出会い
ケナードと最初に出会ったのは、ミーガンがまだ五歳になるぐらいの頃だったと記憶している。
当時も北の戦線にきな臭い空気が漂っており、急遽ミーガンの父であった、カンニガム伯爵が戦地に向かった。ミーガンは、母と指折り父親の帰りを待ち、一ヶ月経った頃、ミーガンの父は少年と一緒に、この屋敷に戻ってきた。
『貴方、その子は一体……』
笑顔で迎えていたはずなのだが、ローブにぐるぐる巻きにされた少年の姿を見るなり、ミーガンの母が金切り声をあげる。ミーガンは、母が声をあげることなんてなかったので、びっくりしたことをはっきりと覚えていた。
『いや、詳しいことは後で話す』
父は、母の剣幕に押されながらも、必死で弁明をしようとしていたのだが、どうも歯切れの悪い言い方を聞いて、母は小刻みに震えていた。ミーガンは繋いでいた手の感覚からそれがわかった。その手を離し、ミーガンは少年の元に向かった。
『こんにちは』
ミーガンは精一杯の声で話しかけた。
ローブから灰ピンクの髪が漏れ、虚ろな目がこちらを向く。生きているかどうかもわからないほど、その目から生気は感じ取れなかった。でも、どうしてか怖いとは思わなかった。
『……』
ミーガンは返事のない相手の顔を覗き込もうとすると、額にすり傷があるのを発見し、手を伸ばそうと…………
「お帰りなさいませ。お荷物はそれだけですか?」
ケナードの声に、一気に現実に引き戻される。今更ながらに、彼に会った最初の日を思い出していた。
「……ええ」
振り返ると、先ほどまでそこにいたギャレットの姿は見当たらなくなり、ミーガンのトランクだけがそこに残されていた。
「お部屋までお持ちいたします」
ケナードは無駄のない動きで、ミーガンのトランクを持ち上げ、玄関の扉を開けた。
「伯爵様とお兄様は北部に行かれているの?」
前を歩く背中に向かって問いかける。
「そうですが……もう王都までその話が行き着いているのですか?」
平静であることが常のケナードの声がわずかに上擦っているように思われた。
ケナードはもともと孤児だったと聞いた。
昔、北部の戦線で一人、瓦礫の中に残されていたところを、伯爵が連れて帰ってきたのだ。過去のことはさっぱり忘れているらしく、過去のことを聞いても何も答えない代わりに、読み書きは人並み以上にでき、頭の回転も早かったため、伯爵家の使用人として働き出してから、すぐに頭角を表し、ミーガンが物心ついた時にはもう彼は執事だった。それ以上の詳しい事情は知らない。
だから、昔は執事には若い男性がなるものだと思っていたくらい。
学園に入学してから、他家を見て、執事は老年者が多いことを知った。十六歳という若さで執事になったケナード・ラブクラフトは他の人とは違うのだと、改めて彼のことを知ったのである。
「学園では噂程度に少し聞いていたくらいで、実際には先ほど、ギャレットから。流石にカンニガム家が関わっていたとは、聞いていなかったわ」
「当主も北方できな臭い事態になっていることは早々に知っておられまして。最初は静観していたんですが、そうにもいかなくなってしまって」
「ギャレットが来たから?」
「それもありますが、それ以上に敵に勢いがあったので」
「……北部の戦線は大分ひどいのでしょうか? ギャレットはかなりの深手を負ったと」
少しの間があった。
「そうですね。ギャレット様もこの屋敷に到着したときには、生死の境を彷徨ってもおかしくないような状態でした」
「じゃあ、今はかなり回復したのね。よかった」
「そうですね」
第三者が聞けば、屋敷の執事が、ただ過不足のない回答をしただけという認識で終わるかもしれないが、幼いころからケナードのことを知っているだけあって、ミーガンはどこか彼に違和感を覚える。
「何か、他に……ケナードは気になることがあるのですか?」
ミーガンの言葉に立ち止まったケナードは振り返る。
感情がごっそりと抜け落ちてしまったかのような空っぽの瞳。幼い頃はその瞳が怖いと思ったものだ。しかしそれも過去の話。桃色の長い前髪に隠れる時、時々とても優しい表情を見せるのを知っている。
よくよく見ると、眉目秀麗なその顔は年月が流れても不思議と変わらない。ケナードには年齢という概念があるのだろうかとミーガンは密かに思っている。
「いえ」
ケナードは何か言いたげに口を開いて見せたのだが、すぐに否定の言葉だけ告げて、何事もなかったかのように歩みを再開する。
「ねえ、それじゃあ、わからないわ。それに今、貴方、何かを言いかけたでしょう?」
「いえ」
「そんなことないわ。絶対に何かを言いかけた。そうに決まっているのに」
小走りになってケナードの服の裾をかろうじて掴む。こちらを見ないのだが、大きなため息をつく息遣いだけ聞こえた。
「見えることが全てではないと私は思うのです」
「それは一体、どういう意味なの?」
「知らない方がいいこともあるということです」
ケナードは謎かけのように言葉を残すだけでそれ以上のことは何も言ってくれない。
彼の仕事ぶりは文句のつけどころもないほどで、伯爵家のほとんどの業務を請け負っていると言っても過言ではないほどだと。明瞭な物言いに他の使用人たちからの覚えもいいのだが、ミーガンに対して何もかもはっきりとは口にしてくれない。彼は昔からそうなのだ。
「一息つかれましたら、リベカ様のところに」
「お祖母様の?」
「はい。帰られたら、ミーガンお嬢様とお茶をしたいと話されていましたので」
「わかったわ。荷物を置いて着替えたら行くと伝えてちょうだい」
「承知しました」
ケナードはいつもの冷静な声でそう言うと荷物を置いて、部屋を出ていった。
久しぶりの自身の部屋を見回すが、学園に向かったあの日と何一つ変わっていない。
「ふう」
小さくため息を吐いて、ベッドに腰を下ろす。ようやく、体の力が抜けて長旅の疲れが出た気がしてそのまま、ベッドに体を預け、大きく伸びをする。
部屋の中は埃や塵は一切ないため、常に誰かが掃除をしてくれていたのだろう。季節ごとに清潔にされているベッドのリネンからも柔らかな匂いがした。しかしながら、この部屋を一歩外に出れば、生家とはいえ、いやむしろ生家だからこそかもしれない。ミーガン・カンニガムとしての最大限の行動と言動を求められる。
貴族という生き物はそういうものなのだ。
わかっている。
わかっているけれど、時々ミーガン自身がその重みに潰されそうになる。
「よっ……と」
そのまま、目を閉じそうになるのを堪えて、ベッドから立ち上がる。
――いつか、自由に生きられるといいわね。
もういつだったのか、はっきりとは覚えていない。だけど、ミーガン自身が言った言葉だと今でも記憶している。




