帰省
カンニガム伯爵家の令嬢である、ミーガン・カンニガムは汽車に乗り、二年ぶりに王都の学園から伯爵家の本宅へ帰ってきた。
荷物は祖母から入学祝いとしてもらった、革張りのトランク一つだけで、多くはない。
「この家は変わらないわね」
門を入ってすぐに続く、ポプラ並木。その真ん中にカナールがまっすぐに伸びる。
初夏の頃には白い綿毛でいっぱいになるのだ。雪が解けたばかりの今は、その季節には程遠く、ようやく小さな芽吹きがところどころに見られるようになったところだった。肌寒く感じるのは、季節のためか、伯爵家に帰ってきたためか。
カンニガム伯爵家。
爵位はそれほど高くないものの、国の中ではその名を知らない人はないほどの名門の家柄でもある。
学園にいるときよりも、屋敷にいる時の方が、やけにその名前を感じるのは気のせいだろうか。
ミーガンという一人の女の子。ではなく、カンニガム家の人物という見えない鎖に縛られ、まとわりついて離れない影のように。その鎖から解き放たれたいと思っていたときもあった。もう遠い昔の話だけれど。
「ミーガン」
振り返ると、久しぶりに見る顔。
「ギャレット?」
ギャレット・ジブソン。
ミーガンより五歳年上の彼は父方の親戚筋で、北方の辺境の地に領地を構えている。そのような片田舎に、住んでいるにも関わらず、ギャレット・ジブソンの名前はミーガンの学園寄宿舎の一部の女子生徒の間で知られている。それはひとえに彼の見目の良さからであろう。
「君が今日、帰ってくると聞いて待っていたんだ」
スラリとした長身の優しいマスクでそう言われると、一般的な女性であればうっとりとするのかもしれないが、ミーガンは幼い頃から彼を知っているため、ある意味、見慣れていたこともあって、そんな風には思わず、むしろ、ギャレットが自分を待っていると言ったことが、逆に不思議でならなかった。何一つ変わらないと思っていたが、そうではなかったと、感じ始めたのはこの時だった。
「まあ、ありがとう。どうしてこちらに? ギャレットこそいらっしゃっているなら教えてくださればよかったのに」
ギャレットは形の良い眉をわずかに歪め、悲しそうな表情を見せるので、ミーガンは何か言葉を間違えてしまったのだろうかと思う。
学園でもにわかに他の女子生徒からギャレットのことについて聞かれるのだが、ミーガンはほとんど答えることができずにいた。何も知らないのだ。逐一手紙でやりとりをしている訳でもないし。それでも一時期、ミーガンの婚約者候補として名前が上がったのだが、あくまでも候補でそれ以上の域を出ていない。
前回ギャレットと顔を合わせたのは、三年ほど前だっただろうかと記憶をひっくり返してみる。
「そうだね、君には連絡しておいた方がよかったかな」
ギャレットはそう言って綺麗な笑みを見せながら、カラカラと立てた笑い声は、まるで自分のことを自虐的に笑い飛ばしているようにも見えた。
「伯爵に用事があっていらしたの?」
ギャレットが北部の領地から出ることはあまり多くない。
何も答えないまま、二人、屋敷までカナールの両脇に伸びた、石畳の道を並んで歩き出す。
「ねえ、本当に何かあったの?」
どこか居心地の悪さを感じているような、ギャレットに違和感を覚えたミーガンは彼の横顔に真っ直ぐな緑色の瞳を向けた。
ミーガンは柔らかな茶色の髪を、編み込みのシニヨンにし、裏地にチェックが仕込まれた、ワンピースを着ていた。目立って美人でも人より秀でた何かがある訳でもない。成績も中の上くらい。運動神経も可もなく不可もなく。そんなことはミーガン自身がよくわかっている。ただ、真っ直ぐな瞳は聡明さを讃えており、人を惹きつける何かがあった。
軽い調子ではぐらかそうとしていたのだろうギャレットは、ミーガンと視線を合わせると開きかけていた口をそのままに、決まりが悪そうに目を逸らした。ミーガンはそんな様子のギャレットを見ても驚きも怒りもない。彼は昔からいつもそうなのだ。ミーガンの言葉に対して逃げるような態度を見せる。ギャレットには聞こえないため息を吐いて、前へ向き直る。
屋敷までダンマリかと思っていたのだが、意外にもギャレットは言葉をこぼした。
「隣国が思った以上に早く攻め込んできてね」
「隣国? 戦争が起きているの?」
この時ばかりはギャレットも神妙に頷く。
「ジブソン家は最前線に立たされている。僕はカンニガム伯爵に助けを求めるべく一人でここに。ただ、途中で足をやられてね。療養と称した好意に甘えて滞在させてもらっている」
言われてみて、背の高いギャレットがミーガンの歩調とほとんど変わらない。わずかに左足を引きずるような所作があったことに今更ながらに気がついた。
「ごめんなさい。私ったら」
持ってもらっていた、自身のトランクに手を伸ばす。
「大丈夫これくらい。これでもかなり良くなったんだ。むしろ動かしていかないと、体が鈍ってしまうから」
「そう」
ギャレットは、ミーガンがいるのとは反対側の手にトランクをわざわざ持ち直すのだから、ミーガンもそれ以上は強く言えなかった。
「向こうでは、伯爵とリッチが兵を引き連れて向かってくれている」
「リッチお兄様が?」
ミーガンの兄で、リッチはカンニガム家では二番目の兄になる。腕っぷしは誰にも負け知らず。リッチが戦場に赴いたのだとしたならば、安心できるだろう。
北方がきな臭いという噂はにわかに聞いていたが、すでに戦が起こっているとは思わなかった。国は正式に、声明を出していないし、ましてやカンニガム家が関わっているなどとは、初耳だった。
「ねえ、ミーガン」
「ん?」
物思いに耽っていたミーガンは、彼の一言で現実に引き戻された。気づけば、伯爵家の屋敷を目の前にしており、反射的に名前を呼んだ、ギャレットの方を向く。彼はいつも見るような軽薄な表情ではなく、見たこともないような真剣さと、何かに差し迫られたような、そんな緊迫した表情を見せた。今度はミーガンの方が目を逸らしたいのに逸せない。ギャレットが次に吐く言葉はきっと、ミーガンを縛り付けるだろうと、不思議な予兆がしていた。
「ミーガンお嬢様」
心地よいテノールの響きに誘われるように顔を向ける。
黒いお仕着せを着た男が無表情に玄関の扉の前に立っていた。
「ケナード」
ケナード・ラブクラフト。
カンニガム家に仕える執事である。
桃色のさらりとした髪の毛を風になびかせているのに、彼の表情には温度が一切感じられない見た目のギャップに、違和感はあるのだが、彼がいるとどこかほっとする自分がいた。




