書庫
「ひどいわね」
屋敷の西側にある古めかしい尖塔に入ってからの、ミーガンの第一声がそれだった。
昔は屋敷の中に書庫があったらしいが、何代か前の当主が、古書蒐集に情熱を注ぎ、本が収まり切らなくなってしまったので、尖塔を建設し書庫を移動したそうだ。しかし、その当主が亡くなってから、あまりにも膨大な書物が収められた書庫の管理が行き届かなくなり、放置され、現在では最低限の清掃しかされていない状況であった。
ミーガンも小さい時から、使用人たちが総出で尖塔の掃除に行くときなど、尖塔の扉が開いた先を興味津々に、覗いてみたことがあった。建物の中がかなり複雑で、小さい頃は一人で入ることを禁じられていたこともあり、どんな場所なのか強い興味があった。
記憶しているのは、とにかく床も壁もどこもかしこも本に埋め尽くされ、その景色に圧倒されたこと。そんな印象を持っていた。
改めて今、尖塔の中に入って、最初に襲ってきたのは、ひどい埃だった。最近は掃除も換気も、長い間されていないのだろう。そう思われるほどの埃が一面を覆い尽くしている。
ミーガンの本当の両親――前伯爵が健在だった頃は、この尖塔にもわずかだが予算が組まれていたのに。今の伯爵になってから、そもそもの使用人の人数自体が減らされた。執事であるケナードがメイドのような仕事を時々やらされていることからも人がいないのは明白だ。伯爵に対して、それを面と向かって文句を言わないが、他の貴族、例えばカリナ
の屋敷ではありえない光景であるのを知っていた。
ともかく今はと、ミーガンは気持ちを切り替え、本の海に足を進める。
実はあたりはつけていた。
幼い頃、ミーガンに学問を教えてくれていた家庭教師はこの尖塔にある本の中から、ミーガンの教材を選んでくれていた。家庭教師が一人で尖塔に教材で使う本を選びに行く度に、
『一階はもう圧倒的な本の量に参ってしまうんですがね、階段を上がって二階以降はきちんと棚に整然と本が並べられているんですよ』
かつての家庭教師の言葉を頼りに、本に埋め尽くされている空間の中から、時間は多少かかったものの、二階へと続く階段を見つけ、二階へ向かう。
階段を上り切ると、一階の景色とは打って代わり、今でもその本が好きだったと言う何代か前の伯爵がひょっこりと姿を現しそうなほど、ここだけは空気感も何もかも当時のままに残されている。ミーガンがタイムスリップでもしたかのような気になったくらい。
「すごい」
カンニガム家に生まれた時から住んでいるミーガンでさえ、初めて入る空間だ。正確にいえば、知ってはいたけれど、ここまで来たことがなかった。
部屋は円形、真ん中は壁となっておりその中に一階から続く螺旋階段がある。ドーナツ型の空間に、本棚が綺麗に立ち並ぶ。
ミーガンは好奇心も手伝って、まずくるりと一回りしてみた。博物館に置くレベルのものではないかと思われるほどの貴重な資料から、尖塔を建設した伯爵が生きていた当時、おそらく民衆向けに発行されたのではないかと思われる雑誌など、ありとあらゆる書物が所狭しと並んでいる。
国立図書館も顔負けの圧巻の品揃えに気圧されながらも、ミーガンはここに来た本分を思い出し、影華の君に関わる資料がないかと目を皿のようにして探してみる。
ちょうど、もう一回りしたところで、本の背表紙を見て気がついた。本棚には、無造作に書物が置かれているのではなく、きちんと書籍の内容ごとに寄せ集めて置かれていると言うこと。だから、影華の君――カンニガム家の歴史などについての本も一つの区画にまとめられているのではないか。
その棚がどこにあるのだろうかと二周、三周と回ってみるのだが、どうも見当たらない。
歴史の部分に一緒くたになっているのかと、思ったが、そうでもないらしい。
途方に暮れ、一度戻ってケナードに相談してから出直して来た方がいいだろうかと何気なく中央の筒状になっている石積みの壁に手をやったところ、壁が凹んでびっくりして飛び上がる。
機械的な音がして、思わずキョロキョロと周囲を見回す。凹んだ壁の隣が隠し扉になっていたようで、壁が手前に飛び出し、その向こう側が小さな小部屋になっている。そこも本棚が埋め尽くされている。導かれるように部屋の中に入り、並べられた本の背表紙に目をやると、ほとんどがカンニガム家について書かれているものだった。
その中の一つの本を手に取ってみる。
かなり古めかしい言い回しで書かれているので、だいぶ古いもののようだ。
――カンニガム家の歴史
初代当主は、その武力でこの国に大きく貢献し、貴族の称号を賜った。本来であれば、その働きは公爵の地位に匹敵するほどのものだったが、初代カンニガムはそれを断った。
なぜなら、ここから国に必要とされるのは、頭脳である。自分は頭脳の方はからきし。だから、その地位を受けるのは、別の者の方がいい。自分は剣を持ちながら、国境付近を警戒するために必要な爵位で十分だと言い放ったそうだ。そこで受けたのが伯爵位。
その代わり、膨大な広さのある領地を賜った。
カンニガム伯爵がさすがに一人でその領地を管理することは難しく、手に余ったため、領地をいくつかに分割しそれぞれに分割した土地を管理するための領主を据えた。
