昔話
「影華の君? 何ですの、それは?」
ミーガンの発した、聞き慣れない言葉に興味津々、前のめりになるカリナに微笑みながら、チラリとランスを見ると、涼しい顔をしていた。もしかしたら、彼はカンニガム家の古い歴史に関しても精通しているのだろうか。しかし、そうであっても特に不思議ではないのかとも思う。伯爵家としても特に秘匿していたことではない。他家から請われれば、情報を開示し、資料が見たいと言われれば、見せただろう。ただ前回、影華の君がカンニガム家に姿を現したのが、数百年前のことであるため、人々の記憶から完全に忘れ去られているだろうと、ミーガンが勝手に思っていただけかもしれない。
「簡単に言いますと、カンニガム家の屋敷周辺にしか棲息しないと言われる毒草ですね。とても珍しいものなので、影華の君が現れると良くないことが起こると言われています。古い言い伝えですね」
「そうなの」
「しかし、カリナの父君である侯爵が懸念するような話ではないだろう」
カリナの言葉に続いて、ランスがそう言った。ミーガンは顔を俯かせる。
「そうですね。ただ……つい先日、その植物を伯爵家で確認したのです」
「「え」」
二人は声を揃えて、目を見開いた。さすがのランスも、そのことは知らなかったらしい。
「私も、正直眉唾ものの話だと思っていたので、実際に見て、今でも信じられない状況です……けれど、うちの研究所の職員たちも認めているので間違いないかと」
「確かにカンニガム家の植物学についての見識は信頼できます。ですから、その知識の結晶とも呼べる方々がそう言ったのならば、間違いない話なのでしょう」
ランスは、はっきりと述べる。
「私もこの目で確認しました。屋敷の庭は幼い頃から、出歩いていましたが、今まで見たこともない植物でしたので」
「影華の君は夜になると芳しい香りを放つと。確か何かの文献で読んだことがありますが、本当なのですか?」
さすがランスだと感心するしかない。
「そのようです。しかし、先ほども申し上げたように、毒草ですので危険と判断し、植物の周囲をバリケードで囲ったので、その香りはわからないんですよね」
ミーガンは困ったように笑顔を作り、言葉を続ける。
「それに侯爵様が、あまり気にされるような話題ではないかもしれませんね。ですが、私が知りうる限りでは、それ以外の何かというのは思い浮かばないので」
ミーガンはそこまで話すと、カラカラになった喉を潤すように紅茶を口に含む。
「でも、カンニガム家で何か伝承の通りになったことは起きたのですか?」
心配そうに聞く、カリナに言葉が詰まった。
「それはあくまでも云われですから――こう言った類の話は大なり小なり、他の家門でもあるかなと思いますし」
当たり障りのないように、会話を切り替える。
「確かに我が家にもあるにはあります。こちらの庭園には、満月の夜。白いドレスを着たご婦人が現れるとか」
カリナはそう言って、目の前に広がる美しい庭を示した。一生懸命におどろおどろしそうな声を出すのだが、元々可愛らしい人なので、くすりと、笑顔が漏れる。
「カリナはそのご婦人に出会ったことは?」
「ありませんわ。もしいらっしゃったとしたなら、多分その話は国中に広まっていると思いますもの」
「そうね」
本当にその通りだと思った。カリナの父である侯爵は娘のためなら軍をも動かそうとするだろうし、目の前のランスも黙っていないだろう。カリナはきっとその白いドレスのご婦人の話を、空想の絵空事だと思っているのが、その話ぶりからもよくわかった。ミーガンだって当初は影華の君の存在をそう思っていた。だから、現実に現れるなんて。誰がそれを想像できただろうか。そして、本当に災いが――屋敷で死人が出た。忘れかけていた現実に、引き戻されると墨が滲むように、気持ちが滅入る。
「北部の戦線のあたりで、昔」
ぽつりと言葉を紡ぐ、ランスに視線が集まる。
「アレンワーズ様は侯爵様に対しての疑問のことで何か手掛かりを持ち合わせていらっしゃるのですか?」
ミーガンの問いにランスはこくりと頷く。
「ただ、私も人づてに聞いただけの話で確証があるわけではないのです。ですから、ちょっとした噂話。ここだけの話として、留めていただきたいのですけれど」
