絶対安静
ミーガンは知らず知らずのうちに大きなため息をついていた。
「大丈夫ですか?」
頭上からケナードの心配そうな声が届き、ミーガンは少しばかりほっとしてしまう。
「ええ。それより話しを戻すけれどミゲルはどうしてこんなことに?」
「それは、私から話そう」
ランディは神妙な表情でミーガンを見た。
「お兄様?」
「葬儀に参加しないことを僕らは決めたんだけれど、ミゲルから黙祷の意味で一緒にワインを飲まないかと誘われたんだ」
アルコールは基本的に成人を迎えなければ、飲むことはできないと法律で決まっているが、例外があり、宗教的な儀式や、冠婚葬祭の際には除外される。特に葬儀の際は、アルコールを飲み交わすことが、死者に対しての最大の、敬意であるとされるからだ。ランディは話しを続ける。
「そう言われたら、ミゲルからの誘いだし。断れないだろう? アレシアの意見もあるが、屋敷内で死者が出たことは確かだ。何らかの形で弔いの意思を示さなければならないと思っていたんだ」
「それで二人でお酒を?」
「うん。しかも、ミゲルがお酒を用意してくれていて」
「ミゲルが?」
ミーガンは思わず声を上げた。
「これから成人を迎えれば、誰かをもてなさなければならない場面も多くなるだろう。その時の練習だと思って、用意しているから、その心づもりで何か不手際があれば意見が欲しいと言ってね」
ミーガンは頷きながら、ランディに話の続きを促した。ミゲルからランディをそういった席に誘ったというのは実は少々意外だった。ミーガンを含めた四人の兄弟は、血の繋がりはあるものの、はっきりと言って仲が良いとは言えない。特にランディとミゲルの間柄は顕著であった。別に喧嘩が絶えないとか意見の相違がある訳ではない。顔を合わせれば、挨拶はするし、いがみ合う様子はない。ただ、二人の関係には、超えられない亀裂のようなものが存在していた。
亀裂がある理由として、単純に長兄と三男の間には十二の年齢差があるからかもしれない。ただ、ミーガンの記憶では、幼い頃はそんなことはなかったと思うのだ。むしろミゲルは兄の後ろをついて回るような弟だった。兄の後ろから姿を消したのはいつからだろう。両親が亡くなって、少し経った頃かもしれない。両親の早すぎる死は、ミーガンたちに大きな爪痕を残した。
「ミゲル様が用意されたワインは、まだ開封されていないものだったのですか?」
ケナードの問いかけに、ミーガンは現実に引き戻される。
「いや、ワインはデキャンタで用意されていたものだった」
「デキャンタを用意したのは?」
「わからない。そこまで詳しいことは……使用人の誰かなら知っているかも」
ランディはケナードの方に視線を泳がせた。
「私の方で、確認してみます」
「じゃあ、ある意味」
ミーガンの声に、ランディは頷く。
「今、考えると、誰でもそのワインに毒を入れることはできたと思う。そして、私自身も命を落とす可能性があった」
「お兄様の体調は大丈夫なのですか? 何か変わりは?」
「私は大丈夫。実は、ミゲルの方が先に飲んで、私も口をつけたんだが、ミゲルの体調が急変したのを見て、すぐに中身を吐いた」
ランディの言葉にほっとするものの、その毒牙にかかっていたかもしれない事実に気がおかしくなりそうだ。一体、カンニガム家で何が起こっているというのだろうか。
「それは、新しい伯爵夫人を殺害した言い訳ですか?」
不意に発せられた声に三人は揃ってそちらを向く。エイブリルだった。
「お前、一体何を」
「いえ、別に。ランディ様が新しい伯爵夫人であるユーラ様を殺害したのかと思って」
「何を言う、使用人のくせに」
珍しくランディは暴言を吐き、わなわなと体を震わせた。
「おお、怖い怖い。言っておきますが、私は貴方様に仕えている訳ではありません。伯爵様に仕える身ですので」
「エイブリル。長年、カンニガム家に仕えてくれているから、よもや細かいことは見逃していたが、次期伯爵になる私を犯人呼ばわりするとは流石に不敬がすぎないか?」
ランディはいつもの口調に戻るも、わずかに左手が怒りに震えているのが見えた。
「本当に本気でそう仰っているのですか? 私はランディ坊ちゃんがまだお小さい頃から見てきましたが、貴方にカンニガム伯爵になる器があると本当に思っているのですか?」
「何を」
ランディはついに真顔になる。驚きのあまりか、声に勢いがなくなっていた。
「だってそうでしょう? もし本当に器があるのだとしたのなら、年齢がいくつだろうが、ご両親が亡くなった時点で貴方様が伯爵の座についていたはずです」
エイブリルは、至って真顔で言葉に迷いがなく、本心からそう思っているのだろう。彼女はいつも、自分の意見を剣のように振りかざす。その言葉がどれだけ相手の心を抉っているかなんてお構いなし。逆に、自分がされた時には人一倍喚き立てるというのに。
「エイブリル。流石に言い過ぎだわ」
ミーガンは毅然とした態度で反論すると、エイブリルはこちらを向いた。一瞬見せた修羅のような形相を見て、ミーガンは後退りしそうになる。
「言い過ぎ? 私はそんなことはないと思いますね。だって、私はずっとこの一ヶ月、屋敷の様子を見てきましたが、アレシア様とユーラ様は顔を合わせる度に口論なさって、どう考えても次期伯爵夫人であるユーラ様の方がお立場は上だというのに、アレシア様は名家のご出身だと毎日のように豪語していらっしゃるけど、あの態度を見るとどうも怪しいと思いますね。本当に名家貴族のご令嬢であるならばそのあたりの作法なんかもきっちりとご存知かと思うのですがね。つまりそれ以上にアレシア様はユーラ様に対して並々ならぬ感情を抱いていたと言うことだと思うのですがねぇ」
