第20話 制服以外に、きゅんとなる
花火代を稼ぐための試作品市は、土曜の昼に訓練場跡で開かれた。
石畳の割れ目から草が出ている場所へ板を渡し、簡易の屋台を並べ、食堂で作ったつまみと温かい汁物を小皿で売る。ついでに迷宮浅層で採れた薬草茶も出してみる。大きな催しではない。けれど「今週もここへ来れば何かある」と町の人へ覚えてもらうには十分だった。
キンバリーは朝から張り切っていた。
「塩焼き豆は山盛りに見せたほうが売れる! でも本当に山盛りにすると赤字! このへんの悲しい均衡を守って!」
「悲しい均衡を大声で言うな」
アルシャールが札を書き直している横で、クヌーティラが笑う。
「実に実務的でよろしい。夢と帳簿の両立だ」
「片方だけだと腹が減るからな」
アルシャールは顔を上げずに答えた。
そこへ、訓練場の入口で小さなどよめきが起きた。
何事かと思って視線を向けたアルシャールが、そのまま動きを止める。
ジェシーだった。
ただし、いつもの灰色の制服ではない。
薄い青の上衣に、作業のしやすそうな濃紺のスカート。袖は手首できちんと留めてあるのに、布地が柔らかいせいで、普段より肩の線が軽く見える。髪もまとめ方が少し違い、時計油ではなく、乾いた石鹸みたいな匂いがふっと風に乗った。
ジェシーは入口で足を止めたまま、周囲の視線へ眉を寄せる。
「……何」
アルシャールは何も言えなかった。
言えることが何もまとまらない。
普段どおりに「遅い」とか「持ち場へ行け」とか言うべきなのに、その普段どおりが見当たらない。
先に反応したのはキンバリーだった。
「うわ、何それ! かわいい!」
「試作品市だから、制服は油で汚れる」
ジェシーは淡々と答える。
「だから私服にしただけ」
「だけ、の威力じゃないんだよねえ」
キンバリーがにやにやしながらアルシャールの脇腹を肘でつついた。
「校長代行、息してる?」
「してる」
「目が完全に止まってたけど?」
「してると言った」
クヌーティラは面白そうに扇子代わりの帳票を振った。
「なるほど。制服以外に弱い、と」
「余計な分析をするな」
「分析ではない。観察だよ」
「お前は今日、皿運び担当だ」
「話題を逸らしたね」
ジェシーはそんなやり取りを聞きながら、アルシャールの前まで来た。
「札、曲がってる」
言って、彼の手から値札板を取る。
いつもの調子だった。
そのいつもの調子が逆にまずい。アルシャールの胸のどこかが、無意味に落ち着かなくなる。
「……似合ってる」
気づいたときには、口に出ていた。
ジェシーがぴたりと止まる。
キンバリーが目を丸くし、次の瞬間には顔いっぱいに笑みを広げた。クヌーティラは「ほう」とだけ言って横を向き、面白さを隠す気がない。
ジェシーはしばらく無言だった。
それから、ほんの少しだけ視線を外す。
「そう」
短い返事。
けれど耳の先がうっすら赤い。
アルシャールは見てはいけないものを見た気がして、逆に何も言えなくなる。
救ったのはズドラフコヴィチだった。
「客が来た」
低い声と同時に、町の女たちが二、三人、屋台へ近づいてくる。
「あらまあ、学校の食堂ってこんなこと始めたの」
「試しだ」
アルシャールはようやく立て直した。
「まずは食ってくれ。うまければ次もやる」
「うまくなければ?」
「改善する」
その答えに、女たちは笑いながら小皿を受け取った。
試作品市は思ったよりも回った。
塩焼き豆は薬草茶に合い、燻し芋は子どもに人気で、肉皮せんべいは元兵士たちが酒もないのに妙に嬉しそうに齧った。キンバリーは客の足を止める声の出し方をすぐ覚え、クヌーティラは上手にまとめ買いへ誘導し、ズドラフコヴィチは列が伸びる前に机の位置を直した。
ジェシーは売上表の記入をしながら、合間ごとに屋台の不具合を直していく。
板のぐらつき、金具の緩み、釣り銭箱の引っかかり。私服なのに、やっていることはまったく普段どおりだ。
だがアルシャールは、どうしても普段どおりに見られない自分へ困っていた。
昼過ぎ、客足が途切れた隙に、ジェシーが薬草茶を二つ持ってきた。
「休憩」
「助かる」
受け取ろうとして、指先が触れかける。
ほんの一瞬なのに、昨日までなら気にも留めなかった距離が、今日はやけに鮮明だった。
ジェシーは湯気の向こうから首を傾げる。
「まだ変」
「何が」
「朝から」
アルシャールは薬草茶でごまかすように口をつけた。
少し苦くて、あとから甘みがくる。
「変じゃない」
「嘘」
「……見慣れないだけだ」
ジェシーは数秒だけ黙り、それから小さく息をついた。
「なら、そのうち慣れる」
言葉は平坦なのに、なぜかそれだけで胸が熱くなる。
慣れたいのか、慣れたくないのか、自分でもよく分からない。
夕方、試作品市は黒字で終わった。
キンバリーが売上板を掲げて飛び跳ね、子どもたちが「花火一発分!」と勝手な単位で騒ぐ。実際には一発にも足りないかもしれないが、上を見る理由としては十分だった。
片づけの最中、ジェシーは髪を結び直しながら言った。
「次は釣り銭箱を二つに分ける。列が詰まった」
「あと、札は見やすくする」
アルシャールが答える。
「曲がってたしね」
ジェシーはそちらを見た。
その目が少しだけ柔らかい。
「朝のは」
「ん?」
「ありがとう」
言うだけ言って、彼女は先に屋台の布を畳みに行ってしまう。
アルシャールはその背中を見送り、持っていた空の茶碗をしばらく置けなかった。
訓練場跡では、撤収の音に混じって、キンバリーの笑い声がいつまでも響いていた。