「もちろんよ、安心して。私もミーガンも、口は固いのだから」
カリナは息巻いて頷く。ランスはふっと珍しく笑顔を見せた後に、表情を重くした。
「現国王には妹君がいたのを知っていますか?」
「ええ、もちろん。授業で習ったわ。でも、若い頃にご病気をされて、今は鬼籍に入られていると」
「私も、カリナと同じ認識です」
ミーガンも頷く。
「表向きには、そうされているのだが……本当のところは、身分違いの恋に落ち、全てを捨てて、王家を去ったのだそうだ」
「本当ですか?」
ミーガンは目を見開いて、思わず声が出た。すぐに、それが不敬な言い方だったと気がつき、謝ろうとしたのだが、
「いやいや、硬くならずに、気にしないでくれ。二人の茶会に割り込んだのは、私の方なのだから――話を戻すが、はっきりと公にはされていないが、どうもそうらしいという話だ」
「妹君――殿下の所在は、見つかったのですか?」
カリナの言葉にランスは首を振る。
「王家の方でも四方八方と探したそうだが、見つけることはできなかった。しかし、今でも秘密裏に姫君の行方を探しているそうだ」
「そうすると、侯爵様は行方不明になってしまった、姫君の行方を北の戦地に向かう度に探していらっしゃるのでしょうか?」
「そうかもしれない。ただ、私自身もその話がどこまで本当なのかわからない。それ以上のことはなんとも」
「お父様にはっきりとそう聞いても、王家が関わっているのなら、話をはぐらかされてしまうような気もしますし――けれど、その話を聞いて、なんとなくモヤモヤとしたものが解消された気もしますわ」
晴れ晴れとした表情を見せるカリナに対して、ランスは目を細める。
「半分は嘘だと思って聞いて欲しいのだが」
「もちろんわかっているわ。でも、そうだとしたなら悲しい話ね。大切な人といるために、別の大切な人との縁を断ち切らなければならないなんて」
何気なく言ったカリナの言葉が妙に響いた。
「失礼致します」
不意に扉から入ってきたのは、カリナ付の侍女だった。彼女はカリナを見て、それからミーガンに視線を向けた。
「カンニガム家の執事の方がお見えになっておりまして」
「ケナード?」
ミーガンは思わず立ち上がり、ハッとしてカリナとランスを交互に見た。
「構いませんよ」
「大丈夫ですから。ねえ、こちらにお呼びして」
ランスとカリナが口々に言うと、侍女は扉の向こうに声をかける。
「申し訳ございません。こちらにいらっしゃると伺いましたので」
入ってきたのは、ケナード・ラブクラフト。
いつも着ているお仕着せではなく、外出着だからか。ケナードだけどケナードじゃない人に見える。身内の贔屓目かもしれないが、ケナードのその容姿は席に座るランスにも引けを取らないものだと思ってしまった。
「一体、どうしたの?」
「今すぐ、屋敷に戻っていただきたく」
ケナードはあくまでも冷静な表情と声色をしていたが、その言い方は明らかに伯爵家で何かあったのだと、思わせるのに十分だった。
「……わかったわ」
その理由を聞きたい気持ちはあったけれど、今ここでそれを聞くべきではないことはわかる。だから、そう言って立ち上がり、カリナの方を向く。
「ごめんなさい。せっかく誘ってくださったのに」
「気にしないで。お家の大変なことが続く時ってあるみたい。お父様とお母様からそんな話を聞いたことがあるもの。それに執事さんが直々にいらっしゃるなんて……こちらのことは気にしないで。でも、ミーガン」
カリナはミーガンの腕を掴むと自分の方に引き寄せ、耳元で囁く。
「執事さん、素敵な方ですね」
「え」
不覚にもミーガンはどきりとして、保っていた表情が崩れる。その言葉はミーガン以外には聞こえていない様だったので、冷静を取り戻し、感情の乱れを整えるようにゆっくりと息を吐いた。ふっと、ランスの顔が横目に映る。彼は何かを考え込んでいるようだった。触らぬ神に祟りなし。
ミーガンは二人に丁寧に挨拶をした。
「戻ってきたときには、お茶会の続きをしましょう」
「ええ、もちろん」
カリナと約束を交わし、廊下へ出ると、後ろでパタリと扉を閉める音が聞こえた。




