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時間よ止まれ、俺は寝る!――追放参謀、廃校騎士学校と迷宮の町を立て直す――  作者: 乾為天女


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20/22

第20話 制服以外に、きゅんとなる

 花火代を稼ぐための試作品市は、土曜の昼に訓練場跡で開かれた。

 石畳の割れ目から草が出ている場所へ板を渡し、簡易の屋台を並べ、食堂で作ったつまみと温かい汁物を小皿で売る。ついでに迷宮浅層で採れた薬草茶も出してみる。大きな催しではない。けれど「今週もここへ来れば何かある」と町の人へ覚えてもらうには十分だった。


 キンバリーは朝から張り切っていた。

 「塩焼き豆は山盛りに見せたほうが売れる! でも本当に山盛りにすると赤字! このへんの悲しい均衡を守って!」

 「悲しい均衡を大声で言うな」

 アルシャールが札を書き直している横で、クヌーティラが笑う。

 「実に実務的でよろしい。夢と帳簿の両立だ」

 「片方だけだと腹が減るからな」

 アルシャールは顔を上げずに答えた。


 そこへ、訓練場の入口で小さなどよめきが起きた。

 何事かと思って視線を向けたアルシャールが、そのまま動きを止める。


 ジェシーだった。


 ただし、いつもの灰色の制服ではない。

 薄い青の上衣に、作業のしやすそうな濃紺のスカート。袖は手首できちんと留めてあるのに、布地が柔らかいせいで、普段より肩の線が軽く見える。髪もまとめ方が少し違い、時計油ではなく、乾いた石鹸みたいな匂いがふっと風に乗った。


 ジェシーは入口で足を止めたまま、周囲の視線へ眉を寄せる。

 「……何」

 アルシャールは何も言えなかった。

 言えることが何もまとまらない。

 普段どおりに「遅い」とか「持ち場へ行け」とか言うべきなのに、その普段どおりが見当たらない。


 先に反応したのはキンバリーだった。

 「うわ、何それ! かわいい!」

 「試作品市だから、制服は油で汚れる」

 ジェシーは淡々と答える。

 「だから私服にしただけ」

 「だけ、の威力じゃないんだよねえ」

 キンバリーがにやにやしながらアルシャールの脇腹を肘でつついた。

 「校長代行、息してる?」

 「してる」

 「目が完全に止まってたけど?」

 「してると言った」


 クヌーティラは面白そうに扇子代わりの帳票を振った。

 「なるほど。制服以外に弱い、と」

 「余計な分析をするな」

 「分析ではない。観察だよ」

 「お前は今日、皿運び担当だ」

 「話題を逸らしたね」


 ジェシーはそんなやり取りを聞きながら、アルシャールの前まで来た。

 「札、曲がってる」

 言って、彼の手から値札板を取る。

 いつもの調子だった。

 そのいつもの調子が逆にまずい。アルシャールの胸のどこかが、無意味に落ち着かなくなる。


 「……似合ってる」

 気づいたときには、口に出ていた。


 ジェシーがぴたりと止まる。

 キンバリーが目を丸くし、次の瞬間には顔いっぱいに笑みを広げた。クヌーティラは「ほう」とだけ言って横を向き、面白さを隠す気がない。


 ジェシーはしばらく無言だった。

 それから、ほんの少しだけ視線を外す。

 「そう」

 短い返事。

 けれど耳の先がうっすら赤い。

 アルシャールは見てはいけないものを見た気がして、逆に何も言えなくなる。


 救ったのはズドラフコヴィチだった。

 「客が来た」

 低い声と同時に、町の女たちが二、三人、屋台へ近づいてくる。

 「あらまあ、学校の食堂ってこんなこと始めたの」

 「試しだ」

 アルシャールはようやく立て直した。

 「まずは食ってくれ。うまければ次もやる」

 「うまくなければ?」

 「改善する」

 その答えに、女たちは笑いながら小皿を受け取った。


 試作品市は思ったよりも回った。

 塩焼き豆は薬草茶に合い、燻し芋は子どもに人気で、肉皮せんべいは元兵士たちが酒もないのに妙に嬉しそうに齧った。キンバリーは客の足を止める声の出し方をすぐ覚え、クヌーティラは上手にまとめ買いへ誘導し、ズドラフコヴィチは列が伸びる前に机の位置を直した。


 ジェシーは売上表の記入をしながら、合間ごとに屋台の不具合を直していく。

 板のぐらつき、金具の緩み、釣り銭箱の引っかかり。私服なのに、やっていることはまったく普段どおりだ。

 だがアルシャールは、どうしても普段どおりに見られない自分へ困っていた。


 昼過ぎ、客足が途切れた隙に、ジェシーが薬草茶を二つ持ってきた。

 「休憩」

 「助かる」

 受け取ろうとして、指先が触れかける。

 ほんの一瞬なのに、昨日までなら気にも留めなかった距離が、今日はやけに鮮明だった。


 ジェシーは湯気の向こうから首を傾げる。

 「まだ変」

 「何が」

 「朝から」

 アルシャールは薬草茶でごまかすように口をつけた。

 少し苦くて、あとから甘みがくる。

 「変じゃない」

 「嘘」

 「……見慣れないだけだ」

 ジェシーは数秒だけ黙り、それから小さく息をついた。

 「なら、そのうち慣れる」

 言葉は平坦なのに、なぜかそれだけで胸が熱くなる。

 慣れたいのか、慣れたくないのか、自分でもよく分からない。


 夕方、試作品市は黒字で終わった。

 キンバリーが売上板を掲げて飛び跳ね、子どもたちが「花火一発分!」と勝手な単位で騒ぐ。実際には一発にも足りないかもしれないが、上を見る理由としては十分だった。


 片づけの最中、ジェシーは髪を結び直しながら言った。

 「次は釣り銭箱を二つに分ける。列が詰まった」

 「あと、札は見やすくする」

 アルシャールが答える。

 「曲がってたしね」

 ジェシーはそちらを見た。

 その目が少しだけ柔らかい。

 「朝のは」

 「ん?」

 「ありがとう」

 言うだけ言って、彼女は先に屋台の布を畳みに行ってしまう。


 アルシャールはその背中を見送り、持っていた空の茶碗をしばらく置けなかった。

 訓練場跡では、撤収の音に混じって、キンバリーの笑い声がいつまでも響いていた。



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