相手を最大限に苛立たせるほどタチが悪く、まわりくどい言い方をするのがエイブリル。そんな事は幼い頃からこの家で育ったミーガンはもちろん、兄であるランディだってわかっている。だが、この時ばかりは怒りおさまらない様子で、顔を歪めた。
「エイブリル。世の中には言って良いことと悪いことがある。私の妻をそのような……」
「じゃあ、伺いますけどね、アレシア様がユーラ様に対して、敵対していない。つまりランディ様を含めて、次期伯爵夫人に対して、殺意を抱く状況がまったくない、決定的な証拠があるのならお見せください。それでしたら、私だって今までの全てのことをお詫びいたします」
エイブリルはしずしずとした言葉を紡ぐも明らかにその態度は挑戦的だった。ミーガンは冷静になって、彼女はどうしてここまで強気に言えるのだろうかと思う。
対照的に、ランディは逆に何か言い返す言葉を探しているのだが見当たらないのだろう。怒りに体を僅かに震わせる。そんなランディに追い打ちをかけるようにエイブリルは言葉を続ける。
「ミゲル様に手をかけたのだって、あの方が優秀な弟君であるから、目障りになったのではないですか? ミゲル様がいる限り、自分が伯爵の座に座るのが難しいかもしれないと。それで自分に疑いがかからないように毒を持って手にかけた。そうではありませんか?」
次第に風船が萎むように顔色が悪くなるランディを見ていられなくなって、
「そのような言い方はあまりにも」
ミーガンはそう言葉にするのだが、
「お嬢様だって、犯人の疑いがかけられているのをお忘れなく」
「え?」
まさか自分に矛先が向けられていたとは思わず、声が出た。
「リディア様の存在が目障りだったのではないですか?」
「リディアさんが? 一体どうして?」
「ギャレット様と恋仲だったでしょう? それを横から掻っ攫われて。お可哀想なお嬢様」
エイブリルの言葉に、ミーガンは時が止まるほどの衝撃を覚えた。
恋仲?
全く身に覚えのないことだ。婚約者候補であることは否定しないけれど。
「私はそんなことは一度も。北の戦地――ご領地が大変なことになり、お怪我もされ、ご両親も亡くされ、私にできることがあればとは思っておりました。けれど、それだけでそれ以上のことは何も」
ミーガンは困惑した。ギャレットは数年ぶりにあった親戚で、二人の関係はそれ以上でもそれ以下でもない。むしろ、そんな風にギャレットのことを考えたことはなかったのだ。だから、傍から見て、ミーガンがギャレットに言い寄っていると思われたのなら、逆に不快だとすら思う。
「まあ、なんとでも解釈は取れますわね。でも、それだと逆にギャレット様を裏切ることになってしまうと思いますが」
「裏切る?」
ミーガンの言葉にエイブリルは呆れた表情を見せる。
「私はギャレット様から直接聞きましたよ。ミーガンお嬢様とは親密な仲であると」
「それはないわ。ギャレットはどうしてそんなことを……」
ギャレットにどんな意図があってそう言ったのかがわからず、頭が真っ白になる。
「お二人は正式な婚約も控えていると。私もそう聞きましたが」
仕舞いには後ろに控えていたケナードもそう言い出すので、ミーガンは余計に混乱した。
「伯爵様からそのような話があるということなのでしょうか? 私は何も聞いていないものですから……ですが、伯爵様のご決定であるならば、拒否するつもりはありません」
ミーガンのその言葉に、エイブリルは自分の思う通りにはならないと悟ったのか、表情の忌々しさはそのままに、例の仕事が立て込んでいるから忙しい忙しい、という口癖の言葉を残してそのまま行ってしまった。
「ミーガン」
ランディの言葉に、エイブリルを見送っていた視線を彼に向ける。
「ランディお兄様も私とギャレットの根も葉もない噂をご存知だったのですか?」
「ええ、ああ」
「どこから聞いたのです?」
噛みつきそうな勢いのミーガンに対して、視線を彷徨わせながらも、苦笑いを浮かべるランディの表情はいつもの彼だった。
「噂で聞いたんだ。使用人たちが話していたのをたまたま。彼らは伯爵家に対して従順だが、良くも悪くも噂好きなところがある。ただ、その時は確かリディアとミーガンがギャレットを巡って争っているとか。噂話に尾ひれがついたんだろうな。でもその話を聞いて特に気にも留めなかった。君とリディアでは出自が違うし特に問題ないと思って」
「どの使用人が言っていたのかは覚えていらっしゃいますか?」
「それは……私は小耳に挟んだだけだから」
ランディは本当に覚えていないのだろう。思い出そうと頭を抱えていた。
「私はギャレット様から直接伺いました」
ケナードは静謐な声で応える。
「そう」
ミーガンはギャレットとは一度話す必要があると強く感じた。
かちゃりと音がして、ミゲルの部屋の中から医師が出て来る。
「とりあえず峠は超えました。あとは本人の体力次第でしょう。まあ、お若いので大丈夫かと思いますが。しばらくは絶対安静です」
その言葉に安堵し、崩れ落ちそうなほどの感覚を覚えた。
「そばにいるのは?」
ミーガンの言葉に医師は首を横に振った。
「目を覚ますまでは安静です」
言葉を繰り返して。




