わっていたかもしれない」
全て結果論だ。ただただ、今更ながらに現伯爵について自分が無知、無関心であったことにケナードの言葉で気付かされた。それだけのこと。
「お嬢様」
「でも、そんなこと悔やんでいる暇はないわね。今はお祖母様を死に追いやった犯人を突き止めて、終わらせなければ。もう一度、お祖母様の部屋を見ることはできるかしら」
「リベカ様のお部屋ですか?」
「ええ。もしかしたら、犯人につながる何かがあるかもしれないもの」




