疑惑
ひとしきり泣いて、涙がおさまったころ、ノックの音にミーガンは上半身を起こす。
「誰?」
「私です。今、よろしいでしょうか」
ケナードの声に反射的に立ち上がり、扉を開けた。
「どうぞ」
「お嬢様、夜分にすみません……」
ケナードはミーガンの表情を見て大きく目を見開き、
「何かあったのですか?」
険しい表情を見せた。
「何もないわ。大丈夫」
「ですが……」
「本当に大丈夫。ちょっと泣いてスッキリしただけだから」
その言葉の通り、ミーガンの気持ちは思いのほか、クリアになっていた。
「何かあったのでしたら」
珍しく、ケナードが切羽詰まったような声を出すので、その言葉に応じてみたかったが、正直なところ、自分でもどうしてあんなに泣いてしまったのか、よくわかっていない。つかみどころのないその気持ちをどう言葉で表現したらいいのかわからない。
「大丈夫。それより貴方はどうしてここに?」
ミーガンが話を切り替え、ケナードはいつもの調子に戻る。
「ミゲル様の容体ですが、回復傾向に向かっているので、明日からは部屋に入られても大丈夫だそうです」
「よかった。意識は?」
ケナードは首を横に振った。
「まだ眠っていらっしゃいます。明日には目を覚ますのではと医者は言っていましたが、もしかしたら、まだ数日は眠ったままかもしれないとも」
「でもミゲルがなんとか持ち直してくれてよかった」
その言葉は本心で、張り詰めていた糸が少しだけ緩んだような気がした。そう思うとどっと眠気が押し寄せてくる。
「食事は摂られましたか?」
「そういえば、食べてなかったわ」
思い出したかのようにミーガンは答える。食欲がなかったこともあり、食事を忘れていた。
「何か、スープのようなものでもお持ちいたしますか?」
「いいえ」
「食べていらっしゃらないのなら、何か食べませんと」
ケナードはいつもの冷静な声なのだが、その声が妙に耳についた。しかし、ミーガンはその声から逃れるようにして、
「ともかく眠たいから寝るわ」
頭に被ったままの、黒いヴェールを外した。
「承知しました」
「それから、明後日には学園に戻るわ。葬儀も終わったのだし」
「明後日ですか?」
「ええ。だって葬儀は終わって、ミゲルの容体も回復に向かっている。そうすると、私がここに留まる理由がこれ以上ありませんから」
「ですが、ここはお嬢様の生家で」
「貴方の言う通りなんだけどね」
ミーガンは大きなため息をついた。
「犯人を見つけると、そう仰っていたじゃないですか」
ケナードの問いかけに二の句が告げられなくなった。確かにそう言ったのはミーガン自身である。
「それはそうなのだけど……今ももちろん、そう思っているわ。ただ、色々ありすぎて頭の中が混乱しているの。少し、一人になって考えたいのよ」
ケナードはそれ以上、何も聞かずに部屋を出て行った。
着替えて、ベッドに入ろうとしたのだが、なんだか疲れてしまって、寝る前に温かいココアが飲みたいと思ってしまった。呼べば誰かは来るだろう。しかし、少しだけ歩きたい気持ちもあったので、自分でキッチンに向かうことにした。
ガウンを羽織り、部屋を出る。
廊下はしんと静まり返っていた。まっすぐに歩き、階段を下りて一階のキッチンに向かう。葬儀の後片付けなどがまだあるのだろう。キッチンは煌々と明るく、せわしなく動く使用人たちの息遣いすら伝わってきそうだった。
なんだか、ミーガンは人の気配に安心しながら、声をかけようとしたのだが、中から聞こえた声に体を固くした。
「ユーラ様もね。見た目はいい人なんだけど、結構やることはやってる人だったからねぇ」
「そうそう。ケナード様にも色目を使ったって話じゃない」
「私、見たわよ。たまたま、伯爵様が外出されているときに、執務室で」
「え、その話聞いていないわ」
「ユーラ様が、『故郷があのようなことになって時々辛くなるのです』とか、言いながら、ケナード様のところに」
「まあ。それでケナード様は?」
「『仕事がありますので』とだけ言って、跳ね除けていたわ」
「流石ケナード様ね。そういえば、リディア様もギャレット様にベッタリだと思わせながらも、やっぱりケナード様にもたれかかろうとしていたわ。もちろん、剣もほろろに断られていたけれど」
「あの方、本当に誰にも靡かないわね」
「まあ、それがケナード様のいいところなんじゃない」
「そうね。少しだけ陰りのある表情を見せるところなんかがちょっとそそられるわよね」
「そうそう。あの方、自分のことは何一つ話そうとされないから」
「ケナード様のこと、私もあまり存じ上げないわ。まあ、聞いたこともないのだけれど」
「昔、北部の戦線で前伯爵様に助けられたって話」
「ケナード様も北部の戦線でご両親を亡くされて?」
「それがそうでもないようなの」
「え? 何それ?」
「詳しくは知らないわ。かなり昔、まだ前伯爵様がご存命だった頃に、ケナード様のお父様について話されていて」
「それで?」
「私が郵便を持って部屋に入ると、ぴたりとやめられてしまって。その時は、なんだか不思議な雰囲気だったのよね。前伯爵様って、かなりお優しい印象の方だったでしょう? でもその時ばかりはピリッとした様子で。私、執務室に入ったのが間違いだったのかしらと思うくらいのね」
「ケナード様のご両親はどうしていらっしゃるのかしら?」
「さあ、そこまでは聞けなかったから」
「そうすると、ユーラ様とリディア様とも顔見知りだった可能性があるってこと? 少なくともご両親を知っているとか?」
「あんた、賢いね。言われてみればそうかも」
「ケナード様が伯爵家に来たのは、かなり幼い頃だったと聞くし、ケナード様とリディア様とはまず会えるような年齢ではないだろうね」
「それでも、同郷というわけだ」
「同郷とは聞こえがいいけれど、ギャレット様とケナード様は仲があまり良いとは言い難いように見えたけど」
「そうねえ。でも、私はケナード様がジブソン領の出身の人とは思えなくてね。だから、ご両親もおそらくジブソン領の人ではないと思うのよ」
「どうして? 何か理由があるの?」
「私が言ったって、誰にも言わないと約束できる?」
「そりゃあもちろんよ。私は口が堅いって有名じゃない?」
「あんたの有名は信用ならないけど……まあ、ちょっとした推測だから、そのくらいの気持ちで聞いてほしんだけど。私、この屋敷に来る前は王都のとある貴族の屋敷で奉公していたの。その奥様がかなりのおしゃれ好きな人で、ドレスだけではなく、その日の気分で髪型を変えるくらいの感覚で、ウィッグをする人だったのね。もちろん色取り取りの色の髪の毛に、髪型のウィッグが一通り揃っていて、でも桃色だけないのよ」
「なぜ? その奥様があまり好きではない色だったとか?」
「そうではなくって事情は複雑みたいで、桃色はタブーだと……」
使用人の一人がそこまで言ったところで、料理長から怒声が飛んできて、噂話の会はお開きとなり、使用人たちはそれぞれ仕事に戻って行ったようだった。
ミーガンは足をガクガクさせながら必死に自室へ戻った。
ベッドに辿りつくと、ともかく掛け布団をかぶってまるくなり、先ほどの使用人の話を思い出しながら、信じていたケナードの像がはらはらと崩れていく感覚を覚えた。




