第17話 ズドラフコヴィチの授業
石積みの授業は、たいてい最初の一刻で喧嘩になる。
ズドラフコヴィチは最初からそう言っていたし、だいたいその通りになった。
場所は北棟の外壁沿い、迷宮へ下りる資材置き場の横だ。
崩れかけた石垣を直すため、昨日から若者たちが六人集められていた。元兵士の補助に回っている者ではなく、体力はあるが手順を覚える前に腕で解決したがる種類ばかりだ。
朝一番で石を運ばせた時点ではまだ静かだった。
崩れたのは、寸法を測る木尺を使わせたあたりからである。
「こんなの当てなくても分かるだろ」
片方の袖をまくった青年が言う。
「分からんから崩れてる」
ズドラフコヴィチは即答した。
「黙って測れ」
「測るより積んだほうが早い」
「早く崩すだけだ」
もう一人が横から口を挟む。
「じゃあ俺がやる」
「お前は昨日、石を逆向きに置いた」
「置いてない」
「置いた」
そこから先は早かった。
肩がぶつかり、胸ぐらに手が伸び、見ていたキンバリーが「始まった」と呟く。
アルシャールは止めに入ろうとしたが、ズドラフコヴィチが片手を上げて制した。
石工兼元下士官の男は、怒鳴りもしない。
ただ、二人の間へ大股で入り、喧嘩しかけた青年たちを左右へ軽く押し分けた。
押したというより、壁をずらした感じに近い。
「喧嘩は昼飯のあとにしろ」
「いや今」
「今やると、午前中の石が無駄になる」
それだけ言って、ズドラフコヴィチは木尺を拾い上げた。
「お前」
最初に食ってかかった青年を指す。
「名前」
「……ロエル」
「ロエルは腕が強い。だから重い石を運べる。だが目地が見えてない」
次にもう一人を指す。
「お前」
「ハルト」
「ハルトは石の向きを読むのが早い。だが待てない」
青年たちは反論しかけたが、ズドラフコヴィチはそれより先に石の前へしゃがんだ。
「強い奴は重いのを持て。読むのが早い奴は向きを決めろ。どっちも一人でやるな。壁は一人分の癖で積むと、必ずそこから崩れる」
その言い方が妙に効いた。
怒鳴られたわけでも殴られたわけでもないのに、ロエルとハルトは肩の力を半分抜いた。
授業はそこから始まった。
ズドラフコヴィチはまず、石を積ませない。
乾いた地面に白線を引き、崩れた石を全部並べ直させる。大きさ、重さ、辺の癖、どこへ置くと噛みやすいか。
若者たちは最初、こんなの遊びかと言いたげだった。だが二十分もすると、自分で持った石の顔つきが見えてくる。
平たい石は受けに向く。尖った石は埋めに使える。大きい石は偉いわけではなく、場所を食うだけのこともある。
「壁は、人の列と同じだ」
ズドラフコヴィチが言う。
「足の遅い奴を前に置けば詰まる。軽い奴ばかり並べれば押されたとき持たん。だから、誰をどこへ置くかが要る」
それは石積みの説明の顔をした、人の扱い方の授業でもあった。
ロエルが重い石を抱えてきて、置き場所を迷う。
ハルトが口を開きかけるが、以前ほど強い言い方ではない。
「そっちじゃなくて、少し右」
「どのくらい」
「木尺半分」
ロエルが置く。
ズドラフコヴィチはそこで初めて頷いた。
「今のは悪くない」
褒められ慣れていない顔が二つ、同時に妙な形で固まる。
昼前には、別の二人も巻き込まれていった。
石を渡す者。目地へ砂を流し込む者。基礎の揺れを足裏で確かめる者。
作業は遅い。だが一人で乱暴に積むより、崩れない。
キンバリーがその様子を見て、食堂の窓から叫ぶ。
「昼飯、ちゃんとできた人から!」
「じゃあ俺できてる」
ロエルが即答すると、ズドラフコヴィチが首根っこを掴んだ。
「一列仕上げてからだ」
「厳しい」
「飯は逃げん。壁は逃げる」
「意味分からん」
「分かる頃には覚えてる」
午後、授業は少しだけ場所を変えた。
今度は北棟のひび割れた石段だ。ここでも若者たちは最初に力任せで持ち上げようとし、すぐに手首を痛めかけた。
ズドラフコヴィチは見ていて、止めるタイミングだけ正確だった。
「お前は足を使え」
「お前は腰を落とせ」
「お前は手が小さいから、先に当て木を入れろ」
一人ずつ言う内容が違う。
それが若者たちには意外だったらしい。
同じことを全員へ怒鳴る大人しか知らない顔をしていた。
休憩中、アルシャールが木陰で水を飲んでいると、ロエルがぼそりと聞いた。
「ズドラフコヴィチって、前からあんなか」
「どんなだ」
「遅い奴を、遅いまま置いてかない」
アルシャールは水差しを置いた。
「前線にいた頃からそうだったらしい」
「面倒じゃねえのかな」
「面倒だろうな」
「じゃあ何で」
ロエルはそこで言葉を切った。
アルシャールは少し考えてから答える。
「一人置いていくと、壁も隊列も、あとでその穴のぶんだけ大きく崩れるからだ」
ロエルは黙って石垣のほうを見た。
ハルトが今度は自分から重い石を受け取りに行っている。午前中の喧嘩が嘘みたいに、手順を確かめながらだ。
日が傾くころ、北棟の石垣は見違えていた。
完璧ではない。職人の壁ほどまっすぐでもない。だが朝の崩れた顔とは別物だ。若者たちもそれを分かっていて、わざとらしくない誇らしさを顔の端へ持っていた。
ズドラフコヴィチは最後に全員を並ばせ、完成した石垣を顎で示した。
「今日の出来は六割」
「低っ」
ハルトが不満を漏らす。
「六割なら上等だ」
「さっき褒めたのに」
「褒めたのは午前の石だ。壁全体は別だ」
若者たちがぶうぶう言う。
その騒ぎが収まるのを待って、ズドラフコヴィチは続けた。
「明日やれば七割になる。七割が続けば、冬の前に人へ見せられる壁になる。人へ見せられる壁ができれば、仕事になる」
彼はそこでロエルとハルトを見た。
「手伝いではなく、仕事だ」
その一言が、夕方の光の中で妙に重く落ちた。
若者たちは、壁を作ったのではなく、自分の立ち位置を一段積み上げたのだと、たぶんそのとき初めて分かった。
食堂へ戻る途中、キンバリーがアルシャールへ肘を当ててきた。
「ねえ」
「何だ」
「今日のあれ、授業っていうより、更生だね」
「どっちでも似たようなもんだ」
「白銀騎士学校って、ずいぶん変な学校になった」
アルシャールは、石粉のついた若者たちの背中を見る。
「前より、いい変さだろ」
キンバリーはにやっと笑った。
「まあね」
石垣の乾く音なんて聞こえない。
けれどその日、北棟の外壁には、たしかに町を支える力が一段ぶん積み上がっていた。