管理するための領主が、ジブソン家の先祖なのだろうと言うことは、すぐに察しがついた。
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――カンニガム家には時折、初代当主にそっくりな容姿をした者が生まれることがある。その者が次男坊や傍系の者であっても、その者を初代様にちなんで、当主にする場合がほとんどである。
なぜなら、やはりカンニガム家の基礎を作ったのは初代当主であるし、初代当主に近い容貌をした者の方が王都での交渉ごとにも有利に働くと言われている。初代当主の容貌と言うのは…………
初代当主の容姿の特徴で描かれていたのは、ミーガンの亡くなった父親――前当主に似たものだった。しかし、カンニガム家にそんなしきたりが過去にあったのは初耳だ。父や祖父はこのことを知っていたのだろうかと、小さな疑問が湧く。
ミーガンはその下あたりに、メモ書きのように小さい文字で書かれている内容に目を走らせた。
――しかしながら、この部分については時代の変容と共に変化しつつある。昔は前記述の通りだったが、それは必ずしも初代伯爵と同じ容貌をした者は能力が総じて高いと判断されていたようだったが、それは絶対的なものではないらしい。例えば、六代目伯爵は初代に瓜二つだったため、将来を嘱望されていたが、爵位を継ぐと酷く散財し、経営が一時期傾いた。そんなことが時折重なったため、カンニガム家の跡取りは出生順でも見た目でもなく、現在は純粋にその者の力によって判断されることになったのではないか。それでも、能力が同じくらいだった場合は、容貌が加味されるだろう。
誰がいつ、このメモを書き込んだのかは、わからない。しかし、ここに書かれているように伯爵を名乗ることができるようになるには、それなりの能力に関する実績証明が必要だとは聞いている。
現在の伯爵がリベカの口添えで成り立ったのも、ひとえに彼の功績にある。
ミーガンは次のページに進もうとしたのだが、ガタン。と、大きな音がして、心臓が跳ね上がった。
ここには誰もいないはず。
だって、二階に上がってから三周は回った。誰の姿もなかった。
誰かが来たのだろうか。
けれど、こんな本しかないような尖塔に一体なんの用事があって?
ミーガンは悪いことをしているつもりはないし、むしろここに来るだけのちゃんとした理由もあるのだが、なんだか不安になって、反射的に隠し扉を閉め、階段の入り口がギリギリ見えるくらいの位置にある本棚の後ろに隠れた。そこはちょうど、国の歴史などの本が所狭しと密集して並んでいたので、そのまま持ってきてしまった、カンニガム家の本をカモフラージュする意味も込めて何冊か手に取った。
階段から響く音に耳を澄ませ、時折目をやっては警戒を怠らないようにするのだが、今のところ誰かがやってくる気配はない。
ミーガンの聞き間違いだったのだろうかと思ったところで、階段を上る足音が聞こえ、一気に緊張感が高まる。
現れたのはエイブリルだった。まさか、彼女がここに来るとは思いもよらなかったので、驚きのあまり、声が出そうになるのを必死に堪える。
なぜエイブリルはここに来たのだろう。
掃除用具などは持っていない。掃除をしに来た訳ではなさそうだ。ただ、エイブリルに関して言えば、前伯爵の時代から仕えてくれているので、尖塔の存在、中の構造を知っていてもおかしくない。
隠れて正解だった。
屋敷の中でも彼女に会うのは億劫なのに、ここで見つかると厄介な事態になることは目に見えていたから。
エイブリルはミーガンが居るのとは反対側に向かうので、ほっと胸を撫で下ろす。彼女の姿が見えなくなったところで、抱えた本をしっかりと抱いて、階段に走り出す。足音を消しながら、それでもなるべく急いで、一階に降りて、尖塔の外に出たところで安心してしまった。
「お嬢様」
後ろから声をかけられる。
その人物が誰かはわかっていた。振り向くのが怖い。だけど、振り向かない訳にはいかない。
「何かしら」
なるべくいつもと変わらない口調と表情で平静を装う。
「こんなところで何をなさっていたのです?」
エイブリルは今まで見たこともないほど厳しい表情をしている。
「急いでこちらの屋敷に戻って来た者だから、学園の課題でまだ終わっていないものがあって、資料を取りにきたの。それよりエイブリルはどうしてここに?」
エイブリルはギロっとミーガンの手元に抱えられた本に目をやり、心なしか表情が和らいだようにも思われた。
「なんで私がここに来たのか、その理由が必要ですか? 私は貴女様方の使用人です。使用人が来る理由なんて限られていますでしょう? 掃除ですよ、掃除。お嬢様は優雅に本を選んでいらっしゃればいいだけでしょうけれど」
本当に掃除なのか。
掃除用具なんてどこにも持っていないではないかという言葉は飲み込んだ。
「そうよろしくね」
ミーガンはそう言って足早に屋敷に戻る。
エイブリルから距離を取り、ようやく息が吐けるような気がした。それと同時に、どうして彼女があの場所に居たのか、その本当の理由がわからなかった。しかし、今はそれを考えるよりも、背中に絡みつく視線から逃げて部屋に帰ることだけを考えていた。




