第23話 差し押さえ当日
差し押さえの当日は、空がやけに高かった。
朝の風は冷たいのに、陽射しだけは明るい。そんな日に限って、嫌な客は目立つ。
白銀騎士学校の正門前へ、バルディエン家の紋章をつけた馬車と兵が現れたのは、鐘のない朝としてはずいぶんきっちりした時刻だった。
先頭の馬から降りた男は、整えすぎた髭を撫でながら校舎を見上げる。
バルディエン本人だ。
噂どおり、笑っていないのに笑って見える顔をしていた。
「さて」
彼は手袋を外し、書状を掲げる。
「長く放置されていた不良資産を、ようやく整理できる日が来たわけだ」
その声はよく通った。
わざと校舎だけでなく、町の人間にも聞かせるための声だ。
だが正門の内側には、彼が思っていたのとは違う景色が並んでいた。
東棟前にはカトリーナと診療所の手伝いたちが、負傷者搬送用の台車を整えている。
食堂前ではキンバリーが売店窓を開け、元兵士たちが鍋を運んでいた。
訓練場跡ではズドラフコヴィチが若者へ合図し、補修用の材木を柵のように組み替えさせている。
講習室の窓には、読み書きの授業を受けていた子どもたちまで顔を出していた。
そして中央塔の階段口にはジェシーが立ち、帳簿と封書を抱えたまま一歩も引かない。
アルシャールは校舎の玄関から出る。
上着は質素だが、姿勢だけで十分だった。
「用件は分かっている」
「話が早くて助かる」
バルディエンは書状を差し出した。
「債務不履行に伴う接収手続きだ。建物、周辺地、地下権益を含む」
アルシャールは書状を受け取らない。
代わりに言う。
「異議申立書は昨日提出済みだ」
「受理前だろう」
「控えはある」
後ろからジェシーが一歩前へ出て、書類束を掲げた。
乾いた風が端を鳴らす。
「燃料費の不正流用、修繕費の迂回抜き、寄付金転送、旧支援家系への虚偽報告。全部、日付と印付き」
バルディエンの目がわずかに細くなった。
「面白い」
彼は笑みを崩さない。
「だが書類があることと、今ここを守れることは別問題だ」
合図と同時に、後ろの兵が前へ出ようとした。
その瞬間、材木が地面へ落ちる乾いた音が響く。
ズドラフコヴィチたちが、朝のうちに組んでいた仮設柵を正門の内側へ滑らせたのだ。戦うためではない。馬が一気に踏み込めない角度と幅へ、通路を変えたのである。
同時に食堂側からは湯気の立つ鍋が運ばれ、待機していた住民へ温かい汁が配られ始める。誰も散らない。腹が満ちているほうが人は踏ん張る。
キンバリーが大声で言う。
「食堂利用者は右に寄って! 鍋ひっくり返したら損害請求するから!」
緊張を割るには十分な声だった。
元兵士たちが噴き出し、その笑いが思いのほか効く。兵の側だけが妙に肩に力を入れたままになる。
クヌーティラはゆっくり前へ歩み出た。
今日は珍しく派手な上着を着ている。
つまり、見せるためだ。
「旧支援家系の名代として申し上げる。白銀騎士学校はすでに再稼働している。差し押さえ対象ではなく、公益機能を持つ施設として保全請求を出した」
「没落家の請求に価値が?」
バルディエンが鼻で笑う。
「価値なら昨夜の署名で補ったよ」
クヌーティラは懐から誓約書の写しを見せた。
「商人組合、薬種問屋、鍛冶師頭、旧支援家系。全部そろっている」
バルディエンの笑みが、そこで初めて少しだけ薄くなった。
正門の外と内で、空気が変わる。
ここはもう、崩れた古い建物ではない。
教室があり、食堂があり、診療室があり、働き口がある場所だと、そこへ立つ一人ひとりが身体で示していた。
だがバルディエンは引かなかった。
むしろ静かに言う。
「なら、もう一つ整理しよう」
彼が視線を向けたのは中央塔ではなく、校舎の地下へ続く石造りの排気口だった。
「君たちは、あれが本当に町を守っていると思っているのか」
アルシャールの背中に冷たいものが走る。
次の瞬間、地面が微かに震えた。
最初は誰も気のせいだと思った。
だが二度目の震えで、食堂の窓硝子が鳴り、東棟の壁から砂が落ちる。中央塔の止まった針が、動いていないのに金属音だけを返した。
地下だ。
迷宮核に、何かした。
「何をした」
アルシャールが低く問う。
バルディエンは手袋をはめ直す。
「私は何も。放置されていたものが、少し早く限界を迎えるだけだ」
兵の何人かが顔色を変えた。つまり、全員へ話していたわけではない。
引き際を残した自分だけが、最初から分かっていた顔だ。
ジェシーが叫ぶ。
「主機構へ!」
ズドラフコヴィチは若者たちへ向けて怒鳴った。
「北棟の支え木を回せ! 東棟は人を入れるな!」
カトリーナは即座に診療所組へ指示を飛ばす。
キンバリーは子どもを講習室へ押し戻しながら、売店窓を叩き閉めた。
差し押さえの朝は、そのまま崩壊の朝へ変わる。
バルディエンが後ろへ下がるのを見て、アルシャールは追うのをやめた。
今は敵を捕まえるより、町を落とさないほうが先だ。
中央塔へ走る途中、彼は思う。
ここまで来た。
誰も持ち場を間違えずに動いている。
なら、最後に必要なのは、覚悟だけだ。




